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noteに関するHeavylugのブックマーク (3)

  • 木村拓哉さんのおじさん構文で若者の二度手間を嫌がる感覚に目からウロコポロリ|秋山具義

    木村拓哉さんを4回見たことがあります。 ◉街中で2回。 初めて見たのは1990年代後半で、友だちがバイトしていたBARで。当に存在するんだと、奮えました。 街で見た2回目は、たしか2000年代。ぼくが道に立っていたら200メートルくらい先からこちらに向かってくる自転車がやたらとオーラを放っていて、横を通り抜けた時に、ナス型の濃いサングラスをかけているにも関わらず、木村拓哉さんであることはすぐわかりました。今まで生きてきて、自転車に乗っている人で一番かっこいいのは、いまだにあの時の木村拓哉さんだと思います。 ◉映画の撮影現場を見学させてもらった時に1回。 3年くらい前だったかな。 七三分けでもカッコよかったな〜 ◉そして、雑誌の表紙の撮影として仕事で1回。 2002年当時、ぼくは『広告批評』という雑誌のアートディレクターをしていまして、「広告SMAP」という特集号がありました。 撮影時間は

    木村拓哉さんのおじさん構文で若者の二度手間を嫌がる感覚に目からウロコポロリ|秋山具義
  • 「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)

    (四半世紀前の思い出。間違い、勘違いがいくつかあります。修正しようと努力しましたが、次第につじつま合わせに必死になり、書き上げた時の情熱を自ら消してしまいかねないと気づきました。なので10年以上も迷って、やっとついに書き上げることができたままの文を残しておきます。) 大学生時代、塾講師のバイトをしていた。理由は金。岩手県で「現役東北大学生が勉強を教えます」とぶん回せば仕事がたくさん来た。家庭教師もしていたが、すぐに塾一に絞った。希少性を高めるため、不便なところを狙った。動機は金。岩手の実家から高速バスで1時間半揺られ、山奥の町の中にあるたったひとつの塾に週3回通った。当時の岩手はのんきなもので、高校進学の選択肢もそんなに多くはなかった。進学校に行くか、そうではない高校に行くか、それぐらい。それでも我が子のよりよい将来を願って、子供を塾に通わせる親が増えてきていた。 両親の願いを背負って送

    「先生がオメガを倒したら宿題やってきてやるよ」と生徒が言ったので、わたしはゲームライターになった|Yuka S. (or rurune)
  • YouTuber事務所のUUUM、「note」運営元と資本業務提携 “書き手”のサポートも開始

    YouTuberマネジメントを手掛けるUUUM(ウーム)は7月12日、コンテンツ配信サービス「note」を運営するピースオブケイクと資業務提携すると発表した。YouTuberのマネジメントで培ったノウハウを生かし、noteで人気の書き手をサポートしていく。 第1弾として、note上で活動するクリエイターのオリジナルグッズを、UUUMが運営するオンラインストア「MUUU」(ムー)で販売する。その後も「(noteのクリエイターを支援することで)個人がコンテンツを発信して直接ファンと結び付き、ファンに対して直接ビジネスをする流れを加速させる」という。 noteは、文章・画像・動画を組み合わせた記事を誰でも投稿・販売できるサービス。記事1当たりの価格をユーザーが設定できる点が特徴だ。小説やエッセイ、日記、転職ノウハウなどが日々投稿され、月間アクティブユーザーは約1000万人(2019年1月時点

    YouTuber事務所のUUUM、「note」運営元と資本業務提携 “書き手”のサポートも開始
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