松浦武四郎は「北海道」の名付け親である。1844年から6回蝦夷地に渡っている。そして蝦夷地の詳細な調査を行い、その中で和人によるアイヌへの残虐行為を告発したことで知られる。 水戸藩のバックアップがあったこともあり、いわゆる「勤王の志士」扱いをされることもあるが、明治維新の時に就任した開拓大主典に就任し「蝦夷地」を「北海道」に変えたことで知られるが、わずか半年で辞任した。開拓使がアイヌの生活基盤を破壊した場所請負制を継続したことに抗議したためとされる。 松浦武四郎の評価も時代に翻弄された。明治時代前半には評価されなかった。一つには彼の実地調査には過ちが多かった、ということも事情の一つだが、彼のアイヌに対する和人の残虐行為の告発があまりに生々しく、実際にアイヌへの残虐行為に携わった人々がまだ存命で、しかも彼らがそこで得た資金を元手に社会の中枢に昇っていたことも関係していたと思われる。 関係者が