ネイルで使う材料で、DIY時の木割れやネジ跡を派手にしたらかわいい OSB合板でちょっとしたボックスをつくりました。 ビス止め下手すぎて木を割ったり穴あけすぎたりした場所に、好きな派手色の樹脂を詰めてパテ代わりにしてみました。 ちょっと某HAYっぽみ出て可愛かったので、自分用にメモです。 手順 塗装 派手色グミジェルで失敗部分…
この世知辛い世の中を離れて、ひっそりと静かに暮らしたい…… みたいな願望は、いつの世のひとも心の中にそっと抱くものだと思います。 人里離れた場所に住まう仙人とか賢者とか魔法使いとか元政治家とかの話が多いのは、そのへんの願望を微妙に反映してたりしますよね。 ところで現代人の似たような願望の一つに「喫茶店のマスター(orペンションのオーナー)」願望というのがあります。この概念はいま私が作りましたが。 忙しい情報過多な現代社会に疲れがちな私たちは、「いかにも大人な雰囲気を持った喫茶店のマスター」というやつに憧れて止まないんですよ! 憧れというのは実に多様な形をとるものですんで、 「素敵な喫茶店マスター(これはおねえさんでもよいのです)に認められて常連になる」 という比較的現実的な夢から始まって、 「ある雨の日、客が来ずに店内でマスターと二人きりになって悩み事を相談する自分、適切な言葉で慰めてくれ
7月にタイから帰ってきてから日本各地をふらふらと放浪している僕ですが、ネットカフェからドヤ街まで、いろんなところに泊まってみた感想をまとめてみようと思います。 ネットカフェ 1泊1000円〜3000円(時間数と部屋のタイプによって変動) 「ネットカフェ難民」などという言葉もできて、宿泊場所としてもメジャーになりつつあるネットカフェ。最近はシャワー備え付けの店もかなり多いです。 ネットカフェにずっと住み続ける人もいるみたいだけど、基本的には1泊だけの短期滞在向けだと思う。というのは、ネットカフェは1時間ごとに課金されるため昼も夜も滞在しているとかなりの金額がかかるので、基本的には滞在するのは夜だけで昼の間に荷物を置いておいたりすることはできないため。長期滞在の場合は荷物はコインロッカーを利用するのだろうか。 料金は大体1時間400円〜500円だけど、夜間はナイトパックというものがあって、5時
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります たぶん「リアル」と認識される根拠というのは、感覚の中心として認識される場所には無くて、 むしろ視野の端、意味をなさない言葉や音、感覚の外の「気配」みたいな場所から知覚されるのだと思う。 銀河鉄道の夜 映画銀河鉄道の夜が面白い。 プラネタリウムでしか上映できない特殊な映画。 関東だと、サンシャインシティのプラネタリウムで上映中。 スクリーンはドーム。天井いっぱいに画像が広がるから、上映が始まると、視野の全域が コンピューターグラフィックスでいっぱいになる。 これが滅茶苦茶リアル。 3D 画面になっているわけでもなく、 画像の質感も、CG らしいつるっとしたものなのに、 「凄いCGを見た」ではなくて、「別の現実を見せられた」ように感覚される。 目
常軌を逸した暑さに比例するように、ますます高まる性欲。わたしはこの夏、自分の肉欲を持てあましていた。暑い。性行為がしたい。アイス食べたい。アイスを食べたり性行為をしたりしたい。それが夏というものだとわたしはおもった。わたしは、名誉や金にはあまり執着しない方だとおもうが、虚栄心と性欲だけは人一倍だ。あきらかに品性下劣なわたしの人間性だが、そんな自分自身を否定したくはない。街には、わたしを挑発するように、いやらしいからだを露出しながら歩きまわる女性たちでいっぱいだ。なんて淫らな女どもだ、とわたしは憤った。抱いてやる、おまえらをまとめて。ブラジャーの肩ひもが見えている。あの下にはきっとおっぱいがあるにちがいない。わたしの経験によれば、女性のブラジャーを外すと、かなりの確率でおっぱいがある。 ところかわって。わたしは友達数人と飲んでいた。ビール数杯ののち、ウーロンハイでいい塩梅。となりには友達の女
友人のセキゼキさん(仮名)と喫茶店に行ったときのこと。 「おれはね、昔、非情な人間になりたかったんだ。なれると思っていた」 「ああ、確かに、初めて会った頃はちょっとそんなかんじだったね。なんかやさぐれた雰囲気を漂わせていたような? しっかし非情な男ってのは、変わった目標だよなあ」 「自分には非情な素質があると思っていたしね。まあそれも勘違いで、結局諦めるしかなかったわけなんだけど」 「非情な男になるのを諦めたの? なんで?」 「うーん、そうねえ、理由は一応あってねえ……」 セキゼキさんがそう言いかけたところで、ウエイトレスがコーヒーを持って現れ、会話は中断されました。 「んん、いい香り」 「ここのコーヒー、予想より美味いな」 呟きながらセキゼキさんが砂糖壺を開けました。 「ああっ」 「どうした?」 「虫が、虫があっ、虫がいるんだ、この中に」 私は砂糖壺をのぞきこみました。確かに小さな、点の
わたしにはわかる。男はみんな、ホストになりたいとおもっていることを。「俺はちがうぞ」とか言わせない。男であれば全員が、やり手のホストみたいに女をたらしこみたいと願っている。そうに決まっているのだ。みなまで言うな。わたしにはわかっているのだからね。いいねえ、女たらし。「女たらし」って、「女をたぶらかして」を短くしたものかしら。たぶらかし。たらし。いずれにせよ語感がいいね。もて遊んでる感じが。わたしもどうにかたらしたくて、この夏も必死にがんばってきたのだけれど、気がつけばもう終戦記念日。夏が半分終わってしまった。もう海にはくらげがでるし、そろそろとんぼが飛びはじめる。ちょっと、もう。夏をどうするの。ここはホストに学ぼうとわたしは考えた。どうすれば女の子をたぶらかせるのかを学ぼうとわたしはおもった。 ホストについて興味ぶかいのは、「素の自分は大したことがない」と冷静に理解していることだ。彼らは自
この間の週末、ちょっとヤボ用で出かけたのですが、PASMOを持って行くのを忘れていて改札の前でポケットを弄っていたら、見知らぬ御婦人が近寄ってきて「地下鉄乗られます?じゃぁ、コレどうぞ」と一日乗車券を渡されたのですよ。 どうも、私は30代半ば以上の女性に受けが良いようで。この間などは新宿の場末の純喫茶で茶をシバキ回しておりましたらば、化粧の薄い今いくよ師匠のような、ケバい沢田亜矢子さんのような、間を取ったようで全然間を取れていない場外級の高年女性が近寄ってきて「アンタ、ちょっと眼鏡外して。ねぇ、外してよ」と言われ、あまりに怖かったので素直に外してみせたところ、私の顔を両手で挟み、「あぁ、やっぱり。思った通り。アンタ、市川右近にそっくりよ」と言い、ボクの紅茶を一口啜り自分の席へと思って行ったかと思いきや、間髪入れずに新たな標的の方へと襲い掛かって行ったのでありました。 尋常で無く恐ろしい上に
昔の自分を振り返ると、隣の部屋でさっきまでキャッキャウフウフ言ってた弟と彼女が急にシンとしてしまったりだとか、大学一人暮らし時代には両隣からのギシギシアンアン5.1サラウンドだとか、もっぱら壁を通してのコミュニケーションが多かったように思う。 おれはといえばヤツラの精神攻撃に対抗して、めっさ壁ドンドンしたものだった。一瞬静かになるのだけどしばらくするとまたギシギシアン。壁ドン壁ドン。ギシアンギシアン。壁ドンドンドン。ギシアンアンアン。ドドドンドンドド。アアアンアンアア。双方向コミュニケーション。インタラクティブ。 今思うと、あの状況は精神的に追い詰められはしてたけれども、叩く壁があるだけまだよかった。コミュニケーションが断絶してなかったもの。 だが近頃、問題は横から縦へ空間的に変化したのである。上階のお子様がだいたい30分おきにドンドンはねるのだ。アニメのOP、EDのたびに踊っているのだろ
あなたはこんなことを知っていただろうか。 毎日更新されるようなブログに掲載されている99.999999%のエントリは、誤字、脱字、ほのめかしだらけで、内省のカケラも見あたらない、愚にもつかない内容の文章であるという事実が、統計によって明らかになっているということを? そしてあなたはこんなことを知っているべきではないだろうか。 自分のブログを何があっても毎日更新し、読む価値のない、書く価値のない、誰も読まず、そして誰の心も動かさない三流テキストを毎日のようにネットに公開することで、ブロゴスフィア全体の品質を落とすことができるのだということを? さらにあなたはこんなことを知っているべきではなかっただろうか。 開放されたコメント欄やトラックバック欄に群れをなして集まるかわいらしき子犬のようなアクセス乞食、白痴コメンテーター、顔も名前も文才もない、圧倒的大多数のネットにしか居場所のない人々の、何一
現代というのは女の発言権というものがこれまで人類史になかったほど強まっている時代である、と考えてしまって差し支えないのではないかと思ってしまうほど、インターネットにしか居場所がない女たちというのは口やかましく、性的魅力をまったく感じさせず、慎み深さというそれ自体には何の罪もない概念に唾を吐くような行為を毎日のように繰り返す自己顕示欲の固まりであり、そういう存在自体薄ら寒いネットの現状を最大限に象徴しているような存在であると思うわけだが、こういったつまらない女たちがパソコンの画面の前で眉をひそめてキーボードを叩いている正直美しいとはとても言えない姿が目に浮かんでしまって仕方がないわけで、メンヘラーという意味のよくわからない日本語に自らをはめ込むことで自虐的な満足を得る奇妙な女たちをはじめ、ネットに住む女たちの姿はまったく奇妙であり奇怪であると考えるのだが、そのような魑魅魍魎が跋扈するブロゴス
長い夢を見ていた。 未来の日本の夢だ。 夢の中の日本では、民放のテレビ番組にブロガーが出演していた。なぜその彼がブロガーとわかったかというと、出演者のキャプションに「ブロガー」という肩書きが、まるでまっとうな職業か何かのように書かれていたのである。 田舎の母親に「お前、いま東京で何してるの?」と聞かれたとき、フリーターでもなく、ドリーマーでもなく、ニートでもなく、自由人でもなく、アーティストでもなく、まるで当然の職業であるかのように「ブロガー」と、満面の笑みを浮かべて答えることができる世界が、夢の中の日本にはあったのである。 司会者は女性で、淡泊なセックスしかしてなさそうな顔をしていた。この司会者はブロガーのことを「~先生」「~先生」と呼んでおり、その呼び方はまるで漫画家のことを「先生」と呼ぶことで実は見下しているどこかの業界のことを思わせた。 彼女がブロガーを先生と呼ぶとき、その目にはか
世間的にいって、三十五歳というのは、転職可能な年齢のぎりぎり上限である。求職情報などを見ると、たいていの求人には応募可能な年齢があって、職種や企業の規模にもよるのだが、「三十五歳まで」というのがおおかたの上限である。それ以上の年齢の求職者を雇用する会社というのは、雇用条件だったり、雇用形態だったり、給与やなんかで、いろいろとあれな感じになってくる。日給が、バナナひと房とかね。いやですな、歳を取るっていうのは。わたしも過去に何度かの転職を経験したが、さすがにこれ以上の転職はできない。もう時間切れになってしまった。ここで辞めても、わたしを雇ってくれる会社をあらたに見つけることは困難だろう。バナナはすきだが、それ以外のものだって食べたい。パイナップルやいちご、すいかやりんごが食べたいです。もう転職はきつい。わたしは、今の仕事が理想であるとか、この会社と運命を共にするなどとかんがえたことはないです
・他人が愚痴を言ったり弱音を吐いたりすることに対して「甘えるな」「大変なのはお前だけじゃない」「お前などまだ恵まれている」 他人のみっともなさや至らなさに対してむやみに厳しい。自分にも厳しいのかもしれないが、自分にだけにしといてほしい。・「自分(もしくは自分の知っている人)はこうやってきた」→「だから他の人だってできるはずだ・やるべきだ」→「できてない・やらない人は甘えている」・「他人や社会の批判ではなく自分が変わるべき」。たしかに何でも外部のせいにばかりしているのはみっともないが、行き過ぎると「嫌なことが起きるのはあなたの心がけが悪いせい」に限りなく近づいてしまう。・(ひとの生き方・選択について)「(××が基本だけど)○○もあっていいと思う」…これは私もよく使うかも(汗)。そもそも人の生き方なんて誰かが許可するもんじゃない。・「自分は気にならない」→「問題は無い」→「気にしている人はおか
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