【Presented by Rethink PROJECT】 私たちが現在、そして未来に直面する様々な問題。 未来の為に、もう一度掘り起こし、考え直す番組。 RethinkJapan、今回のテーマは「哲学」から学ぶ現代日本。 「千葉雅也」氏をゲストに過去から未来を見つめ直します。 出演者: 波頭 亮 千葉 雅也
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【Presented by Rethink PROJECT】 私たちが現在、そして未来に直面する様々な問題。 未来の為に、もう一度掘り起こし、考え直す番組。 RethinkJapan、今回のテーマは「哲学」から学ぶ現代日本。 「千葉雅也」氏をゲストに過去から未来を見つめ直します。 出演者: 波頭 亮 千葉 雅也
※これは2011年11月1日に「puboo」に発表されたものである。 作家埴谷雄高に影響を与えた哲学書として数多く指摘されてきたのがカント『純粋理性批判』だ。本格的な作家になる以前の二十代の若き埴谷は非合法の地下政治活動によって逮捕されてしまうが、その独房で偶然その本との「決定的な出会い」を果たす。本稿では、蓄積された研究史を概観した上で、その中で忘れ去られてしまった論点「想像力」を立ち上げ、その論点を中心に、カントから埴谷への思想の継承、その類似と差異を考察していく。 【目次】 序、カントと出会う埴谷雄高 一、多加野遥『埴谷雄高論』 二、佐古田修司『反埴谷雄高』 三、鹿島徹『埴谷雄高と存在論』 四、熊野純彦『埴谷雄高』 五、カントの想像力論 六、埴谷雄高の想像力論 七、想像力と「自同律の不快」 註
アクターネットワーク理論(Actor-network-theory)は、社会科学における理論的、方法論的アプローチのひとつである。社会的、自然的世界のあらゆるもの(アクター)を、絶えず変化する作用(エージェンシー)のネットワークの結節点として扱う点に特徴がある。しばしば、ANT(エーエヌティ)と略称される。 ブリュノ・ラトゥール、ミシェル・カロン、ジョン・ローらが提唱しており、その出自は科学社会学、科学人類学にあるが、ANTの影響は、社会学や人類学にとどまることなく、とりわけ2000年代以降は、経営学、地理学、組織論、会計学、社会心理学、教育学、歴史学など社会科学全般に広がるとともに、哲学や建築学、アートなどに幅広く及んでおり、ANTは21世紀における人文社会科学分野で最も大きな影響力をもつ理論のひとつになっている。 概要[編集] アクターネットワーク理論では、社会的、自然的世界のあらゆる
新プラトン主義とキリスト教。新プラトン主義(ネオプラトニズム)は西洋において古代末期から中世を通じてキリスト教神学に大きな影響を与えてきた。これは特に、(1)プロティノスやテュロスのポルピュリオスといった初期のネオプラトニストから影響を受けたヒッポのアウグスティヌス、(2)プロクロスやダマスキオスといった後期ネオプラトニストから影響を受けた偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースと呼ばれるキリスト教著述家らによるものである。 古代末期[編集] 悪の起源である善の欠如(en:privatio boni)や、その善の欠如が人間の罪に由来することといった新プラトン主義の中心教義は、ヒッポのアウグスティヌスによって、彼のマニ教からキリスト教への遍歴の上で一時的に哲学的問題として扱われたのみであった。おそらくもっと重要なことに、プロティノスやポルピュリオスの著作において強調されている、神つまり一者と
インタビュー:21世紀のためのサイバネティクス——ユク・ホイ『再帰性と偶然性』をめぐって 出典:E-flux Journal #102(2019年9月) URL = https://www.e-flux.com/journal/102/282271/cybernetics-for-the-twenty-first-century-an-interview-with-philosopher-yuk-hui/ 訳:伊勢康平 新著『再帰性と偶然性』(2019年)のなかで、香港の哲学者ユク・ホイは、再帰性とは単なる機械的反復ではないと主張している。かれは「規範からの不規則な逸脱」に関心をもち、新生気論者〔neovitalist〕とでも言うべき立場を築いている。これは、ロボットには生命がある(あるいはやがて生命をもつだろう)というような、昨今の大衆文化のなかで有力な見方を乗り越えるものだ。「器官学」
「論理的思考」の落とし穴――フランスからみえる「論理」の多様性 『「論理的思考」の社会的構築』著者、渡邉雅子氏インタビュー 社会 「ロジカル・シンキングを身につけよう」「これからの教育に必要なのは論理的に話す・聞く・書く能力である」……論理的に考え、書いたりプレゼンテーションしたりする能力はビジネスや教育分野でもてはやされ、現代では欠かせないスキルとして広くうたわれている。 しかし改めて考えると、「論理的」とはなにか? 「論理的」であることは何に立脚しているのか? どこでも共通する普遍的なものなのか? 『「論理的思考」の社会的構築』を著した渡邉雅子氏は、「「論理的」だと感じる思考や論理の型は、実は文化によって異なっており、それぞれの教育の過程で身につけていくものだ」と指摘している。本稿では、「論理」の多様性やその社会的構築過程、小論文教育から見えるフランス独自の論理のあり方、日本におけるア
栗本慎一郎 連続講義録 『この人*を見よ! (Ecce Homo-pants!)』 1981年に出版された『パンツをはいたサル』以降、独自の生命哲学、文明論で思想界を席巻した「クリシン」こと栗本慎一郎は、ワイドショー、「朝まで生テレビ」、「料理の鉄人」などのテレビ番組や各種雑誌、新聞を賑やかし、時代の寵児として注目を集めました。90年代には衆議院議員となり橋本政権下では経済企画政務次官を務めるかたわら、「栗本慎一郎自由大学」を設立。当ラボ代表・室井尚はこの自由大学に何度か出講し、栗本氏から大きな影響を受けました。また、99年に脳梗塞で倒れてからは自身の研究によってリハビリ器具を開発すると共に、血栓を溶かすミミズ酵素の効能を発見、自分自身の身体を使って半身麻痺を完全克服。2013年、71歳で「最後の一冊」、『栗本慎一郎の全世界史』を刊行。現在はすべての職を辞して自宅で執筆活動と思索にふけって
【エン-ソフ】は、言論と、様々なオピニオンのためのウェブ・スペースです。「不均質な人的集合による、不均質な集合知の場」を目指して、2012年4月から活動を開始しています。≫詳細 凡例 一、この翻訳はジルベール・シモンドンGilbert Simondonの『心的と集団的個体化』の新版(L'individuation psychique et collective (Paris, Aubier, 2007))に寄せられたベルナール・スティグレールBernard Stieglerの序文「思考の不安な異邦性とぺネロペーの形而上学」(L'INQUIETANTE ETRANGETE DE LA PENSEE ET LA METAPHYSIQUE DE PENELOPE)の部分訳である。訳題改変と小題は訳者によるものである。 二、シモンドンの『心的と集団的個体化』は今日多く「心的かつ集団的個体化」や「心
ひさしぶりに読書感想文を書きます。 題材は、ダニエル・ブーニューの『コミュニケーション学講義』。これは、急激に変化しつつある現代のメディア環境およびコミュニケーション環境に身を置く人間にとって、間違いなく必読の書であります。 メディオロジー、というと日本ではレジス・ドブレの名前ばかりが知られていますが、いやはや。実はそこにはダニエル・ブーニューという、ドブレにまさるとも劣らない「巨大な」知性が実は隠れていたのです(たんに日本で知られていないだけですが・・・)。本書を読めばわかるように、その理論的な射程の広さや深さだけでなく、それをわかりやすく具体的な事例を交えて説明していく手際にも、まさに超一流の知性と呼ぶにふさわしいものがあります。 ただ僕自身には、メディオロジーにおけるブーニューの位置、についてはいまいちつかめない部分があります。事実的経緯としては、本書の監修者解説にあるように、ブーニ
ジルベルト・シモンドンは哲学者である。 たとえその議論の多くが化学や熱力学に依拠しているとしても、彼の目的がいつも、実在性を描き出すことだけに向けられているからだ。シモンドンにとっての問題は、個体が今ここにおいて存在していること、すなわち、個体の実在性を全く損なうことなく捉えることのできるモデルを構築することであった。そのためにはすでに構成された個体を前提とすることなく、個体をその発生(ontogenèse)の過程において考える必要がある。シモンドンが個体化(individuation)と呼ぶのは個体が発生する過程そのものにほかならない。その際、あらかじめ個体化された個体を前提としている伝統的な形相質料論や充足理由律による個体化論はまっさきに破棄されることになる。 では、すでに出来上がった個体を前提せずに個体化の過程そのものを記述するにはどうすればよいのか。まずシモンドンは、いかなる変移も
フランス大使館シンポジウム観覧メモ: 千葉雅也、池田剛介、濱野智史、黒瀬陽平、による「イストワールの現在」 December 13, 2009 op-ed / commentary authorjunichi ikeda share tweet 12月12日(土)に、旧フランス大使館建物跡で芸大が主催しているイベントに行ってきた。その展示会場のある一室で午後2時から5時半まで開催されたシンポジウムを拝聴した。 以下は、その時の観覧メモ。 メモなので、文章としては未完成、内容は文脈無視、特定の専門用語の説明なし、のものであることを、予め断っておきます(たとえば、「セカイ系」とか、無造作に使っているけれど知らない人はググって下さい)。 そんなメモの状態でもポストしようと思ったのは、まず、単純に面白かったから。 話題の広さにしても、その分析視点の深さにしても、予想していた以上の収穫があったように
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