天皇クラスの墓に限定される八角形墳であることが今年9月にわかり、被葬者が斉明天皇(在位655〜661年)であるとほぼ確定した奈良県明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳のすぐ前から、存在が知られていなかった7世紀後半の石室が新たに発見され、同村教育委員会が9日、発表した。667年、斉明天皇陵の前に孫の大田皇女(おおたのひめみこ)を埋葬したと記している日本書紀の内容と一致し、被葬者を決定づける超一級の資料となった。 大田皇女は天智天皇の娘で、大海人皇子(おおあまのおうじ=のちの天武天皇)の后(きさき)となったが、20代で亡くなったとされている。見つかった石室は「横口式石槨(よこぐちしきせっかく)」という構造で、牽牛子塚古墳の約20メートル南東で出土。地名から越塚御門(こしつかごもん)古墳と名付けられた。 石室は、石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)をくり抜いた4メートル大の上石(うわいし)を