森ゆうこ・参議院議員(国民民主党)から、10月15日の参議院予算委員会に、国家戦略特区に関して参考人出席するよう要請があった。内閣府経由で、質問通告と出席要請の連絡があったのは11日(三連休をはさんで実質的に前日)の夜20時頃。さすがに無理だ。 それ以前に、この期に及んで、私があたかも不正行為の容疑者かのような扱いで、国会に参考人として呼ばれることには、強く違和感がある。 そもそも6月11日に毎日新聞で、国家戦略特区WGに関して私が「200万円」を受け取り「会食接待」を受けたかのような記事が掲載された。こうした事実は全くない。 毎日新聞社とは訴訟係属中だが、訴訟で同社は、私が直接ないし間接に実質的に金銭を受け取ったことを報じたわけではないと主張。表向き記事訂正はしていないものの、報道内容の根幹部分を事実上はすでに撤回したとも受け取れる状態だ。 ところが、その後も、一部の国会議員の方々は「国
ピケティの『21世紀の資本』はあまり日本を理解する役には立たないが、彼の賞賛するグレーバーの『負債論』は役に立つ。経産省が電力会社に回す奉加帳も、役所が業者に借りをつくってそのうち返すという約束だ。このように国に「贈与」した後では、電力会社は行政訴訟を起こせない。 このように複雑な「貸し借り」で長期的関係を構築し、人々を共同体に囲い込むことが、借金の起源だ。経済学者は物々交換の中から「欲求の二重の一致」が必要になって貨幣が生まれたというが、純然たる物々交換によって成り立つ市場は人類学のフィールドワークでは見つかったことがない。市場は貨幣と同時に生まれたのだ。 貨幣が交換手段から価値貯蔵手段に進化したとか、コインが紙幣に進化したというのも間違いである。むしろ貨幣の最古の形態は、借金の証文なのだ。それは「信用している」とか「恩がある」という人間関係を示し、共同体の秩序を維持する役割を果たす。ゲ
現在、日本には「補助金をたっぷり使って、設備が充実して低額な認可保育所」と「わずかな補助金で、設備もイマイチで高額な無認可保育所」が存在する。多くの親は前者を希望するが競争が激しく、入園選考に不合格となって仕方なく後者を選ぶか、それもダメなら待機児童となる。 認可保育園の補助金は児童一人あたり約20万/月になり、特に0才児では3~40なるという試算もある。ゆえに、「子供2人を認可保育園に預けられるか否か」は「月40万円の児童手当を6年間もらえるか否か」等しい格差がある。ゆえに、多くの親は厳しい認可保育園の合格活動(俗に言う保活)に挑むのだ。「2~3月生まれが不利」は長年指摘されているが是正される見込みはなく、「激戦区の保活はバースコントロールから始まる」も常識となりつつある。「格差是正」が近年の流行語なのに、保育園における「認可/無認可」の格差は放置されたままなのだ。 大学入試とは違って、
商品の現物価格と先物価格の関係を説明する際に、コンビニエンス・イールド(利便性の利得)という概念が使われる。Hatena Keywordの説明を引用すると、コンビニエンス・イールドとは「現物を保有することによって得られるメリット」のことである。「具体的には、一時的な品不足などで利益を得る可能性や生産を継続することによるメリットなどが考えられる」。そして「現物を保有する代わりに先物を買うことで、保管コストや金利コストを負担せずにすむが、現物を保有することで得られるメリットは失う」ことになる。 預金と現金を比較した場合にも、ある種のコンビニエンス・イールド(利便性の利得)が預金にはあるといえる。現金は、少額の決済にはきわめて便利な手段である。しかし、多額の価値保蔵手段としてみたときには、利便性に劣る面がある。現金には盗難のリスクが伴い、多額になるとかさばり、保管に大きなスペースを必要とする。安
スコット・サムナー(Scott Sumner)が、National Affairsの記事の中で、「不換紙幣を発行している中央銀行(a fiat-money central bank)がインフレ率を高める、すなわち、『通貨の質を下げる』(to raise the rate of inflation - that is, to “debase the currency”)ことができないわけはない」と書いているのを読んで、どこで理解が違ってきているのかが分かった気がしたので、記しておきたい。 現存する国債について、将来返済されることが確実に見込まれており、その価値は確かなものだと信認されているとしよう。このとき、中央銀行が国債をどんどん買い上げて、その代金として銀行券(不換紙幣)を供給したとしても、銀行券の通貨としての質が下がるわけではない(debaseにはならない)。なぜならば、発行された銀行
朝日新聞デジタルのインタビューにおける原田泰氏の次ような発言が議論を呼んでいる。 日銀は国債をコストをかけずにただで買っている。10兆円分の国債を購入して、仮に2割損してももうけは8兆円ある。日銀の利益は国庫に渡ってきた。国債の価格が下がっても、財務省が埋めればそれでいいだけだ しかし、この発言の意味の理解をめぐっては混乱がみられるように感じる。そこで、私の理解を述べてみたい。 日銀が10兆円分の国債を購入して、その代金を売却した銀行の準備預金口座に振り込んだ後、それがすべて日銀券(現金)のかたちで引き出されたとしよう。日銀券は日銀の負債として計上されているが、それに対して金利を支払う必要はない。他方、購入した国債からは金利収入が得られる。簡単化のために、その金利水準が年率0.5%で一定だとしよう。すると、1年間に500億円の利ざや収入が得られることになる。これが、フローでみた貨幣発行益(
準備預金と日銀券の合計をベースマネーと呼んでいるが、ベースマネーは無償還(irredeemable)である。すなわち、それ以上は換金できない。準備預金は日銀券のかたちでしか引き出すことができず、現在の日銀券は不換紙幣である。したがって、個々の主体は、何らかの財・サービスや資産を購入することで手持ちのベースマネーの量を減らすことができるとしても、その分だけ売り手の保有するベースマネーの量が増えることになって、社会全体としてみた場合にはベースマネーの量が減ることはない。 唯一、全体としてのベースマネーの量が減るのは、中央銀行(日銀)がバランスシートを圧縮する操作を行った場合だけである。逆にいうと、例えば日銀の保有する国債をすべて非市場性の永久国債に置換し、政府が永久国債を買い入れ消却することもなければ、それを見合いに発行されたベースマネーは恒久的(permanent)に存在し続けることになる。
私がいつも使っている、できる限り単純化して日本の金融構造を表したバランスシート図を用いて、いずれも10月31日に発表されたGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用見直しと日本銀行の追加金融緩和が実施されるとどのような効果が生じることになるかを確認しておこう。この目的のために、いつもは国債は日銀と民間銀行によって保有されているとしているのを、国債は日銀、民間銀行とGPIFの三者で保有されている(それぞれの保有分を国債Ⅰ、国債Ⅱ、国債Ⅲとする)と変更し、他の保有(例えば、個人による直接保有)は無視する。 なお、このバランスシート図について解説が必要な場合には、拙著『連続講義・デフレと経済政策』(Kindle版も発売中)の第3講「ゼロ金利制約と金融政策」を参照されたい。 まず、第1図をご覧いただきたい。GPIFの運用見直しに伴って、GPIFと民間銀行の間で取引が生じることになる。すなわち
コメントで教えてもらったが、Economist誌の経済学特集はちょっとおもしろい。いつものように、適当に訳して紹介しておく。 主流派マクロ経済学の信用が地に落ちた今、異端的な経済理論がブログ界から出てきている。 一つは「超ケインジアン」ともいうべきMMT(Modern Monetary Theory)である。彼らの主張は単純だ:不況のときは、政府が公共事業で金を使えばいい。国債も税金も資源の移転という意味では同じことなので、世代間の不公平というのは幻想であり、財政赤字なんて無意味な数字だ。国債が売れなくなったら、紙幣を印刷すれば埋められる。それでインフレが起きたら、印刷をやめればいい――これは日本でいえば、亀井静香氏などのバラマキ派に近い。 もう一つはオーストリア学派だ。これはもちろんハイエクなどのリバタリアンの思想で、政府は財政支出なんかしないで、企業が「創造的破壊」で淘汰されるにまかせ
ポール・クルーグマンは、2000年~2007年という言わば「小泉純一郎の時代」における日本の経済成長は、世間が考えているよりもよっぽど強固なものであり、実際には米国の成長をも凌いでいた点を的確に指摘している。 以下の表は、日本と米国の国民一人当たりのGDP(トータル・エコノミー・データベースより引用)の比率と、日本と米国の15~64歳の成人のGDPの比率を比較したものである。 そこに示されるのは、一度も回復しない大きな景気後退ではなく、大いに回復する小さな景気後退である。米国レベルに収束をし続けた日本は、もっと頑張るべきだったと考えられるだろう。ただし、人口統計学を考慮しない場合に見えてくる表面上の惨憺たる失敗は、どうにも明らかではない。 その通りである。日本が失ったのは20年ではなく、10年だ。 さて、ここが難問だ。日本の2000~2007年までの成長を加速化させた要因は何か? この期間
ベースマネー(base moneyまたはmonetary base)の供給量を増やせば、それだけで予想インフレ率が高まるといった乱暴な議論をする人達がいる。そして、そうした議論をする人達のうちの一人が日銀副総裁に指名される見込みだというご時世だが、デフレ脱却論議の原典であるクルーグマンの議論(Krugman 1998、邦訳)は、さすがにもっと論理的に筋の通ったものとなっている。そこで、池田さんの「こども版」とまではいかなくても、できるだけ分かり易くクルーグマンの議論の要点を解説してみよう。 現在は、「流動性の罠(トラップ)」の状態にあるとしよう。これは、貨幣数量説的なメカニズムが働かないということである。すなわち、貨幣供給量が増えても、物価が上がるという関係は成り立たない。クルーグマンは、はっきりと「流動性トラップは、名目金利がゼロまたはゼロ近くになったために、伝統的な金融政策が不能になっ
日本の物価は上昇し始めた。 9月CPIは前年比プラス1.1%で08年10月以来の水準まで上昇し、日銀がターゲットとしているコアCPI(除く生鮮食品)も前年比プラス0.7%と、今年3月のマイナス0.5%からは明らかに転換している。 このまま行けば、インフレ目標2%が実現するということになるのだろうか。 いや、やはり、インフレは起きない。起きないのだ。 日本がインフレ傾向へ転換した一方、世界的にはデフレ化が進行している。 ユーロ圏の10月消費者物価指数(HICP)は前年比プラス0.7%と、リーマンショック直後以来の水準まで低下し、スウェーデンの10月消費者物価指数(CPI)は前年比マイナス0.1%と、予想されたプラス0.2%を大きく下回り、再びマイナス圏に入った。 欧州大陸だけでなく、景気回復が鮮明なアングロサクソン圏の英国、米国もインフレ率が鈍化している。 英国の10月CPIは前年比プラス2
最近、アベノミクスに関連して経済成長が話題になるが、これは、それが可能かどうか、ということは無視され、必要性から議論がされている感が強い。 私は経済成長を希求することは否定しないが、先進国の経済成長は不可能になりつつあると考えている。 ここでは、その理由と経済成長がなくても豊かに暮らす方法について考えたい。 先進国は何故不況に苦しんでいるのか? 日米欧の先進国は、現在、全て低成長に陥っている。欧州などは、日本よりひどく、今年も昨年に引き続きマイナス成長が予測されている。 何故、このように先進国全体が、低成長に陥っているのだろうか? 表面的には、アメリカの住宅バブル、金融バブルの崩壊(リーマンショック)、ユーロバブルの崩壊といったことが、ほぼ同時に起きた、という要因は挙げられるだろう。 しかし、これは本質的な原因なのだろうか? もっと本質的な原因は存在しないのだろうか?
この20年の間、日本で経済金融の議論ができるほどの人々の意見は大きく分かれていた。いわゆる「リフレ派」は、デフレを終わらせるために日銀のビッグ・プッシュ(民間に投資を即して経済成長させるための圧力をかける政策)を支持しているが、「リフレ」に反対する陣営は、そのような圧力が無駄になったり、あるいはハイパーインフレによる壊滅的破滅につながったりすることを懸念している。日本銀行は周知の通り保守的だが、「リフレ派」は(政権復帰した自民党の)安倍晋三氏という強力な援軍を得た、と感じているようだ。安倍氏が日銀の考えを覆すことに前向きで、かつその能力を持っているのを発見したことは(彼らにとって)画期的なことだった。 私はブログの中で、金融政策の有効性について懐疑的な考えを何度も書いてきた。私はマクロ経済学者というより金融エコノミストだが、大学院ではマクロを学んでおり、金融緩和支持者の理論モデルが持ってい
日本国債は日本国内の金融機関や投資家によって9割以上が保有されているため、日本国内でお金がぐるぐる回っているだけだから、日本政府は財政破綻しないという論法が存在します。これは正しいのでしょうか。 現在の日本を例えてみましょう。話を簡単にするために、日本にはAさん、B銀行、C会社と日本政府の4つしか存在しないとします。Aさんは多くの資産がありますが、貯蓄率は年々減り続けているため、その残高は近年横ばいで推移しており、今後はマイナスに転じる可能性もありそうです。また、資産の多くをB銀行に預金しております。 B銀行は、以前はAさんの預金をC会社に貸しておりましたが、近年のC会社の業績は芳しくなく、C会社への貸出金残高は減り続けています。有望な投資先もありませんので、C会社からの返済金は、日本政府が発行する日本国債に投資しております。 日本政府が発行する国債は日本国内で使われることから、Aさん、B
日本が問われる知的生産性の低下 / 記事一覧 バブル崩壊後の日本経済の低迷の原因を考える上で、日本の基幹産業である、ものづくりにおけるイノベーションの変化を考えることは重要である。そこで見えてくるのは、日本の知的生産性低下の問題である。こういった問題を見る限り、日本経済の長期低迷は構造的なものであり、マクロ経済政策のミスといった問題とは無縁の深刻な問題なように思われる。 現状認識 「日本のものづくり、競争力基盤の変遷」(湊徹雄著、日本経済新聞社)によれば、90年まで日本企業の特徴である企業系列、そしてそこでの摺り合わせにより、海外企業より優れた生産システムを構築していたため、日本のモノづくりは圧倒的に優位な品質、生産性を持っていた。しかし、その後、情報技術の進歩により、3D-ICT(3-dimensional Information Communucation Technology)に
「TPP開国論」のウソ 平成の黒船は泥舟だった 著者:東谷 暁、三橋 貴明、中野 剛志 販売元:飛鳥新社 (2011-05-14) 販売元:Amazon.co.jp ★☆☆☆☆ TPPをめぐる騒動は、首相の参加表明で一段落するかと思ったら、まだ続いている。今回の特徴は、新聞では(朝日から産経まで)反対論はほとんどないのに、ワイドショーやネットメディアで反対論が強いことだ。それは反対派が、新聞記者でもわかる程度の初歩的なロジックも理解していないからだ。それを示しているのが本書である。このコラムは良書を紹介するとともに悪書を駆逐する目的もあるので、あえて取り上げた。画像にはリンクを張ってない。 本書で間違いを探すのは容易で、正しい記述をさがすのがむずかしい。著者が3人とも、根本的な勘違いにもとづいて本を書いているからだ。たとえば三橋貴明氏は、比較優位の原理を否定して「自由貿易でデフレが起こる」
円が売られている。今日のドル円相場は1ドル85円以上で取引されている。一方で日経平均株価は下落した。実態はどうであれ、トヨタ自動車やキャノン、ソニーのような輸出産業に経済が牽引されていると信じられている日本は、円安になれば株価が上がり、円高になれば株価が下がる、ということを繰り返してきた。日経平均株価とドル円レートはきれいな逆相関を描いていたのである。しかし311以降、この関係が崩れ始め、今日はまさに逆になった。つまり円が売られドルやユーロに対して安くなり、同時に日本株も売られ安くなったのである。 出所:Yahoo!ファイナンス等から筆者作成 311以降の日本経済は供給側が制約になりつつある。首都圏の電力不足により多くの工場が稼働をストップさせている。もちろん地震や津波で直接の被害を受けた北関東・東北地方の工場もまだ回復していない。自動車産業をはじめ、日本の製造業は複雑なサプライチェーンに
東京でも計画停電が始まりました。最大5000万kWのうち1000万kWが不足するというから、緊急対応としてはやむをえないが、一律に停電することは交通や医療などに大きな影響を与えるので避けるべきです。ただ何が必要な用途で何が不要不急かを政府や電力会社が決めることはむずかしいので、利用者自身が重要度を判断して節約するためには電気料金を引き上げることが合理的です。 他方で、震災復興には巨額の予算が必要だと予想されますが、これを国債の発行でファイナンスすることは、ただでさえ危機的な財政をさらに危うくするおそれが強い。かといって消費税を引き上げることも政治的に困難です。そこで1年ぐらいの時限措置として電力消費税を創設してはどうでしょうか。 税率は電力消費を抑制するため30%ぐらいの高率にして東京電力の管内に限定し、税収の用途は震災復興に限定した目的税とします。東電の売り上げは約5兆円だから、これによ
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