早いもので東日本大震災から、今年で10年を迎える。 あの日の出来事は直接震災を経験した東日本の人だけでなく、多くの人々の胸に深く刻まれていることと思うが、私自身も忘れられぬ経験をした。 10年の節目に振り返ってみたいと思う。 この経験を書き記すことで震災ではこんなことも起こりうるのだということ、また依存症問題でこのような経緯をたどることがあるのだということを知っていただければと思う。 暴力団員の送迎依頼 それは関西にある依存症回復施設の依頼から始まった。 私は、依存症者を持つご家族や、依存症者の支援に関わる援助職の方の依頼で、依存症の当事者の介入や、依存症回復施設への繋ぎ役をすることがある。 しかしこの依頼は、それまで経験したことのない、また、依存症支援に関わるようになって11年間でもこの1度きりしかない珍しい経験となった。 依頼の内容は、某県の警察署より回復施設に連絡があり、「薬物の自己
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