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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (14)

  • 構造的暴力と個人の責任 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091017/1255715610 僕のコメント http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091017/1255715610#c1255740544 それへのレス http://d.hatena.ne.jp/sionsuzukaze/20091017/1255715610#c1255859662 以上のやり取りに対して。 構造的暴力が個々人に起因するか。起因するかしないかは事実の話であり、その起因のありようを把握できるかどうかは認識の話であり、そこに責任を問うかどうかは規範の話ですし、責任を問うとしてその問い方は技術的な話であって認識の話などとも関連します。いずれにせよ、ごちゃまぜにしないでください。 実際問題として、「その起因のありようを把握」すること=認識が著しく困難だから、強制

    構造的暴力と個人の責任 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    z0rac
    z0rac 2009/10/20
    「自発的な引き受けを要請する」のは了解だがそれに対して責任を問うのはどうかと思う。方法論ではあるが。/「自己批判せよ」ってのに良い印象がないんだよなぁ。
  • 排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090929/p1の続き。たとえば、「「暴力」の意味がブレてる。暴行・障害罪等の意味で取れば思想は関係なくなる。排外主義を暴力的思想として批判するなら暴行・障害罪とは別の話。殴らなくても排外主義だが、暴行・障害罪にはならない」みたいな意見がバカげている、ということについて。 「殴る」という直接的暴力も、差別のような構造的暴力も、人を傷つけ、そこから追い立て、当たり前の尊厳を奪い取るという意味で、まったく等しく、暴力です。では、どうして一方に対しては法で取り締まられ、警察・監獄に象徴される制度化された対抗暴力が発動されるのに、他方に対してはそうではなく、ほとんど何もなされないのか。それは、少なくとも、暴力としての程度が小さいからではありません。程度の大小について何かを言える根拠などどこにもありません。 直接的暴力は、行為であり

    排外主義それ自体が暴力です、その2 - モジモジ君のブログ。みたいな。
    z0rac
    z0rac 2009/10/05
    政治的意思は解るけど、やっぱり「主体的に参加せよ」ってメッセージは矛盾だと思う。/ってブコメを何度か書いたなぁ。
  • 北朝鮮の「人工衛星」雑感 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【追記アリ】【もう一つ追記】 次の記事はとてもおもしろいので、是非参照してください。>「日北朝鮮に宣戦布告した件について」@media debugger 以下、それとは別の話をダラダラと。>するつもりだったんだけど、別の話にならなかったな。 日政府の主張は無理筋 北朝鮮がロクデモナイ国だということは知っている。日という国も、その質に多少の違いはあれども、かなりロクデモナイのも知っているけども、それはとりあえず措く。北朝鮮の「人工衛星打ち上げ」はミサイル技術の誇示以外の何物でもないとは思うが、公式に「人工衛星」と言い張っている以上、それを覆すだけの材料もないなら、「ミサイル」と言い張ることになんの益もない。そこに弾頭が取り付けられている、とでも言うならともかく。一方で、北朝鮮は宇宙条約に批准した上で、国際法上の形式を整えた上で「人工衛星打ち上げ」と言い張っている。これを「ミサイルだ」

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    z0rac
    z0rac 2009/04/01
    んー。危険回避と云うなら、仕方ないから撃ち落とすのであって、積極的に撃ち落とすことを肯定する必要はない罠。/否定されたと思い込んで反論している人もいて混乱。
  • 村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!! - モジモジ君のブログ。みたいな。

    イスラエル最高の文学賞、エルサレム賞の09年受賞者に作家の村上春樹さんが決まった。受賞選定委員長が編集長を務めるイスラエルの有力紙ハアレツは21日付で、受賞理由について「日文化と現代西欧文化とのユニークなつながりを描くなど、西側で最も人気がある日人作家。読むのはやさしいが、理解するのはむずかしい」と伝えた。 http://www.asahi.com/culture/update/0124/TKY200901240160.html 他にも、「村上春樹 エルサレム賞」で検索すると、いろいろ出てきますね。*1 ところで、あれこれ検索してると、エルサレム賞については、かつてこんなことがあったそうです。 5月11日の南ドイツ新聞によると、ニューヨークの作家で、人権擁護活動でも有名なスーザン・ソンダクがこのほど、イスラエルのイエルサレムで開催されていた国際書籍市のおりに、「2001年イエルサレム賞

    村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!! - モジモジ君のブログ。みたいな。
    z0rac
    z0rac 2009/01/26
    うぁ。人には得手・不得手があるからなぁ。/氏はこう云うの得意なのだろうか。
  • 野宿者を公共圏から追い出したい人こそが家を明け渡すべき - モジモジ君のブログ。みたいな。

    HALTANさんの記事の、次の部分にも答えておきます。 それと「公共施設」に野宿者を受け入れろというなら(というか今回もそうとしか読めないわけだけど)、まずはアンタたちが自分の生活圏の中でやってみてくれ、としか言い様がない。一般人はそこまで心も広くないし余裕もないし、あるいは一般人や貧乏人同士が助け合いだか何だか知らないが下手に自分たちで問題を抱え込んでも共倒れになるだけだろう(反貧困活動家までが「溜め」だの余計なことを言うから困るんだが。この機に乗じて自分たちの脱資主義的な労働共同体幻想を成就させようとは薄気味がわりいんだよ!) http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081030/p2 えーとね、たとえば、公園を念頭におきます。公園はみんなの場所です。僕は、このみんなの場所を、他に行く場所のない野宿者が利用するのを認めます。そして、公園以外の場所で住めるようにち

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    z0rac
    z0rac 2008/10/31
    「公共圏への権利を留保しているわけです。僕は手放したのに。」 あぁなるほど。
  • 愚行権とか、啓蒙の暴力とか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「問題は疑似科学ですらない」@地下生活者の手遊び 「愚行権」にせよ、「啓蒙の暴力」にせよ、実に粗雑な使われ方をしてるのをよく見かける。あまりに酷いので、当面、自分で使うのは自粛しているくらいなんだけど、またか、という感じではある。 「愚行」を支えるもの とりあえず、愚行権とはどういうものか、tikani_nemuru_M氏の記事もあるわけだが、そのまた元ネタであるところのミル『自由論』に遡って引用してみる。 ……社会が個人として強制と管理という形で干渉するとき、そのために用いる手段が法律による刑罰という物理的な力であっても、世論による社会的な強制であっても、その干渉が正当かどうかを決める絶対的な原則を主張することにあるのだ。その原則はこうだ。人間が個人としてであれ、集団としてであれ、誰かの行動の自由に干渉するのが正当だと言えるのは、自衛を目的とする場合だけである。文明社会で個人に対して力を

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    z0rac
    z0rac 2008/06/02
    エホバに関しては私は思考停止。申し訳ないが医者に丸投げです。/信仰を持つ前の子供には輸血すべきだと思うんだけどね。輸血だけして終わりにはならないんだよなぁ。
  • バカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。

    「十字軍はバカに勝てるか」では、「バカ」の中身をまったく説明せずに用いた(108回も)。では、バカとか賢いとかは、どのように考えればいいのか。何やら質主義的な定義をしている人もいれば、そもそも「バカ」という記号を忌避して事足れり、としている人もいる。そんな単純な問題ではなかろう、とは思う。以下、述べていく。 「バカ」という記号とその構造 さて、この記事についての検討からはじめよう。>「あなたの周りにいる人はバカばかりですか?」@Skepticism is beautiful 僕がある人を指して「バカだ」と言うとき、それは僕の認識枠組みにおいて、その人が、なんらかの不十分さや欠落を持っている人として評価されている、ということを意味する。どういう理由でかは別にして、ともかく、僕の位置からはそう評価されていることを意味する。逆に言えば、「何かが欠落した奴ら」「欠落していない私たち」という枠組み

    バカへの信を問う - モジモジ君の日記。みたいな。
    z0rac
    z0rac 2008/05/29
    あぁそう云う意味か。/でもこれって「バカ」を相手の本質として表現していまいか。<私>がバカと認定した人がした「バカな行為」とそうでない人のそれを分けるのではなかろうか。存在論の香りが。
  • 疑似科学を憎んでバカを憎まず - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「ずれた論点と悪意ある混同」@地下生活者の手遊び お答えしていきます。 NATROM氏の記事の中の、たとえば象徴的な部分としては、末尾の次のところ。 母親を批判するだけでは問題が解決しないというのはわかる。なぜこの母親がホメオパシーにはまったのか、おそらく、ブログのタイトルの「自分探しの旅」というところにヒントがあるように思うが、そこから考えるべきなのだろう。それはそれとして、「自分探し」につきあわされて余計な苦痛、難聴になるリスクを一方的に背負わされる子を考えると、批判を行うべきだと私は考えた。どんな言葉もこの母親の考えを変えることはできないだろうが、周囲の人たちや、あるいは将来ホメオパシーにはまる予備軍の人に言葉が届けばそれでよい。 http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080516#p1 まず、「どんな言葉もこの母親の考えを変えることはできないだろうが、周囲の

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    z0rac
    z0rac 2008/05/28
    うーん。「バカ=弱者=救うべき対象」と云う前提が噛み合ってないのでは?/「切断」と云うよりある種バカを認めてるのではなかろうか。
  • 死刑は社会正義ではありえない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    死刑についていくつかの記事を書いてきたけれども、「社会正義の臨界――光市母子殺害事件高裁判決」など参照しつつ。 sk-44氏の死刑存置論(1) 快楽殺人者の反省不可能性 まず、sk-44氏の記事の、前半について。 私が極刑としての死刑存置論者であるのは、ある個人的な問題意識とかかわる。他人と共有しうるものであるかわからない。以下に端的に記す。お断りすると気分のよい話ではない。 所謂快楽殺人者は、被害者の殺害を前提とする性犯罪者は、死刑台に送られて然るべき、あるいは、死刑台に送らないことには仕方がない。そうした認識と見解に私は同意せざるをえない。 「気分のよい話ではない」とあらかじめお断りされているので、この先については引用しない。代わりに、以下の議論に必要な限りにおいて、簡単に要約する。<快楽殺人者において、その人を殺したその場面の記憶は快楽そのものであり、生きている限りその快楽を繰り返し

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    z0rac
    z0rac 2008/05/09
    殺しても何の解決にもならないが、世間では「応報感情」と云うものが認められているらしい。これが解らない。
  • 死刑と終身刑についての追記 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先の記事について、id:toledさんから「死刑がダメなら終身刑もダメに決まってるじゃん。まったく同じ論理で。」とのご指摘。別の方から、「終身刑ならいいってのは違うと思った」との記事のトラックバックも。この点について、簡単に追記する。 まず、「終身刑ならいい」というニュアンスは完全に違う。可能であるならば、僕は刑罰そのものをなくしたいし、裁くこと自体をなくしたいとも思う。だから、一番ラディカルに行くなら、司法廃止。討論のみ。そうなる。──しかし、この路線は現実的ではない。ここでの現実的とは、「私が安全に、安心して暮らしたい」という欲望に即したとき、それと十分に両立すると感じられない、ということだ。だから、「終身刑ならいい」のではなく、「死刑には反対だが、終身刑については、反対しがたい」という感情を持っているということ。──僕は終身刑を正当化したのではなく、あくまでも死刑を棄却したのだ、とい

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    z0rac
    z0rac 2008/04/25
    セキュリティ面から死刑或いは終身刑を肯定すると、ペドフィリアも死刑(終身刑)なのだが。考え中。
  • だから死刑には反対する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    光市事件について、遂にと言うべきか、死刑判決が出た。 この事件について、これまで発言したことはないが、もちろん、折に触れて報道に触れる以上、何も考えないではなかった。いくつかのことを整理して述べてみる。 率直に言って、村氏の主張については、首肯することはほとんどなかった。ただ、少なくとも、次のようには思う。第一に、その一つ一つのことの中に仮に批判しうる点があるとすれば、具体的にそれを取り出して、検討した上での指摘しなければならない。第二に、仮にそのように批判ができたとして、どうして彼がこのような主張をしなければならなかったかを、踏まえなければならない。つまり、彼は突然にこのような事件の当事者となり、何の準備もないまま、事件に対する態度表明、その理論的正当化、実際の発言と行動、そうしたことをやらねばならない立場におかれた。ゆえに、仮に彼の主張に批判しうることがあるとしても、まずは、過酷な日

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    z0rac
    z0rac 2008/04/24
    判事による更正可能性の判定には何か裏打ちがあるのだろうか。その辺が曖昧だよなぁ。
  • 今、この社会でリビングウィルを要求すること──見えない「絶滅政策」 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    edouard-edouardさんに質問をいただいたので、少し正気に返った。「これにふさわしい怒り方が分からない」などと呆けている場合ではない。ともかく、当面、僕にできることは、僕に出来る限りでの解説を試みることなので、そんなことしかできないので、改めて問題を整理してみました(十分なものかは別ですが。ご批判乞う)。 リビングウィルがこの社会で意味すること (1)リビングウィルが直接に意味することについて。リビングウィルがないならば、その人を生かす、ということが医師に課せられた使命になります。医学の力が及ばず、ということは当然ありえますが、医師はその人を生かす、ということに全力で取り組むことが前提となります。──逆に言えば、リビングウィルとは、どの段階で「その人を生かす努力をやめていい」のかを、事前に決める指示書です。「生きる」という事前指示は要りません。だから、リビングウィルは、「死ぬ」こ

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    z0rac
    z0rac 2007/11/03
    うーん。これは自然権的人権には含まれない...か。「生存」の定義をどうするか。/産業主義的と云うより現時点での社会的負担の限界をどう考えるかではなかろうか。シワ寄せの感は拭えないが。
  • 承認と分配──介護の政治と経済 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「障害者は介護者を喜ばせなければならないのか」@世界、障害、ジェンダー、倫理☆ この記事に対する共感を込めて、気になる点を一つ批判しておく。 僕としては、人が生きがいを感じたり求めたりすること、それ自体が批判されるべきことではないと考える。それを殊更に言上げするかは別にして、しかし、やりがいはあっていいし、あった方がいいと考える人もいるだろうし、いてもかまわない。とりあえず、これを確認しておく。 その上で、生じている問題は、次のようなものである。介護保障がなされていない状況では、介護をする側の意思によって介護がなされたりなされなかったりする他はなく、それゆえに介護を(不可欠に)必要とする障害者(=要介護者)の側では、介護者に「感謝しなければならない」「気に入られなければならない」。つまり、介護者が介護を失うこと(やめること)はやりがいを失う以上のことではない、しかし、障害者が介護を失うこと

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  • 運動の戦略、とか言われるものについて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    社民的なものが後退戦を続ける中で「自己批判せよ」みたいな話がよく聞かれる。戦略がバカげているから支持を集められないのだとか、正しいことを述べているだけではダメだとか、まぁ、そういう話。・・・もちろん、戦略は大事だ。しかし、僕が思うような意味での大事さは、巷でしばしば見聞きするところの戦略論とは全然違うものであるらしい。そのあたりのことを、少し整理してみる。 前提を整理しよう。私たちと彼らの目指すものは異なっている。単に方向が違うだけではない。私たちは一部の人たちに重荷を押し付けるようなやり方をやめよう、と言い、むしろその重荷を共に背負うこと、そうした重荷を減らすことを主張すると同時に、重荷を減らすための努力を求めるという意味においてさらなる重荷を背負うことを求める。一方、彼らは、相変わらず重荷を一部の人に押し付け続け、そうした負担から共謀して逃れ、安穏と暮らそう、と誘惑する。どちらの道も同

    運動の戦略、とか言われるものについて - モジモジ君のブログ。みたいな。
    z0rac
    z0rac 2006/11/27
    理念は賛同するが、戦術的な現実展開時には理念が失われる。この消失を肯定的に語る言説が必要。
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