第9回仮想化の鉄人は、なぜIaaSではなく200台以上のVPSを選択したのか? 横田真俊 2012-07-10
第9回仮想化の鉄人は、なぜIaaSではなく200台以上のVPSを選択したのか? 横田真俊 2012-07-10
日米で異なるソフトウェアの作り方 私がシアトルに来たのは1989年なので、こちらに来てもう20年以上になる。最初の10年をMicrosoftのソフトウェアエンジニアとして過ごし、後半の10年は起業家としてソフトウェアベンチャーを3つほど立ち上げている。こうやって1年の大半を米国西海岸で過ごしながらも、日本には毎年数回仕事で帰国しているし、日本語でブログや記事を書いてもいて、ある意味で「日本のソフトウェアビジネスを、一歩離れてちょうどよい距離で見る」ことができる立場にいる。 そんな私が常々感じているのは、日本でのソフトウェアの作り方が米国のそれと大きく違っていること。そして、日本のソフトウェアエンジニアの境遇が悪すぎること―そして、それが「日本のソフトウェアが世界で通用しない」一番の原因になっていることである。 そもそもの成り立ちが違う日米のソフトウェア業界 日米のソフトウェアの「作り方」の
今回のゲストは、分散バージョン管理システムGitのメンテナで『入門Git』(注1)の著者、濱野純さんです。Linuxカーネルの開発者、Linus Torvaldsさんから引き継いでGitのメンテナになった経緯から、対談スタートです。 (撮影:武田康宏) Gitに関わった経緯 弾:Gitに関わったきっかけは? 濱:2005年の4月にLinuxカーネルのバージョン管理システムとして使われていたBitKeeperが使えなくなる[2]からということで、Linus君がいろいろありものを探したんだけど、使えるものがなくて、誰かがいいのを作ってくれるまでのつなぎというつもりで、とりあえず自分でもコードを書いた、というアナウンスをしました。それをカーネルメーリングリスト(ML)で見ていたんですが、たまたまボクの本業がプロジェクトとプロジェクトの合間だったんです。なんかおもしろそうなこと始まってるじゃん、
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