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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/matsuoka_miki (18)

  • 「無題」の絵画ってすごく不思議だ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    絵画や彫刻なんかの美術作品で、「無題」って作品をよく見かける。 とても不思議だ。 たとえばメッセージ性のある深遠なタイトルをつけ、作品そのものとの相乗効果で自分の創作意図をより有効にアナウンスしよう、とか考えないのかな。 そんな俗事に構わないのが物の天才なんだろうけど。 一方、音楽の世界では、「無題」のポピュラーソングってありえない。演劇や文学もそうだ。美術の人だけが、なんだか別の世界にいるような気がする。 タイトルも含めてひとつの作品なのに、自分のかけがえのない作品を「無題」で終わらせるアーティストの心理ってどんなふうなんだろう? 「無題」でやりすごすくらい肩の力を抜いてモノを作ってる、ってことなのか……。 私みたいな凡人にはやっぱりわからない。

    「無題」の絵画ってすごく不思議だ - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2008/03/01
    ことさらにガイドがないと芸術を理解できないことをアピールしなくていいのに。
  • 正しい表記をするには、最低限の「編集の基礎知識」が必要だ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■「自分に非は一切ない」というスタンス ブログ『踊る肉とパイナップル』さん(以下、「踊る肉」と略す。敬称略)が、エントリ『当ブログにおけます記事の見出し問題について (その2)』を公開したようだ。 読むと、冒頭には「今回、自分が表記法をどう改めたか?」に関する説明書きがある。 そして自分の表記法がどんな誤解を引き起こしたかについては、「具体的にどう誤解する可能性があるのかということについては,以下で例示されていますので参照してください」と、他人のブログ記事をリンクしてある。 だが、ご自分が紛らわしい表記をしたことにより、記事を読んだ人たち(私を含め)を錯誤させたことについては、「ご迷惑をかけました」的なニュアンスの言葉がまったくない。 「自分は一切、まちがいを犯してない」というスタンスだ。 ■「はてブ」の表示は今も誤記のまま だが現にブログ「踊る肉」の常識のない紛らわしい表記

    NOV1975
    NOV1975 2008/02/29
    プロのライターに、あたかも自分が殺人性向をもっているようなコメントをつけられた僕はこのエントリをどう受け止めれば良いのかな…/なんかいろいろとがっかり。
  • 【流用事件まとめ】「タイトルを剽窃したアクセス稼ぎだ」の声まで出た騒動 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■「人のフンドシでアクセス稼ぎ」との意見も エントリ『私はタイトルの「所有権」を主張しているのではない』では、先日起こった「タイトル流用事件」について問題提起した。 ちなみに私の仕事仲間の、あるプロの編集者は、今回の一件を見てこう語っていた。 向こうのブログが行っている行為は、他人が作った「おいしいタイトル」を自記事のタイトルとして剽窃し、その他人が作ったタイトルの「面白さ」によって自ブログへのアクセスを呼び込む狙いがあるんじゃないですか? 上記の意見は、「引用という行為には、セオリーとしてどんな編集作業が必要なのか?」を、プロの常識(表記法のセオリー)として知っている編集者の言葉だ。 私はそこまで勘ぐってはいないが、ただし現象面だけ見ればそう疑う人が出てきても仕方がないだろう。それだけ誤解を招く表記だということだ。 また、あちらのブログは記事「当ブログにおけます記事の見出し問

    NOV1975
    NOV1975 2008/02/28
    なんかタイトルが印象操作っぽくていやん/実際に印象操作だって話ではなくね
  • ブログを毎日書くとクリエイティブな思考が「クセ」になる - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■ブログを続けて書くことの効能は? 前々回エントリの関連であれこれ記事を読み、面白いものをたくさん見つけた。 たとえば前々回のエントリでは、ブログの更新頻度と人気の関係について書いた。その流れで「ブログは気が向いたときに書くのがいいか? それとも毎日書く方がいいのか?」を考察した記事が読めた。 毎日書くことの効能がわかりやすく述べられていて興味深い。 一般論的にいえば、 「毎日書く」ほうが圧倒的にいいのではないか、と思う。(中略) 毎日書く、と決めることで、 「何を書こうか?」という目線で物事を見るし、 そこから先へ進むと、何かに触れた時に、 「これってこう書けるな」とか思えるようになる。 そこが無意識にできるようになると、 どんどん書けるし、 今まで考えが及ばなかったところまで、 自分の思考がまわるようになる。 だから、圧倒的に毎日書いたほうがいい、と思っている。 ●じだらく『ブログは書

    ブログを毎日書くとクリエイティブな思考が「クセ」になる - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2008/02/16
    パターン化はパターンに外れたときにリカバリが課題/考えたことはできるだけ文字に残す派。何も考えない日などほとんど無い。
  • 「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■賛同のブクマはしても、コメントを書かないケースは多い 人間のネガティブな思考は、強いエネルギーをもっている。だからネット上で人物や意見に否定的な感情をもつと、ことあるごとに「彼」に対して嫌味や揶揄を連発するようになる。いわゆる「粘着系」の行動だ。 これは特に意見を表明するための敷居が低いネット上では、よく起こる現象である。 それに対して「好感をもちました」とか「おもしろかった」、「気に入りました」程度のポジティブな感想は、コメントとして発露しにくい。「思い」が負のエネルギーほど強くないから、単にブックマークしただけでコメントを書かずに素通りすることも多い。 よっぽど「感動した」「強く賛同します」的な気持ちが湧いた場合を除き、わざわざポジティブな意見をコメントに書くことは案外少ない。 ■9つの「無言ブクマ」より、1つのネガコメが印象に残る このネガ・ポジ比較論は、『はてブネガコメを嫌がるア

    「はてブはネガコメが多い」と言われるのはなぜか? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2008/02/09
    まあ大概そういう結論に帰結するものだと思う。例外はありそうだけど、それは元のエントリがネガティブだからとか、ネガコメを呼び込みやすい体質のエントリであるせいかもしれんし。
  • ネット上で公共性はありえるか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■パブリックな精神は自律的に生まれる ITジャーナリストの佐々木俊尚さんは著書「フラット革命」の中で、『「公共性の見えない世界へ』という節を立て(P209)、「フラットな社会の中で、公共性は保証されるのか? インターネットは公共性を保証できるのか?」と問題提起している。 私は「公共性がそこにある状態」って別に誰かが与えてくれたり、システムが保証してくれるものじゃなく、「自分で勝ち取るもの」だと考えている。もっといえば、ネット上でそれは自律的に形成されて行くというのが私の結論だ。 ■公共性って「アーキテクチャー」が作るのか? 佐々木さんは同じ節の中で、2006年12月に筑波大学で開かれたパネルディスカッションの1シーンを紹介している。会場で質疑の際、ある大学院生がこう質問した。以下、同書から引用する。 たとえばアフリカの飢饉や内戦といった情報や理論を伝える媒体は、これまではマスメディアが担っ

    ネット上で公共性はありえるか? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2008/02/08
    今更感が。
  • CDが売れない「本当の理由」 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■売れているのは「質の低い音楽」だった? ああっ。ブックマークが7つくらいのときに書こうと思ってたのに。もう「500 users」を超えてるじゃないか。 音楽業界の中の人である筆者が、「CDが売れない」とボヤきつつ、理由を分析するブログ記事である。 極めて慎重に、奥底にある自分の音には触れずに。 CDの売れない理由として、音楽の質の低下をあげるむきがあるが、それは根的に間違っている。(中略) ちょうど10年位前、CDが最も売れていた時代にも質の高い音楽と質の高くない音楽がそれぞれ無数にあった。そしてガシガシ売れていたのはむしろ質の高くない音楽だった。(中略) ●くだらない踊り方『「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年』 ■「売れているのはゴミ」はアーチストの思い込みか? アーチストとかクリエイターとか呼ばれる人たちは、今も昔も「いいものが売れない。売れているのはゴミば

    CDが売れない「本当の理由」 - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2008/01/05
    志のありすぎるのは売れないからな。
  • ジャズ喫茶で嫌煙権は認められるべきか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ジャズ喫茶で嫌煙権は認められない (NATROM) 2007-12-29 10:36:59 ジャズ喫茶で嫌煙権は認められないでしょう。ジャズ喫茶で「お前らタバコを吸うな」などと言う馬鹿がいたら鼻で笑って「嫌なら来るな」と言えばよろしい。集合住宅のロビーのような公共の空間との区別がついていないから馬鹿なのです。 返信する 違うのは (通りすがり) 2007-12-29 10:45:10 喫煙者と非喫煙者でいちばん違うのは、喫煙者は加害者になる可能性が高いということです。 ジャズ喫茶は嫌なら入らなければそれで済みますが、公共施設は違います。立場は同じではありません。加害者になる可能性を持つ方が、引くのは人として当然ではないでしょうか? 返信する 双方ともに「相手への気遣い」が必要ですね (松岡美樹@管理人) 2007-12-29 11:55:32 みなさん、こんにちは。 書き込み、ありがとうご

    ジャズ喫茶で嫌煙権は認められるべきか? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/29
    少なくとも公共空間においては共存する意思以前に吸っていいかどうかの常識的な判断が求められるのでは。
  • あなたは「他人の目」でブログを読んでいないか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ■記事を選ぶ目が「二次発掘の目」になってないか? 私はこのところ、読む記事を探すのにソーシャルブックマーク(SBM)とニュースサイトに頼りきりになっている。で、ふと気づいた。記事を選別するための目が、だんだん「他人の目」になっちゃってるなあ、と。 どういうことか? 記事を選別する目というのは、何段階かに分かれている。 たとえばAさんがブログに記事を書いたとしよう。そしてあなたはRSSリーダでAさんのその記事を直接読み、おもしろいと感じた。このときのあなたの目は「一次発掘の目」だ。 ところが今や、そうじゃないパターンも多い。 たとえばニュースサイトやSBMですでにリストアップされていたある記事を読み、「いい」と感じた。このときあなたが使ったのは、「二次発掘の目」になる。 以下、親ニュースサイトが見つけた記事を子ニュースサイト、孫ニュースサイトが取り上げ、あなたがそれを読むのは三次・四次発掘っ

    あなたは「他人の目」でブログを読んでいないか? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/23
    読むときには自分の目だな。あと、気になったブログはアンテナに入れるからなあ。
  • 「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないよ - すちゃらかな日常 松岡美樹

    「SBMではいっさい異論・反論しない」なんて私は言ってないよ。 ブクマ・コメントで異論を唱えるときは、私は相手を無用に挑発するような表現はしない──。たとえば過去の数エントリで書いた論旨のひとつはこうだ。 なんか「松岡さんがネガコメしない宣言をしたぞ」とか言ってる人もいて(※1)、一部誤解があるようだから論点を整理しておきたい。 ※1:参考「私の記事(12/12付)に対する、はてブ・ページ」 で、確認エントリを書くことにした。それが今回の記事である。 ■「ネガティブ・コメント」の定義とは? まず何度も例にあげるが、ここでいう「ネガティブ・コメント」とは便宜上、ekkenさんのカテゴライズに準じる。定義は以下の通りだ。 ------------------------------------------------- 【ネガティブ・コメントの4分類】 1. 事実確認 2. 異論・反論・批判

    「SBMでは異論・反論しない」なんて私は言ってないよ - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/16
    なんだか結局「私の考えるコレ」的議論に終始してしまっている気がするなあ。だから考えが違う人からは永遠に反論がきそう。
  • 「仲のよさ」じゃなく「記事の内容」で繋がるSBMのコミュニケーション - すちゃらかな日常 松岡美樹

    以前、mixiに代表されるSNSは「好き」、「同じ」で繋がるファンクラブ志向だと書いた。 ●『ファンクラブ志向と議論志向──SNSとブログにみるコミュニケーション・ギャップの原理』(2005年-9/21) また同じ上記のエントリで、 (1)自分とAさんの意見がちがうこと(事実の提示) (2)そのちがいはどこからくるのか?(理由の分析) (3)Aさんとのちがいは自分にどんな意味があるか?(自己分析) これらを記事にし、意見が異なるAさんにトラックバックするブログというメディアは、議論志向であると書いた。 で、この両者のちがいを「人か?」「記事か?」の切り口で、うまく説明しているエントリを見つけた。ブログ「パソコンはおもちゃ箱」の『はてなブックマークコメントについて』という記事である。 ■「記事で繋がる」に初めて気づく人たち そのエントリで筆者のMarumamekoさんは、はてなユーザ以外のネ

    「仲のよさ」じゃなく「記事の内容」で繋がるSBMのコミュニケーション - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/14
    付き合いがあるってのは暗黙の了解事項がそれなりにあるってことだからなあ。全部読めから始まるコミュニケーション?
  • ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ソーシャルブックマーク(SBM)はプライベートな空間か? それともオフィシャルな場なのか? あなたはどう思いますか? 人によってはソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考えて、人の目に映ることを考慮したコメントをする人もいるけど(私はこっち)、素直に自分の思いをぶちまける人も多い。 ●北の大地から送る物欲日記『ブログとSBMに見るコメント欄の違い』 (以下、次の引用も同エントリから) 筆者のhejihoguさんは、ソーシャルブックマークのコメント欄をオープンな場と考える人のようだ。私もそうである。ただ、そうなんだけど、「そうじゃないような感じ」に囚われる瞬間がよくあるのも事実だ。 ブクマ・コメントを書いてる最中にふと、あたかもそれが自分のプライベートなスペースであるかのような錯覚に陥るのである。 すると、どうなるか? よくソーシャルブックマークのコメント欄は酷いという指摘があっ

    ソーシャルブックマークは「自分の領域」なのか? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/08
    見られることを意識しつつ、傍若無人に書いていくのがよいのでは。越えるべきでない線をそういった形で設定しておくのは必要なことだと思う。もちろん、それは緩々な線だったりしますがw
  • SBMはブログのコメント欄を滅ぼす - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ソーシャルブックマーク(SBM)を使っていると、「おもしろいな」と思うエントリを見つけても、そのブログのコメント欄に何か書こうって気にならない。たいていはブックマークしたときに、ブクマコメントを書いて終わりだ。 わざわざコメント欄に書くのはよほど親しい相手くらい。あるいは荒らし(笑)とか。 で、いちいち相手ブログのコメント欄へ書きに行かない分、その時間と手間をより大量のブログを読むことに費やすようになる。するとだんだんコミュニケーションはブログを通じてじゃなく、ブクマコメントを使ってのみ行われるようになる。 だからSBM上ではよくコメントしたりされたりしてる関係なのに、その相手と直接コミュニケーションしたことが全くない、という奇妙なシチュエーションが生まれる。コミュニケーションのよそ行き化である。 さて、この話の結論はどこへ持って行くのか? パターン1. インターネットの闇(笑) SBMの

    SBMはブログのコメント欄を滅ぼす - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/12/06
    〜ユーザーのみ可とか承認性とかによって滅びるものじゃないかな、どっちかというと。
  • CGMは集合知を発信するツールである(くどいけど反論) - すちゃらかな日常 松岡美樹

    おとといの夜、東京へ帰ってきました。南の国へ優雅に夏休みのバカンス(笑)に出かけてる間に、集合知についていろんな「お手紙」をいただいたようだ。 夏休みだし、次は「人生スルー」系とか生き方関連のエントリを連発したいって思ってたんだけど……まあいいや。ここ何回かは寄せられたお便り群への反応エントリとさせていただく。 まずブログ「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」さんのエントリ『「実名匿名論争」のその後』である。 筆者のmb101boldさんは、バランス感覚のある客観的な視点と筆致が特徴だ。私が言いたいこと、および私に反論されている方々の主張を、私よりうまくまとめられている。このエントリに反応しておけば、おおよそ他の反論エントリへのお返事にもなりそうだ。 なので私が提示する反証の第一回目は、mb101boldさん方面から書き始めることにしよう。 ■実名制度は水戸黄門の印籠か? 『CONCO

    CGMは集合知を発信するツールである(くどいけど反論) - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/08/19
    うううううむむむむむ…。
  • みんなの意見(集合知)が正しい場合と、そうでない場合 - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ブログ「CONCORDE」のTristarさんと、弁護士の小倉秀夫さんからトラックバックをいただいた。お二方とも集合知に疑問をお持ちのようだ。そこで寄せられたご意見をもとに、集合知について概観してみよう。 ■集合知が機能するためには多様性や独立性が大切だ 結論を先に言えば、集合知がうまく機能するには条件がある。集まった個が多様であること、また彼らが他人に影響されない独立性を保っているか? などの要素により、集合知が有効に働く場合とそうでない場合があるってことだ。 まず議論の前提をはっきりさせるために、集合知の定義を確認しよう。わかりやすい参考文献をあげておくので、ご一読願いたい。 ●『Web2.0と集合知』(Much Ado about Web ウェブのから騒ぎ) ●『多様化する個を集めて新しい価値を生み出す「Wisdom of Crowds」』(伊藤直也の「アルファギークのブックマーク」

    みんなの意見(集合知)が正しい場合と、そうでない場合 - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/08/08
    大体同じことを書いたなあ。
  • インターネットの「リアル世界化」は正解か? - すちゃらかな日常 松岡美樹

    ブログ「ある広告人の告白(あるいは愚痴かもね)」さんからトラックバックをいただいた。「等価交換」というキーワードで、実名、匿名の功罪がうまくまとめられている。ポイントを引用しよう。 (前略)ブログが持つ名もなき人も読んでくれる流通力を享受しているわけだから、ある程度は、ekkenさんがおっしゃる匿名でのネガティブコメントも、メリットとデメリットの「等価交換」であるのが望ましいとすれば、それはしょうがないのではと思います。甘受すべき範囲内なのではないかと思います。(中略) 松岡さんは、たぶん、そういうブログの流通性や自由との「等価交換」として、ネガティブコメントなどの荒らしはあるというデメリットがあるのがブログというかネットの現実なのだから、きっと、初心者にブログを実名ではじめるのを勧めるというのは無茶だと思われたからこそ、反論を書かれたのだと思います。そして、現実を生きる知恵として、「スル

    インターネットの「リアル世界化」は正解か? - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/07/31
    まあそうだね。ちょっと悲しいところはあるけど。
  • 小倉さん、論理の飛躍は計画的に - すちゃらかな日常 松岡美樹

    前回のエントリで、「弁護士の小倉秀夫さんは私の記事の論旨を印象操作(または誤読)されてるんじゃないか?」と疑問を投げた。 小倉さんは私の記事に、「ネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」と書いてあるじゃないかと、主張されているのだ。 だがもちろん私はそんなことは書いてない。それどころか私は、「ネットでの嫌がらせなどたいしたことがない」なんてことは考えたことすらない。 筆者である私自身が「書いてない」と言ってる以上、小倉さんには書いたと証明する必要が生じる。で、当の小倉さんから苦しい口頭弁論が出されたので、ご紹介しよう。まず結論部分からだ。 確かに、「すべてのネットでのいじめや嫌がらせなんてたいしたことがない」とまでは言っていないのかもしれませんですが、ネットでのいじめや嫌がらせが被害者に与える被害について現実世界でのいじめや嫌がらせが与える被害よりは大したことがないと松岡さんが

    小倉さん、論理の飛躍は計画的に - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/07/24
    なんか某O氏と某A氏のやりとりに酷似しているなあ。/O氏は転載問題の人。
  • 小倉さん、印象操作はほどほどに - すちゃらかな日常 松岡美樹

    弁護士の小倉秀夫さんが、ブログの最新エントリ(7/22現在)でこうお書きになっている。 これからブログを開設しようという人に対しては、私はむしろ最初から実名で始めることを勧めます。(後略) ■『初心者にこそ実名でブログを開設することをお勧めする』(la_causette) いやあ実名でブログをやるなんて、私は真っ向から反対しますよ。だって小倉さんみたいな人が印象操作(または甚だしい誤読)をして、他人の記事や筆者の人格を貶めるんだもん。 別に私は気にせずスルーするけど、初心者がコレやられたらそれこそ心神耗弱状態になっちゃいますよ。まじめな話。 というか、小倉さんの以下のエントリを読んだ出版社の方たちが「松岡ってこんな人間だったのか?」と誤認され、私にいっさい執筆依頼がこなくなったら、小倉さんはどう責任をお取りになるのでしょうか? 私は実名でブログ(を含めた原稿書き)をやってるんで、そういう事

    小倉さん、印象操作はほどほどに - すちゃらかな日常 松岡美樹
    NOV1975
    NOV1975 2007/07/22
    多分、こちらが指摘した点に一切反論せず、匿名の害悪を高らかに謳い上げられるだけですよ。僕への応答を見る限り、無駄。
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