「おはようございます! 朝の体操の時間です。体の冷えを防ぐためにも、大きい筋肉を中心に、すみずみまで意識的に動かしましょう」。さわやかな挨拶でお馴染みのテレビ番組「テレビ・ラジオ体操」の放送が始まったのは1957(昭和32)年10月だ。先に始まっていたラジオ番組の「ラジオ体操」(1928年放送開始)と併せて、見て分かりやすく体操をお茶の間に伝えるという趣旨だった。以来60年以上にわたって、日本人の健康や体力向上に多大な貢献を果たしてきた。5~10分のミニ番組には、出演者、制作者の創意工夫と情熱が込められている。(ライター・石原壮一郎/Yahoo!ニュース 特集編集部) 11月のある日、朝9時。東京都渋谷区にあるNHK放送センターの104スタジオで「テレビ・ラジオ体操」の収録が始まろうとしていた。体操をするスペースはバスケットボールのコートほどの広さ。入り口から見て左端にはグランドピアノが置
1989年(平成元年)から始まったラジオ関西(神戸市中央区)のアニメソング(アニソン)リクエスト番組「青春ラジメニア」。リクエスト曲の受付方法は原則としてハガキとファクスに限られ、曲は必ずフルコーラスで流すというスタイルを貫き、今月30日で放送開始から丸30年を迎える。同番組パーソナリティの岩崎和夫アナウンサー(65)と、アシスタントパーソナリティの南かおり(49)は「この30年でアニソンはかなり変わりました。世間的にアニソンが認められていくのを見続けることができてうれしい」と振り返る。しかし、4月からは放送時間が3時間から1時間に短縮され、録音番組に変わる。岩崎アナは「番組の中身を見直すいい機会を与えられた。次の発展へ努めたい」と意気込みをみせた。 【全映像】「青春ラジメニア」の30年を語る岩崎和夫アナウンサーと南かおり
2018年にデビュー20周年を迎えたaiko(43)。「NHK紅白歌合戦」に13回出場するなど、国民的な人気を誇り続けるシンガー・ソングライターだ。ライブ会場には10代から70代までのファンが詰めかける。幅広い年代層のファンに届くラブソングを書き続けられる秘訣を聞くと、「何度経験したとしても、同じ恋愛はひとつもないんですよ」と笑う。aikoの考える「大人になること」、ライブ前の「地蔵のような生活」、そして自分と聴き手との関係性とは。(取材・文:もりひでゆき/撮影:岡田貴之/Yahoo!ニュース 特集編集部) 1998年のデビュー以降、ブレークのきっかけとなった「花火」や「カブトムシ」をはじめとする数多くのラブソングを世に送り出してきたシンガー・ソングライター、aiko。日常のなかで芽生える大切な人への感情の機微を繊細にすくい取る「あなたとあたし」の物語は、世代を超えて多くの人の心を魅了し続
「死にたいなら一人で死ぬべき」の危険性 凶行を繰り返させないために報道の通り、5月28日(火)朝方、川崎市で多くの子どもが刺殺、刺傷される事件が発生した。 現時点では被害状況の一部しか判明していないため、事実関係は明らかではないが、犯人らしき人物が亡くなったことも報道されている。 それを受けてネット上では早速、犯人らしき人物への非難が殺到しており、なかには「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの強い表現も多く見受けられる。 まず緊急で記事を配信している理由は、これらの言説をネット上で流布しないでいただきたいからだ。 次の凶行を生まないためでもある。 秋葉原無差別殺傷事件など過去の事件でも、被告が述べるのは「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」である。 要するに、何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれ
昨日、ネット海賊版対策に関する知財本部・犯罪対策閣僚会議が官邸で開催されました。 首相以下、全閣僚と論議し、サイトブロッキングに関する政府方針が決定されました。 ぼくも出席しました。 方針は以下のとおり。 1.法制度を整備する。次期通常国会を目指しブロッキングの法的根拠となる制度を整備する。リーチサイト対策も進める。 2.それまでの緊急避難としてのブロッキングについて、政府は「違法性が阻却される」との解釈を示す。 3.これを受けてISP+コンテンツら民間の対応を進めるタスクフォースを作る。 ブロッキングについて政府は法的リスクを負い、ゴーサインを出す。 ただし、民間に対しては要請も行政指導もしない。 ISP+コンテンツら民間側で対応を決める。その場を政府が用意する。 同時並行で法制度を整備する。 --これが決定です。いま政府の取り得るギリギリの措置でしょう。 ブロッキングを指示ないし行政指
大阪府港区の交通科学博物館(館長:兵東勇)が4月6日に閉館し、半世紀以上に渡る歴史に幕を下ろした。最終日となったこの日、閉館を惜しむファンがオープン前から詰めかけ、開館時には約250人が列を作った。そのため開館時間も通常より約35分早い9時25分(通常開館は10時)となった。最終日の来館者数は1万43人 で、JR になって以降、最多だった(国鉄時代 には、1972年の 『鉄道100年 きしゃぽっぽ展』に1万2342名が来館)。 1962年1月21日に開業した同博物館は、52年間でのべ1811万3433人が入場している。この日は閉館セレモニーのほか、山陽新幹線公式キャラクター「カンセンジャー」ステージ、JR西日本吹奏楽団による演奏会などが行われた。多くのファンが別れを惜しみ、閉館時間も通常の17時30分より、39分延長となった(18時9分閉館)。 交通科学博物館の施設跡地は、隣接する弁天町駅
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