広島・長崎だけではなかったーー“古都・京都への原爆投下計画”とはどんなものだったのか、アメリカの機密文書や当時を知る人たちへの取材から明らかにする。 番組内容1945年7月24日、滋賀県大津市の東レ工場に1発の爆弾が落とされた。爆撃地点は石碑はもちろん、なんら痕跡もない、まさに「忘れられた空爆」だ。戦中の報道規制から詳しい被害者の数も不明だが、学生ら100人以上が死傷したといわれている。空爆が少なかった大津に突如爆弾が落とされたのは、実は京都を想定した模擬原爆、つまり予行練習だったというのだ。番組内容2アメリカ軍の機密文書などには、原爆の投下目標を選定する委員会の記録が残っていて、京都は、広島と並んで第一目標になっていた。投下目標とされた町に対しては「原爆を投下するまで手をつけるな」という意味で攻撃しないよう命令が出されていた。これが「京都は空爆がなかった」理由だと推察されている。原爆は、