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分析哲学に関するDOISHIGERUのブックマーク (17)

  • ネルソン・グッドマン/C.Z.エルギン『記号主義』 - logical cypher scape2

    サブタイトルは「哲学の新たな構想」で、原題のReconceptions in Philosohy and Other Arts and Sciencesの訳 序文で、科学と芸術あるいは認知と感情の二元論を脱却して、新しい哲学を打ち立てるというような宣言がなされる。 さて、実はこうしたグッドマン哲学のビジョンは、「Languages of Art」という著作で既に書かれている。 この読書会をこれまでしていて、その参考としてこのを読んだ。 ちなみに、読書会の結果報告として、4/28に行われる超文フリにて発行される『筑波批評2013春』には、「Languages of Art」についての座談会とレジュメが掲載されるので、興味のある人はそちらもどうぞ。 第一章 知ることと制作すること 非言語的な記号(絵画や音楽)にも認識論を拡大しよう、という話 知識は経験に、経験は知識に依存する 記号システ

    ネルソン・グッドマン/C.Z.エルギン『記号主義』 - logical cypher scape2
  • 帰納の懐疑と規則のパラドクス - 捨てる・おんぶ・ですってね

    2024.06 « 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 » 2024.08 (追記 この記事で示したような理解はあまり一般的ではないみたいで、そういうわけで、眉に唾つけて読んでください……すいません……) 1.規則のパラドクス ウィトゲンシュタインが最初に提案し、クリプキによって非常に有名になった議論として、「規則のパラドクス」というのがあります。クリプキの提示した例が非常に有名なので、それを使って説明しましょう(*)。 今、あなたと誰か(スケさんと呼ぶことにします)が、二人で足し算の計算練習をしているとしましょう。さて、あなたが見てきた足し算も、また実際に行なってきた足し算も、基的には有限回であり、ある一定の範囲内の数を足したものです。スケさんについてもそれは同じです。そこでとりあえず、今まであなたたちは48未満の

  • ラッセルの哲学[1903-1918] - 株式会社 勁草書房

    ラッセルが20世紀初期に論じたセンスデータ論は、当に命運が尽きたのか。その議論に精緻な深みを読みとった著者が、既存の解釈を徹底的に破壊し、新たな視点から一貫した体系の提示を試みる。さらに著者自身の議論によって新たな概念を導入し、センスデータ論をひとつの世界像として完成させる、渾身の作品。 まえがき Ⅰ 論理的原子論―「ないもの」と実在 第1章 前史―『数学の諸原理』の存在論 1.1 関係の実在性をめぐる論争 1.2 『数学の諸原理』の意味論と存在論 1.3 『数学の諸原理』の存在論の問題点 第2章 「不完全記号」の学説 2.1 記述理論 2.2 無クラス理論とタイプ理論 2.3 多項関係理論 2.4 『外界の知識』以降の不完全記号の学説 2.5 「不完全記号」概念にまつわる注意点 第3章 論理的原子論の体系 3.1 実在の秩序 3.2 「ないもの」の秩序とその構成 3.3 不完全記号の学

    ラッセルの哲学[1903-1918] - 株式会社 勁草書房
  • Metaphysical Kit - 3:AM Magazine

    Kit Fine is a groovy metaphysician. He keeps asking questions about the fundamental questions of reality. He has the cool title of Silver Professor of Philosophy and Mathematics at New York University. He has written the books Modality and Tense: Philosophical Papers, Semantic Relationism, The Limits of Abstraction, and Reasoning With Arbitrary Objects. He has brooded on Aristotle‘s account of log

    Metaphysical Kit - 3:AM Magazine
    DOISHIGERU
    DOISHIGERU 2012/03/24
    インタビュー
  • 青山拓央『分析哲学講義』 - logical cypher scape2

    ちくま新書から出た分析哲学の入門書。 分析哲学の入門書というと、先日、講談社選書メチエから、八木沢敬『分析哲学入門』というも出ているが、この両者はある意味ではよく似ているし、ある意味では結構違う。 どちらも分析哲学とは何かというところから始め、言語哲学について説明したあと、クリプキを挟んで、心の哲学と形而上学へと至るという構成になっている。 新書と選書という違いはあるが、どちらも大体同じページ数であり、コンパクトながらもぎゅっと詰め込まれている。どちらも入門書として丁寧に書かれていると思う。 両者の共通点として、入門書としては珍しく、筆者の自説が展開されているところもあるだろう。青山におけるそれは後述するが、八木沢では例えば様相実在論の主張などがそれにあたる。 この両者の違いはいくつかあるが、まずは文体の違いが大きいだろう。 心の哲学における機能主義について説明しているところから引用

  • 現代哲学のフロンティア 神野慧一郎編

    蒙昧と空語を排除し、理性と事実に訴えた議論をめざす、主に関西の英米哲学の研究集団〈科学哲学コロキウム〉。知識論、言語哲学、心の哲学などに見る最前線のテーマ。 まえがき I 知識論 第一章 知覚による知識[土屋純一] 第二章 視覚と実在[神野慧一郎] 第三章 科学的実在論[小林道夫] II 言語哲学 第四章 意味とコミュニケーション[伊藤邦武] 第五章 指示と意味――反フレーゲ的意味論の展開[美濃正] III 心の哲学 第六章 心は脳に還元されるか[土屋盛茂] 第七章 私と行為[中才敏郎] IV 方法論 第八章 理論の還元は可能か[内井惣七] あとがき 事項索引 人名索引

    現代哲学のフロンティア 神野慧一郎編
  • 言語哲学 W.G.ライカン著 荒磯敏文 訳 川口由起子訳 鈴木生郎訳 峯島宏次訳

    言語哲学は20世紀を通して哲学の焦点の一つであったが、1960年代以降、とりわけ大きな進展をみせた。書は言語哲学の領域を四つに分けて概説したものである。第I部はラッセルと最近のクリプキの理論、第II部は書の中核をなす意味の理論、第III部は言語行為論と語用論、第IV部はメタファー論である。 序文 第1章 意味と指示 あらまし 意味と理解 意味の指示説 まとめ・問題・文献案内・注 I 指示の理論 第2章 確定記述 あらまし 単称名 ラッセルの記述の理論 ラッセルの理論への反論 ドネランの区別 照応 まとめ・問題・文献案内・注 第3章 固有名:記述説 あらまし ラッセルの名前の省略説 最初の反論 サールの「記述の束説」 クリプキの批判 まとめ・問題・文献案内・注 第4章 固有名:直接指示と因果―歴史説 あらまし 可能世界 固定性と固有名 直接指示 因果―歴史説 因果―歴史説の問題点 自然種

    言語哲学 W.G.ライカン著 荒磯敏文 訳 川口由起子訳 鈴木生郎訳 峯島宏次訳
  • グッドマンの記号主義

    グッドマンの記号主義 書〔菅野盾樹『恣意性の神話』〕で筆者は機会あるごとにグッドマン(1906-1998)の業績に言及してきた。特に第七章で藝術を記号機能の面から考察するにあたり、文中でも言明したように、理論枠組の一つの重要な柱として、グッドマンの記号理論を採り上げた。この豊穣な可能性を秘めた記号理論を、彼はほとんど独力で作り上げた。しかし、残念なことに、我が国ではグッドマンに関する十分な紹介がなされてはいないし、また彼に関する研究の蓄積もほとんど無きにひとしい。翻訳された著作は現時点では二冊にすぎず[エルギンとの共著『記号主義』を含め現時点では三冊]、主著の翻訳はいまだに陽の目を見ないでいる。 グッドマン哲学の全体像は、一般読者の前にはまだ姿を現していない。部分的にさえ、彼の哲学に関する一般的な理解はきわめて貧弱である、というのが偽らざる実状であろう。そこで、グッドマンに関する読者

  • Miura Toshihiko's page: 知の先端18人:ソール・クリプキ

    三浦俊彦「(知の先端の18人)ソール・クリプキ」 『大航海』1999年6月号 pp.132-137. *ソール・クリプキ(Saul A. Kripke, 1940〜 ) クリプキの代表作(邦訳) ・『名指しと必然性』(八木沢敬・野家啓一共訳: 産業図書、1985年) ・『ウィトゲンシュタインのパラドクス』(黒崎宏訳: 産業図書、1983年) ・「話し手の指示と意味論的指示」(『現代思想』1995年4月号所収) 様相論理学と可能世界 二十世紀の全哲学者について、その思想内容の深遠さを分子に、思想表現の難解さを分母にとったいわば「思想的価値係数」を算出したならば、ソール・クリプキはまず間違いなく、第一位かその近辺にくるのではなかろうか。少なくとも英語圏に限ってみると、クリプキの論説のわかりやすさは群を抜いている。文章が流麗なだけでなく、論証過程も定理の証明さながら整然とし、いかな

  • 言語哲学 - Wikipedia

    言語哲学(げんごてつがく、英: philosophy of language)または言語の哲学は、語義的に二つの意味に大別される。 言語の構造・意味・使用法・レトリック等についての哲学。言語の哲学とも呼ぶ。 分析哲学、いわば、言語こそが先立つものであり、言語の理解なくして哲学の問題は解決されえないとする哲学。言語的哲学 (英: linguistic philosophy) とも呼ぶ。分析哲学も参照のこと。 「言語の哲学としての言語哲学」については一方では古代ギリシャの文法学や古代ローマの弁証法(dialectike)や修辞法(retolike)を淵源とする。他方で、純粋な哲学としては、その祖イオニア学派も自然学に傾倒したがその過程で既にパルメニデースやゼーノーンはパラドクスを駆使している。また、ソピステース(ソフィスト・知者)たちは相手に議論によって勝利しようとしたことから、また、「知を愛

  • ヒラリー・パトナム - Wikipedia

    ヒラリー・ホワイトホール・パトナム(Hilary Whitehall Putnam、1926年7月31日 - 2016年3月13日)は、アメリカ合衆国の哲学者。1960年代以来、特に心の哲学、言語哲学、科学哲学などの分析哲学の中心人物であった。自分自身の哲学的立場に対する、厳格な分析で知られ[1]、頻繁に自身の立場を変更した[2]。 心の哲学では、彼の多重実現可能性という仮説に基づいて、精神と身体の状態のタイプ同一説に対する反論を行ったことや、機能主義という心身問題に関する影響力のある理論でも知られている[3]。 言語哲学では、クリプキなどを踏襲し、指示の因果説の理論を発展させ、また双子地球(Twin Earth)論と呼ばれる有名な思考実験に基づいて意味論的外在主義という考えを生み出し、独創的な意味の理論をつくりあげた[4]。 数理哲学では、彼の指導者であるクワインと共同でいわゆる「クワイ

    ヒラリー・パトナム - Wikipedia
  • アメリカ合衆国の哲学 - Wikipedia

    ジョナサン・エドワーズはアメリカで最も初期の重要な哲学的神学者であると見なされている[3]。「怒れる神の御手の中にある罪人」というような精力的な説教(これが第一次大覚醒運動を始めたと言われる)で知られたエドワーズは、「神の絶対的主権と神の神聖さの美」を強調した[3]。エドワーズはニュートン力学の助けを借り、キリスト教のプラトン哲学に経験主義的認識論を統合した。経験主義者であるジョージ・バークリーの影響を強く受け、バークリー司祭から人の経験創造のために非物質的なものの重要性を導き出した。 非物質的な精神とは理解と意志であり、ニュートン信奉者の枠組みで解釈するとエドワーズの抵抗に関する基的形而上学分類を導き出すのは理解である。ある物体がどのような面を備えていようとも、その物体は抵抗するのでこのような特性を持っている。抵抗自体は神の権力の行使であり、物体がその運動状態を「変えようとしない」とい

    アメリカ合衆国の哲学 - Wikipedia
  • ブライアン・マギー「分析哲学の限界-現代哲学における大きな分裂」-バートランド・ラッセルのページ

    * 出典:『哲学人(てつがくびと)』下巻(日放送出版協会、2001年3月刊)pp.304-316 * ブライアン・マギー(1930年~ )は、オックスフォード大学で史学、哲学、政治学を、エール大学で哲学を学ぶ。テレビ・ラジオの哲学解説番組の制作・出演、及び、執筆活動を通して、哲学をわかりやすく紹介している。国会議員も経験。 *今回は、ブライアン・マギー(右の写真)の分析哲学批判を紹介。:『哲学人』下巻第23章(=「分析哲学の限界-現代哲学における大きな分裂」)のなかの3節(「分析哲学者たちが共有していた哲学観」「分析哲学への不幸なリアクション」「'分析哲学は当の哲学ではない'という非難は正しい」) 分析哲学者たちが共有していた哲学観 すでに述べたとおり、ムーアとラッセルが、それまで手引きとしてきた新へーゲル主義的観念論と決別したのち、分析的アプローチを創始すると、これが大学の哲学に広く

  • サービス終了のお知らせ

    サービス終了のお知らせ いつもYahoo! JAPANのサービスをご利用いただき誠にありがとうございます。 お客様がアクセスされたサービスは日までにサービスを終了いたしました。 今後ともYahoo! JAPANのサービスをご愛顧くださいますよう、よろしくお願いいたします。

  • ルドルフ・カルナップ - Wikipedia

    1891年、ドイツのロンスドルフ(現在のヴッパータル)生まれ。バルメンのギムナジウムで学び、その後フライブルク大学で、数学、物理、および哲学を学ぶ。初め物理に興味を持っていたが、第一次世界大戦で研究を中断。その後、哲学者ブルーノ・バウフ(de:Bruno Bauch)のもとでDer Raum(「空間」)と題した博士論文を提出し、引き続き論理実証主義の視点から物理学上の問題について研究した。1924年から1925年にかけてはフッサールの講義に出席している。 1926年にはウィーン大学で職を得、またウィーン学団の一員となる。当時のウィーン学団にはハンス・ハーン、モーリッツ・シュリック、フリードリヒ・ヴァイスマン、オットー・ノイラートなどがいた。またウィトゲンシュタインとも接触している。1928年の著書Der logische Aufbau der Welt(『世界の論理的構成』)では、科学的知

    ルドルフ・カルナップ - Wikipedia
  • ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン - Wikipedia

    1930年代から1940年にかけて、カルナップやネルソン・グッドマンそれにアルフレッド・タルスキーや他の哲学者たちと議論をする中で、クワインは「分析」命題と「総合」命題との間の区別がそれほど強固なものではないのではないかと疑問を持つようになった。「分析」命題とは、ただ言葉の意味によって真である命題であり、たとえば「すべての独身者は結婚していない」といった命題のことである。「総合」命題とは、その真偽が世界についての事実がどうあるかに依存する命題であり、たとえば「がマットの上にいる」といった命題である。これら命題の区別こそ論理実証主義にとって核心である。クワインは1951年に発表した論文『経験主義の二つのドグマ』(Two Dogmas of Empiricism)においてこれを批判。クワインの批判によって論理実証主義は衰退したともいわれる。なおクワイン自身は、分析-総合の区別を掘り崩すのに検

    ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン - Wikipedia
  • 自然主義的誤謬 - Wikipedia

    自然だから良い、正しい(あるいは不自然だから悪い、間違っている)という主張については「自然に訴える論証」をご覧ください。 この記事には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2022年1月) 自然主義的誤謬(しぜんしゅぎてきごびゅう、英語: Naturalistic fallacy)とは、メタ倫理学において、善を快いとか好ましいといった自然的性質で還元的に説明することは誤りであるという主張である[1]。この用語は、イギリスの哲学者G・E・ムーアが1903年に出版した著書『倫理学原理』の中で初めて用いられた[1]。 『倫理学原理』のタイトルページ 20世紀初頭に G. E. ムーア が著書『倫理学原理』の中でこの言葉を導入した。 ムーアは、哲学的議論は、ある特定の

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