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ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (2)

  • ガレス・エヴァンスの哲学を調べる、または純粋な心の哲学? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    アメリカの分析哲学者であった故ガレス・エヴァンスは知覚が非概念的内容を持つことを提唱したことで有名なのは知っていたが、そのじつ日ではめぼしい紹介があまりなくネット上でも日語の情報があまりなくて困っていたところで、次のリンクの論文をやっと見つけた。 固有名の指示について―社会的規約、対象の同定、記述― 藤川 直也(PDF) http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/24337/1/%E8%97%A4%E5%B7%9D%E6%9C%80%E7%B5%82%E7%A8%BF.pdf 捉えがたき明晰さ-知覚内容の非概念性 信原幸弘(PDF) http://wwwsoc.nii.ac.jp/pssj/program/program_data/37/37ws/nobuhara-2.pdf ローティが(デイヴィトソンと比べ

    ガレス・エヴァンスの哲学を調べる、または純粋な心の哲学? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    z0rac
    z0rac 2009/10/05
    他の記事も。
  • 「論理哲学論考」の語りの枠組みを理解する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    たまたま気が向いて、永井均「ウィトゲンシュタイン入門」を再読していたら、突然に「論理哲学論考」ってこう理解すればいいんじゃないかと思うようになった*1。正直言って「哲学探求」の方が個人的には好みで、ウィトゲンシュタインは前期が分からなければ後期を理解できない、とは思っていたものの実のところ「論理哲学論考」は解説書レベルの理解を超えることが出来なかった(翻訳はどっちも持ってて読んではいたけれど)。 「論理哲学論考」で言いたかったことってこうじゃないかと思った。現実を反映するように言葉を使うこと、つまり論理形式(=現実形式)に従うことによって初めて、日常生活でどう振舞うべきかという倫理形式が語られざることとして現われるのだと。分かりやすく言い換えれば、どのように語るかということ自体が倫理的な問題であり、それを守ることによってそれとは区別される意味での生活での振る舞いとしての倫理が問題になる、と

    「論理哲学論考」の語りの枠組みを理解する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    z0rac
    z0rac 2006/12/29
    この解釈は既知だと思ったが違った?
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