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ブックマーク / crowserpent.hatenablog.com (27)

  • 「恋愛放棄」にまつわる個人的な話 - 烏蛇ノート

    お久しぶりです。 最近更新が滞りがちなのはネタがないのではなくて、書こう書こうと思いつつ、うまくまとまらないままネタばかりが溜まっていっているという状況なんですが、書けるものからぼちぼち消化していきたいと思います。 今回はその、これまで何度も書こうと思いつつ何となく書いてなかった記事の一つ、私自身の「恋愛放棄」についての話です。基的に自分語りなので、大して面白い話でもないですが、少しばかりお付き合いください。 「恋愛放棄」という言葉は割と非モテ界隈特有の用語かなぁと思っていたんですが、実際にGoogleで検索してみるとそういうわけでもないみたいです。とはいえ、二番目にシロクマ氏のページ、三番目に喪男道と、非モテ関係のページが上位にヒットすることは確かです。 この二つのページを改めて読んでみて印象的だったのは、立場こそ違えどどちらも「恋愛すること」のメリット・デメリットについて語っていると

    「恋愛放棄」にまつわる個人的な話 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2008/08/08
    いくら衝撃的だったとはいえ、13歳のときの決意を未だに実践しているなんて!/なるほど(※欄)>id:crowserpentさん
  • 「非モテ」の苦しみとは何か? - 烏蛇ノート

    前回「クリスマス粉砕デモ」に参加してみての雑感を述べてみたわけですが、その中で「非モテの共通利害など存在しない」と述べたことに対し、益田ラヂオ氏から次のような反応がありました。 rAdio Commented 俺はまず自己利益。それでついでに「同志」の支持も得られたら、互助的でええ感じやん、というわけです。大義名分さえあれば何でもできる!さあ、デモだテロだ死ぬのはどいつだ? (前回記事へのはてなブックマークより) 自分にとっての利益とは、一言でいえば「おいしい思い」でしょうかね。 非モテであるがゆえにモテる、とか、ラクしてお金が儲かる、とか、好き放題できる、とか、そういった、ありがちなヤツですね。 非モテであるがゆえに、法外な得をする、みたいな社会が望みです。 (中略) 要するに、既存の「イケメン補正」をなくして、新たに「非モテ補正」でもって、その位置におさまりたいな、と。 (前回記事のコ

    「非モテ」の苦しみとは何か? - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2008/01/06
    非モテの苦しみは”、「恋愛関係の有無」にではなく、「同僚・友人関係」の中で発生しています” そうかも。
  • 恋愛という概念装置(1)/二つの恋愛文化 - 烏蛇ノート

    しばらく放置していてすみませんでした。掲示板での議論については、論点を再整理しようともしたのですが、あまり上手くいかないので諦めました。個人的に、「非モテを社会的弱者とみなすべきか否か」という問題設定自体に意味があると思えない、というのもあります。 今回からしばらく連続して「恋愛」について(正確には「恋愛という概念装置」について)述べていこうと思うのですが、その前にまず前提しておかなければならないことがあります。 それは「恋愛」という実体は存在しない、という前提です。正確には「存在するかどうか分からない」なんですが、そもそも「恋愛が実体として存在する」とはどういうことか、今の段階では定義しようがないため、ここでは「そのような実体は存在しない」と言い切ってしまいましょう。何を言っているかというと、平安時代の貴族の色恋と、明治時代の「恋愛」と、現代の「恋愛」が、それぞれ同じものである保障は無い

    恋愛という概念装置(1)/二つの恋愛文化 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/09/23
    「モテ規範文化」と「純愛規範文化」という分け方は面白いな。
  • 「意味の変容の場」としての「非モテ」 - 烏蛇ノート

    過去の「非モテ」という言葉のネット上での変遷については、以前「『非モテ』の変質と電波男」で述べた通りなんですが、今回はこれを「現在の『非モテ』の意味」と重ね合わせながら改めて見ていきたいと思います。 まずは、件の記事での「非モテ」の説明を再掲しておきます。 「非モテ」という用語はもともとはお笑いネタ系のテキストサイトにおける「芸風」の一つでした。それがどんなものだったかは、クリスマス殲滅委員会(1999年)などにその片鱗を見ることができます。 当時の「非モテ系」は、「自分がいかにモテないか、女性に嫌われているか」を面白おかしくネタにするという「自虐芸」だったんです。このような芸風が成立するためには、「クリスマスにネット見てるような輩は(自分のように)モテない男ばかり」という暗黙の前提を、演じる側も見る側も共有していることが必要でした。 非モテ系とは「ネガティブを装うというお約束」であって、

    「意味の変容の場」としての「非モテ」 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/08/07
    ”、「恋愛に積極的な人」の参入”がかつてのテキストサイト的に非モテをネタとして語ることを難しくしたという説。
  • 烏蛇ノート - 愛の許し - コメント欄(crowserpentさん) - 愛の見返りについて

    モテのパラダイムシフトの話の続きなんですが、森岡氏の「モテ定義」からは離れます。 森岡氏の言う「恋人として大切にする」ということが不可能だとするならば、「非モテ」にはどんな選択肢が有り得るのか。今回はそんな話から始めてみることにしましょう。 まずは、前回の記事に対するイカフライ氏のコメントから。 烏蛇さんにせよ、他の非モテさんにせよ「女なら誰でもいいわけじゃない、むしろ、そういう軽薄な関係じゃない相手が欲しいんだい」 と一見言っているようだし、それはホンネでしょう。 ただそれは「自分が誰かを愛し、想い、その人のために何かをしようとする」といった相手に対する切実は思いが見えないのです。 そういう事を言っているんですけれどね。 (イカフライ氏のコメントより) 「非モテ」の人達がなぜ「愛する」ことが出来ないのか、それは前回も述べた、「恋愛の排他性」として考えることができます。このことを、もう少し

    烏蛇ノート - 愛の許し - コメント欄(crowserpentさん) - 愛の見返りについて
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/05/24
    "「閉じた愛」でないならば必ず「相手の何らかの応答」を必要とするわけです。すなわち、正しくは「見返りなしに愛せない」んじゃなくて「応答なしに愛せない」んですよ。"なるほど。人間相手の愛の特殊な点かも。
  • 「モテのパラダイムシフト」について - 烏蛇ノート

    前々回に予告したイカフライ氏への言及が残ってますが、その前に一つ「非モテ」関連の話題を取り上げます。 「非モテ」すなわち「恋愛パートナーが存在しないことに悩んでいる人達」に関しては、「気の持ちようの問題だ」という意見がしばしば見受けられます。それ自体は必ずしも間違いとは言えないんですが、問題はこうした意見を言う人のほとんどが「恋愛至上主義」を前提にして語ってしまうことなんですね。今回取り上げる森岡正博氏の議論も、見事にその「罠」にはまっているんです。 まず、森岡正博氏のこちらの記事から見ていきます。 そもそも、「いろんな女からちやほやされたい、あわよくば、いろんな女とエッチしたい」という願望は、「権力欲」にほかならない。このような権力欲に裏付けられたモテにこだわっているかぎり、光明はさしてこないだろう。(沼崎一郎はこれを「男力」として批判している)。 そのような観念に絡め取られたうえで発せ

    「モテのパラダイムシフト」について - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/05/05
    これは、その通りだと思うなぁ。ハーレム教から一夫一妻に宗教換えしただけで、恋愛の呪縛からは解き放たれていないというか。
  • kikunosuke_a氏の陰謀 - 烏蛇ノート

    久々の更新です。 いくつか取り上げたいネタはあるんですが、まず先に「宿題」を片付けてからにしようと思います。話題がやや特殊な上にいつも以上の長文なので、「続きを読む」記法にしておきます。「Web上における言論の信頼性」の問題に関心がある人のみどうぞ。 宿題というのは、以前に議論した素朴な疑問(kikunosuke_a)氏のこちらの記事のことです。(元URLはこちら。) 多少時期を逸してはいますが、kikunosuke_a氏は返答をわざわざ3週間も待っていてくれる人だから大丈夫でしょう。 とりあえず、経緯を簡単に説明しておきます。 まず、umeten氏の提唱する恋愛普遍主義概念に対する疑義として、kikunosuke_a氏は「『恋愛感情』を伴う諸行為は、両性として分かれた動物なら、能として刷り込まれていて当たり前」と主張しました。それに対して私が反論したのがこの記事です。以降、前回の記事に

    kikunosuke_a氏の陰謀 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/03/12
    この記事で烏蛇さんが僕のことを完全にスルーしてるのは、発言のネタ性を完全に見切ってくれてて非常に正しい対応。kikunosuke_aさんはそこらへん分かってないからなぁ。魚がネタを放つ可能性を考慮していないというか。
  • 恋愛感情は「普遍」ではない - 烏蛇ノート

    前回の話に付け加えるべき点も幾つかあるのですが、それはひとまず置いておいて別の話を。 以前の記事で、「恋愛主義」と「恋愛至上主義」は異なるものであり、また「恋愛至上主義」を批判することは「恋愛」それ自体を批判することと同義ではない、といったことを確認しました。これに対し、umeten氏がこちらの記事で次のような問題整理をしておられます。 「恋愛普遍主義」とは、「恋愛とはすべての人間が誰でも同じように体験可能なものである」とするものである。 恋愛や、非モテ、喪男の文脈で問題にされるべき争点とは、この「個々人が持つあらゆる偏差を善人面をして塗りつぶし、誰もがみんな同じ条件を等しく持っているのだとするあきらかにゆがんだ悪平等思想の押し付け」なのではないのか。 対して、恋愛至上主義とは、「恋愛こそがこの世で最も価値のあるものだ」、「恋愛をしない/できない人間は価値のない人間だ」とするものである

    恋愛感情は「普遍」ではない - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/01/30
    恋愛感情の内実に占める性的欲求や承認欲求の比率が普遍ではないってことじゃないかと思った。
  • 恋愛感情は「普遍」ではない(2) - 烏蛇ノート

    前回の続きです。まずは前回説明不足だった、「能」という言葉についての補足から。 動物行動学においては、動物の行動は大きく分けて「生得的な行動」と「後天的な行動(学習)」に大別されます。このうち、生得的な行動を説明するために作られた心理学的概念が「能」で、ある程度複雑化した生得的行動を「能行動」と呼びます。 しかし、生物学の進歩により、「能行動」の仕組みが「信号刺激によって生じる一連の(機械的な)反応の連鎖」であることが分かってきたため、曖昧な「能」という概念は不要になりました。現在、行動学や心理学で「能」といえば、単に「能行動」=「生得的な行動」のことを指します。 現代では、「能」という概念は(生物学や心理学と無関係な)単なる比喩的表現として使われる場合がほとんどです。ところが、「能」という言葉を多用する人ほど、「能」を比喩ではなく、真に生物学的な概念だと勘違いしている

    恋愛感情は「普遍」ではない(2) - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/01/30
    僕も少し前、「何を人は恋愛感情と呼んでいるのか?」「恋愛感情と友愛感情の違いは?」とか考えてたけど、「人による」って考えたほうが良いかも。
  • 惚れたが悪い - 烏蛇ノート

    今回ははてな匿名ダイアリーのこちらの記事から。 俺と話す時はすごいうれしそうな顔してて しばらく会わなかったらメールで「ねえ、私のこと覚えてる?忘れてないの?」 とか送ってきやがって 「彼氏にしたい人は家族みたいにいっしょにいて落ち着ける人」とか言いやがって それでこれは99%大丈夫として告白したら 「他に好きな人がいるの」だと。「君の事は大事な友達のつもりだった」だと。 この記事には100件を超えるはてなブックマークが付けられ、それらの大部分がこの相手の女性を非難する論調のものでした。もしこれが「非モテ」の総意なのだとすれば、個人的には何とも暗な気分にさせられます。 (※ この部分について追記しました。) この記事に関連する発言の中で、唯一完全に同意できたのがjituzon氏の記事でした。 勝手に99%いけると思い込んで告白してんじゃねーよ。いや、まあ告白するのはいいとして失恋は失恋と

    惚れたが悪い - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2007/01/17
    意図的に性的魅力を悪用・乱用する輩もいるから、そう言い切るのは危険。ストーカーとか詐欺師とか犯罪レベルにならない限り、「良い悪い」とか「責任」で判断するべきじゃないと思う。これが正論て感覚は理解不能。
  • 「非モテ」団結の功罪 - 烏蛇ノート

    前回の話と関連して、草実スサ氏の突っ込みに答えておきます。先日行われた革命的非モテ同盟のクリスマス粉砕イベントについて。 どう見てもネタですよね マジだというのであれば、せめて池袋の腐女子と連帯しないとダメじゃなかろうか。 革非同なんて「非モテ男はシャレになるけど非モテ女はシャレにならない」って構造を(意図的でなくとも)再生産してるようなものなんだから、烏蛇さんからしたら(私からしても)、批判すべきものだと思いますけど。 最初に言っておくと、「池袋の腐女子と連帯せよ」などという提言はお話になりません(草実氏も気で言っておられるわけではないでしょうが)。もちろんそういう企画を立てるのもアリだと思いますが、そもそも「こうすべき」という方向性が誤っています。 まず、基的にインターネット上のコミュニティである「非モテ」にとって、オフ会によるイベントがどのような意味を持つか、を考える必要がありま

    「非モテ」団結の功罪 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/12/28
    コメント欄で草氏も言ってるように、非モテ男女で団結すべきだと思いま~す。
  • 「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート

    田透の「電波男」以来、「恋愛至上主義」ないし「恋愛主義」こそが「非モテ」の根問題である、という認識が「非モテ」議論の暗黙の前提とされるようになりました。「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏もまた、そうした「恋愛至上主義」を最大の問題の一つと考える「非モテ」論者の一人です。 今回は、この「恋愛至上主義」の実体とは何か、を考えつつ、古澤氏を初めとする多くの「非モテ」論者が陥っている「落とし穴」について述べていきたいと思います。 「非モテを苦しめているのは恋愛至上主義である」 という主張に対しては、古典的かつそれなりに有効な反論として 「世間は非モテ達が言うほど『恋愛』一辺倒ではない」「恋愛至上主義に陥っているのは実は非モテ自身である」 というものがあります。Paris713氏やまりねこ氏、ナツ氏の議論はこうした「反論」の典型的なものです。 これらの指摘は、ある面では全く以て正しい議論です。

    「非モテ」の敵は「恋愛」に非ず - 烏蛇ノート
  • 烏蛇ノート - 性的視線(3)

    「革命的非モテ同盟」の古澤克大氏から新たに言及があったこともあり、もう少し「非モテ」と「性的視線」の話を続けてみます。(「電車男」の話は脇道に反れるので、とりあえず保留にしておきます。) まずは古澤氏の議論を引用しつつ、捩れを解いていくところから始めましょう。 確かに、女性からの侮蔑の多くは男性としての価値を否定するような形での侮蔑になるであろう。しかしながら、このような侮蔑は女性からのみもたらされるのではなく、広く男性から、また社会構造からもたらされるものである。直接的にはモテ男性からの「恋愛が出来ない男はダメだ」という言説や、遠まわしには「努力すれば恋愛出来る」といった言論の問題点は多くの非モテ論壇にて問題視されてきたものである。しかしながら、ここで一つ考えなければならないのは、女性からの視線は対象たる非モテ恋愛対象にならないという宣告であり、男性からの視線は恋愛が出来ないという事へ

    烏蛇ノート - 性的視線(3)
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/11/07
    「不当な性的扱い」と「恋愛対象にされないこと」の違い。
  • 「非モテ」が晒される性的視線(2) - 烏蛇ノート

    前回の記事に対して幾つかコメントを戴きましたが、その多くは私の主張に否定的なものでした。今回はコメントへの返答・反論を含め、問題を再度整理してみることにします。 まずはMasao氏のコメントから。電車男の話は色々と込み入っているので、詳しい話は次回に譲ります。 非モテ(というよりも男性全般が)「欲望されることへの恐怖」に鈍感なのは、そもそも男性には、性的視線を恐怖する必要がないからです。理由は大野さんが言う「レイプ」や「望まない妊娠」への危険性が男性には存在しないという、生物学的・身体能力的なものです。よく「電車で痴漢に襲われたら女性は怖がるが、痴女に襲われたら男性は喜ぶ」といいますが、まさにコレですね。 (中略) 男性が女性に対して感じる恐怖というものは、性的・暴力的なものではなく、男性の持つ女性への欲望を「弱み」として逆手に取られ、性欲を餌にいいように扱われ、搾取されることへの恐怖でし

    「非モテ」が晒される性的視線(2) - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/10/24
    鳥蛇さんの言う「性的視線」の意味がよくわからないので、TBで考察・質問してみた。http://d.hatena.ne.jp/Masao_hate/20061024/1161636647
  • 「非モテ」が晒される性的視線 - 烏蛇ノート

    前回の記事に対して幾つかの反応がありましたが、その中で最も的を射ていると思われたのが大野氏の記事でした。今回はこの大野氏の記事を参照しつつ、非モテの女性がWeb上で置かれている環境について考えてみたいと思います。 オタク腐女子も、セクシャリティがその嗜好に強く反映される。そして、非モテ男と非モテ女は、しばしば「恋愛弱者」と表現される。つまりどちらの話も「性」を巡っている。男は昔から集まっては猥談などしたりして、性的な言語活動が活発だった。いかにモテるかとかセックスが強いかという自慢話。女はそこに参加することはほとんどない。そんなのは「はしたない」とされたこともあるが、それだけではないと思う。女は不特定多数の男の性的な視線(直接見なくて脳内でも)に晒されたくないのである。 この視線の中には、 『こいつ喪女だよ( ',_ゝ`)プッ;』 というのもありますが、 『喪女…処女だ(;´Д`)ハァハ

    「非モテ」が晒される性的視線 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/10/23
    女性は「男性に欲望されることそのものを恐怖する」のに対し、男性は「女性に自分の欲望が利用されることを恐怖する」。この男女差を無視したこの意見には、同意できないなぁ。男は性的視線そのものは、怖くない。
  • 「恋愛できない女は洒落にならない」はどこまで本当か - 烏蛇ノート

    はてなダイアリー界隈では、以前から「非モテ女性不可視論」が論じられてきました。これは、はてなダイアリーで「非モテ」を名乗る女性が男性に比べて少ないことから、「非モテの女性はどこに居るのか?」が度々話題になったためです。 今回は、これに関連したMasao氏のこちらの記事より。 http://d.hatena.ne.jp/kusamisusa/20061004/p1 たとえば、「女版ラジオクリルタイ」なんて想像できますか、みなさん。ブスが寄り集まって素晴らしい人々へのルサンチマンを語ったり暗い学生時代を振り返ったりするネトラジ。ちっとも笑えない話になるか、やたらハイテンションなお笑いになるか、じゃないでしょうか。非モテ男と非モテ女、いまだ、とてつもなく異質なり。 僕はコレは、「社会的に女は恋愛仕事だから」なんじゃないかと考えています。これは、「女のニートは家事手伝いと名乗れて、男ほど問題視さ

    「恋愛できない女は洒落にならない」はどこまで本当か - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/10/19
    「仕事」の捉え方が大袈裟だなぁ。「語りづらさ」「シリアスさ」に関する、男女間の相対的な差の話ですよ。それらを生み出しているのが、「社会的要請=仕事」だという/10/19 PM.18:30 コメント&再ブクマ。
  • 「萌え」と「恋愛」それぞれの嘘 - 烏蛇ノート

    久々に恋愛についてのお話です。 今回は宮台真司氏のこちらの記事について。 生身の人間関係には全体性があるの。たとえば性格や振る舞いにも肯定面と否定面とが表裏一体あって、それらが合わさって人格になってる。人間関係もそうで、不愉快なもの、不幸なもの…全てを含めて初めて現実のドラマが成り立つ。悲劇がドラマの不可欠の部品だと理解することが、全体性に開かれた態度なの。全体性を踏まえて理想を目指すのが来あるべき形だよ。ところが萌えにおける恋愛は全体性と何のつながりもない。「理想のコならこんな僕でも認めてくれる」って、現実にあり得ない「承認幻想」なの。 宮台氏の議論は非モテ界隈ではよくある「脱オタのすすめ」の一種であり、「萌えに逃避せずに現実(の恋愛)と向き合え」という論調です。「萌えに逃避している」と言われた側は当然反発するわけで、kagami氏のこの記事はこうした「反発」の分かりやすい例でしょう。

    「萌え」と「恋愛」それぞれの嘘 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/10/02
    ”「他者性に開かれること」そのものの必要性と快楽とを語るべき”そういや宮台センセは「バックラッシュ!」で「コミュニケーションの実りの少なさ」の問題について話してたなぁ。
  • 標準語とオタク - 烏蛇ノート

    しばらく放置してましたが、今回は軽めの更新です。シロクマ氏のところの記事に付いたブックマークコメントより。 rumble_pony 在京経験もなく、両親も標準語圏出身じゃないのに標準語を話せる、ニュアンスがいつの間にか標準語寄り。<男女ともにヲタ率高い 元のシロクマ氏の記事は「隠れオタク女性の見分け方」なんですが、それに対して付けられたコメントです。rumble_pony氏は「なぜそうなのか」の理由を書いておられませんが、私自身はこれにしっかり当てはまっています。実際のところ、どこまで当たっているのかは分からないんですが、とりあえず私の場合を書いてみようかと。 私は現在京都に住んでいますが、関西出身の人に対しては標準語寄りの関西弁、それ以外の地方出身(と思われる)人には標準語、と使い分けており、自分の地元の方言を使うことはありません。これは「わざと使わないようにしている」のではなく、「地元

    標準語とオタク - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/09/15
    これはあるかも知れない。僕も小学2年のとき、1年間九州で過ごしたけど、ほとんど友達と会話しなかったから全然方言が身に着かなかった/コミュ苦手→オタクはずいぶん短略的だけど。
  • 性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート

    前回の記事を受けてのBLUE PINK氏の記事への返答です。 自分が普通の人間だと思っている人は自分が普通の幸福が得られないことをそう簡単に納得できない。これ自体、他人に暴言吐いたりしない限り悪いことじゃない。 もちろん納得できればちょっとは幸せになれるでしょう。でもそれを普通の幸福を享受する人間から言われたら余計こじれるだけ。じゃあ、てめぇも同じ状況になってみろよ、と。 性規範から自由になれ、っていう前に、まずその規範が与える強迫性を考えるべき。「恋愛男女間が当たり前」という性規範に漏れたゲイなんかに、「男女恋愛に固執するから不幸なんだよ。すなおに今の状態を受け入れることでもっと自由になれるよ」なんていったら怒るだけでしょう。受け入れずらくしてるのは誰なんだよ、と。 規範が与える強迫性というものは確かにあるでしょう。そして、それが「規範に従わなければ社会的承認を与えない」という形でな

    性規範と「差別の内面化」 - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/08/25
    「男女の恋愛への強迫」を引き起こしている原因が、「男女の恋愛に固執している人々に抑圧される」ことだと思うんだけど。このふたつは切り離して考えられないでしょ。
  • 「非モテ」は如何にしてミソジニーに陥ったのか?(3) - 烏蛇ノート

    今回は、前回の話と関連して、こちらの記事での覚悟氏からの言及に応えてみようと思います。ちなみに今回のタイトルは「非モテ」となっていますが、覚悟氏の使い分けに従うなら「喪男」のことになります。 「女性に酷い目に合わされた喪男」 代表ブロガー:私(覚悟)やWATA氏など →女性を恐ろしいエゴイストと認識し、恋愛観も非情。 (恋愛を醜いエゴと認識し、恋愛そのものを放棄) 「恋愛、セックス経験豊富なヤリチン」 代表ブロガー:Masaoやシロクマなど →喪男程ではないが、認識のベクトルは比較的近い。 (恋愛を醜いエゴと認識しながらもそれに順応する事を大人としている) 「女にイジメられた訳ではないが恋愛経験無しor少ない非モテ」 代表ブロガー:烏蛇やクリルタイメンバー、その他大勢 →喪男やヤリチンの認識とは異なり、何故かかなり女性に楽観的。 友達として仲良くなれば〜とか性善説的な考え方を持っている。

    「非モテ」は如何にしてミソジニーに陥ったのか?(3) - 烏蛇ノート
    Masao_hate
    Masao_hate 2006/08/22
    ↓”<他者>は虚構です。その通り。しかしそれでも<他者>が機能するとしたら?”現実を鋭く突いている言葉だと思う。良い。