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ブックマーク / ohnosakiko.hatenablog.com (13)

  • 会田誠の作品について(5/1トークより抜書き) - ohnosakiko’s blog

    去る5月1日、大阪で行われた合宿勉強会「集まるのが大事vol.2」(テーマ=反抗)の二日目に登壇し、以下のような内容で90分ほどのトークをした。 「反抗 vs 反抗 」の外へ―性的表現と性差別批判の弁証法― 【概要】 美術に現れる女性の裸体表現は、かつては神話の文脈と宗教の縛りの間にあったが、次第にその制約を離れ、個としての性表現へと変化・多様化してきた。一方フェミニズム批評による美術史の読み直しにより、作品中の男性視点や性規範が指摘されるようにもなった。近年は強い反発と撤去要請が起こるような事案も散見される。 議論を呼んだ主な女性ヌード表現及び批判の文脈を辿り、「反抗 vs 反抗」の隘路から「外」に出る視点について考える。 【内容】 ① 「女を見る」をめぐる男/女の非対称性 ② 西洋美術における女性ヌードの位相 ③ 近代日の西洋美術、性道徳の受容 ④ 「性差別」という批判の始まり ⑤

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    Indigo_blue
    Indigo_blue 2021/07/16
    PAPSの「森美術館への抗議文」では、「公共空間で公序良俗に反する作品を展示するな」と主張しているので、美術館はどういう場所かというこの論評は適切だと思う。
  • あんかけスパと河村名古屋市長 - ohnosakiko’s blog

    名古屋に、あんかけスパというものがある。茹でた極太のスパゲッティを更に油で炒め、そこに炒めたウィンナーやピーマン、タマネギなどの入った中華飯のタレみたいなものをかけたやつが一般的。味はややピリカラ。 名古屋人なら一度はべたことがあるという、このあんかけスパ。名古屋の味として有名な、ファンも多いというあんかけスパ。私は大嫌い。生粋の名古屋人だけど。 あんかけスパは60年代から名古屋にあったらしいが、幸か不幸か20代(80年代)になるまで、その実体を知らなかった。ある時喫茶店に入り、お腹がとても空いていたのであまり考えずに頼んだら、ソレが出てきた。 一目見て、ギョッとした(ギョッとしたい方はWikipediaで写真をご覧下さい)。だいたい麺が太すぎる。ドロッとしたソースが不気味。でもせっかく頼んだので、とりあえず口に運んだ。 ‥‥‥これ、スパゲッティじゃない! 不味くてえん、とまでは言わな

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  • ジェンダー平等社会のエロの位相、あるいは欲望と配慮の関係 - ohnosakiko’s blog

  • 「嫌悪感の表明」と「相互理解」の間 - ohnosakiko’s blog

    最近話題になっていた、セクシュアルマイノリティへの施策をめぐる千葉市長の一連のTweet(わかりやすくするため番号を振った) 1 先ほど定例記者会見で、性別が同一である者とパートナーシップを形成している職員が介護休暇や、結婚休暇に相当するパートナー休暇を取得できる制度を発表。 既に事実婚でも休暇の取得が可能なもので、性的多様性に配慮できる項目と判断しました。事実婚で許容されている分野・趣旨を今後も精査します— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2016年11月10日 2性的多様性の話でよく少子化の話をする人が居るのですが、では子供が出来ない年齢での異性婚も認めないということなのでしょうか?今でも性同一性障害の方は性別が変更できるのですが、それに反対しましたか?そもそも多様性を認めなければLGBT等で苦しんでいる方は異性婚に行くと思いますか? https://t.co/

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    Indigo_blue
    Indigo_blue 2016/11/15
    自分が抱く嫌悪感をコントロールするために、まず「嫌悪感を持つ内面」を自分で普通のことだと認める事が必要だと思う。それを隠そうとするから、嫌悪感がもっともらしい理屈の仮面を付けて出てくるのではないか。
  • 「理想」と「欲望」は切り分けできないし、「萌え絵」は「日本美術」ですよね(どっちかというと) - ohnosakiko’s blog

    「萌え絵」が批判されるのは歴史がないからじゃない - 最終防衛ライン3 結論が最初の方に書かれている。 「萌え絵」も「理想」のひとつであろう。「萌え絵」が批判されるのは、誇張表現だからだし、誰かにとっては「理想」ではなく「欲望」にしか見えないからだ。現在「芸術」として残っている「裸婦像」は多くの批判に耐えて残ってきたものである。果たして「萌え絵」はそれに耐えられるだけのバックグラウンドを形成できるだろうか。この点を無視して時間や歴史が解決すると結論付けるのは、いささか楽観的すぎるだろう。 「独りよがりの「理想」はしばし、欲望の発露として捉えられるだろう」ともあったが、「欲望」の発露と捉えられてはいけないというのは何故かなと思った。「理想」であり同時に「欲望」の発露でもある、ということではいけないのだろうか。ヌード絵画から少女マンガまで、ほとんどの絵がそうじゃないですか? ”「欲望」それ自体

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    Indigo_blue
    Indigo_blue 2016/10/27
    英語圏のファンが「萌え」をどのように理解しようとしてるかというと、日本という”オリジナル”を最大限に尊重している。西洋の評価軸を気にする前に、そういう現状があるのも知っておいた方がいいと思う。
  • 『あなたたちはあちら、わたしはこちら』刊行のお知らせ - ohnosakiko’s blog

    2006年に初めてのを出してから5冊目の単著になる映画エッセイ『あなたたちはあちら、わたしはこちら』が、大洋図書から刊行されます。 30代後半から80歳過ぎまで、中年以上の女性が主人公となっている映画12を取り上げ、その心情を掘り下げて考察したものです。WEBスナイパーに昨年から今年にかけて連載していたレビュー(現在読めるのは第一回のみです)に全面的に手を加え、さらに一つひとつのテキストに、各女優についての書き下ろしコラムを添えました。 webのほうは18禁サイトということで開くのを躊躇したり、開いてもテキストの両サイドに並んでいる「過激コスプレデリ」とか「四十路」のナントカいうのが気になって文章が頭に入らなかったという方も、これで心置きなくじっくりお読み頂けると思います。 連載に載せていた色鉛筆によるイラストは、カラー口絵12枚となって冒頭を飾っています。原画をほぼ忠実に再現した印

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  • 『超絶技巧!明治工芸の粋』に肝を潰す - ohnosakiko’s blog

    先日、岐阜県立現代陶芸美術館で開催中の『超絶技巧!明治工芸の粋』を観に行った。 明治工芸と聞いてもあまりイメージの浮ばない方は、下のリンク先を。 岐阜県立現代陶芸美術館 展覧会情報01 左上の「パイナップル、バナナ」、中段中の「竹の子、梅」は実寸大の象牙彫刻(牙彫)。この安藤緑山の作品をナマで観たいというのが、今回の主な目的。 初めて行く岐阜県立現代陶芸美術館は、中央線多治見駅からバス15分、徒歩10分。目印が何もなくやや不安になりかけたところで、美術館地階入り口への道があった。滝と川を取り込んだ、風流ながら大胆な作りの建築物。周辺の山には散策路があるようだ。 七宝、金工、漆工、薩摩、刀装具、自在、木彫・牙彫、印籠、刺繍絵画の全163点の展示作品はすべて、京都の清水三年坂美術館所蔵(村田コレクション)のもの。 最初にあるのは、並河靖之の七宝の皿や壷。蝶をモチーフにした驚異的に緻密な仕事に度

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  • 「盗作さん」と言われた話 - ohnosakiko’s blog

    (※この記事は五輪エンブレム問題における佐野氏の責任に言及するものではありません) ohnosakiko デザイン, 社会 佐野氏の人柄とかこれまでの仕事などにあまり関心はないが、今回この件で「クリエイト」ということにたくさんの人が強い期待を抱いていてオリジナリティ神話が生き続けているのを目の当たりにした気分 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-263706487 ohnosakiko デザイン, ネット >インターネットの質である「共有」というシステムを、自らの個人的な名誉と利益のために利用したというところ/デザイナーはエディター(出自を明らかにしたありものを編集する)に近いという認識が必要かも。 http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20150902#bookmark-264651028 五

    「盗作さん」と言われた話 - ohnosakiko’s blog
    Indigo_blue
    Indigo_blue 2015/09/04
    ほろ苦いいい話。例え工作の本通りでも、小学5年生が工夫して材料を集め、試行錯誤で難易度の高い工作を完成させるプロセスが「ものづくり」の本質の学習になっている。それを「台風鈴」と名付ける感性がアート。
  • 「芸大」という呼び名にまつわる意識と心理 - ohnosakiko’s blog

    先日、ブックマークコメントで見事に噛み合わないやりとりをした。 発端は疲れたというタイトルの増田の記事で、この中に、芸大を受けたが志望校は失敗し、「別の一番入りやすかった芸大」に入ったという記述が出てくる。これに対してブコメで「芸大落ちたのならそれ以外は美大って言うでしょう普通」「芸大と美大の区別ができてない」という意見を見たので、 ohnosakiko (↓芸大ったら東京芸大だけと思ってる人がいるかもしれないが、京都、愛知、沖縄、大阪、名古屋など美大ではなく芸大とつくところはピンキリで一杯あるんですよ((つか私の知ってる学生じゃなかろうな‥‥ というブコメをつけたら、その後 okxiav 芸大と略せる学校は東京藝術大学以外にもあると言うのは東大と略せる学校もいっぱいあるよねみたいなもんだから、意図的に誤解を招きたい時以外はやめといたほうがいいかと との意見が別の人からあった。 参照:ht

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  • 自分の文章が入試問題に使われること - ohnosakiko’s blog

    センター試験の国語に「クソリプ」「パクツイ」問題 著者「俺が正解できるのか」 - ねとらぼ 上のタイトルだけ読んで一瞬「センター試験の問題に、クソリプとかパクツイという単語を散りばめたテキストが採用されたのか、すごいな」と思ったらそうではなく、佐々木敦氏の『未知との遭遇』(筑摩書房)の中のツイッターについて論じられている箇所からの引用で、そこにツイッター・ジャーゴンである「クソリプ」や「パクツイ」に相当する事例が出されているということだった。 ↓問題文 大学入試センター試験 | 解答速報2015 | 予備校の東進 問2で思わず笑ってしまった。『教えて君』と『教えてあげる君』の関係を記述した5つの文から正解を選ぶのだが、「これを作った人、それぞれ具体的な例を思い浮かべていたでしょ」と思えて仕方ない。いや絶対そうだ。試験会場で笑いをかみ殺した受験生もいたのでは。 著者の佐々木氏は自身の文章が掲

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  • 「どちらが真の弱者か」をめぐる闘争 - ohnosakiko’s blog

    このあたりに始まる小田嶋隆氏の「失言」問題が、まだ尾を引いているようだ。ご当人が自己弁護のつもりでブログに過去のテキストを発表したが、それが自身が否定している「バックラッシュ」や「ミソジニー」をそのまま体現しているとして、また批判を呼んでいるという状況。 ohnosakiko [フェミニズム][内容とあまり関係ない] 被差別者から差別者への、弱者から強者への抗議が「ヒステリー」的でなかったことなんてほとんどないと思う‥‥(今回は小田嶋氏がヒステリー起こしたように見えたけど)/ヒスは時々起こすべき http://b.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20140515#bookmark-195190122 この自ブコメの中で「ヒステリー」という言葉に「」をつけたのは、小田嶋氏が公開した過去のテキストで(フェミニズムの記述する)「女性史」を指して使っていたことを前提としている。普通

    「どちらが真の弱者か」をめぐる闘争 - ohnosakiko’s blog
  • ヒステリーを起こす側と起こさせる側 - ohnosakiko’s blog

    ねえ、答えてよ! 今日私は、久しぶりにヒステリーを起こした。 午後、仕事が休みの夫がふらりとどこかに出かけ、小一時間ほどして帰ってきた時のこと。普段なら「どこ行ってたの?」とわざわざ聞かない。パチンコか屋か喫茶店くらいしか行くところがないのは、よく知っているから。いつものことだ。しかしその時はなんとはなしに訊いた。 夫は、そういう質問に答えるのが面倒な時は答えない、非常にものぐさな人である。私の言葉遣いに咎めるような調子がある時は、特に答えない。 その時は別に咎めるような調子ではなかったはずだが、よほどめんどくさかったか、疲れていたのか、聞こえないふりしてやりすごそうとした。私も普段なら「あーまただよ、しょうがないな」と思い、自分の用事に戻る。 しかしその時はなぜか、どうしても答えさせたいと思ってしまった。それで私は夫のすぐ傍まで寄って、同じ質問を繰り返した。 「どこ行ってたの?」 「‥

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  • アートの幻想 --- 1. 資本主義カルチャーとしてのアート - ohnosakiko’s blog

    10、デュシャン 現代芸術ってやったもの勝ちであることに早々に気づき、かつそれを自虐的に利用して「やったもの勝ち」の領域に堕すことの無かった奇才。以後の芸術家は、「美術史は第一世界大戦で終了しました」と言って憚らない自分の目から見れば、美術史が第一次世界大戦で終わらないことへの数少ない反証。 ちなみに、ポロックと悩んだ。でもポロックのやったことは、要素的な意味でピカソに吸収されうるな、と。そして、前述したようにそれはセザンヌに内包されて、結局セザンヌが始祖なんじゃないかと。ウォーホル?私はポップアートをアートと認めていないのであしからず。ポロック、ウォーホルへと続く現代芸術評価って、発展史観によって「作られた評価」にしか思えない。 nix in desertis:偉大なる画家十選より 現代アートはやったもの勝ち。美術史は第一次世界大戦で終了。それ以降のアートは発展史観による評価に依存。いや

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