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ブックマーク / mercamun.exblog.jp (8)

  • 若年ホームレス化は、貧困ではなく、コミュニケーション能力に原因。 | 社会学玄論

    ホームレス支援施設に、二十代、三十代の青年が入所しており、若年ホームレスの割合が増加しているという。 若年ホームレス化は、経済的貧困や失業が原因というよりも、コミュニケーション能力の欠如のほうが根原因であると言える。ホームレスになる前に、生活を立て直すために、他者の協力を得る対人関係能力や交渉能力がないからである。 例えば、派遣切りにあっても、故郷の親や兄弟、元彼女、友人、元派遣先同僚などに頭を下げて宿泊させてもらうとか、当面のホテル代を貸してもらうなどして、住込み就労先を見つけるなどすることもできる。つまり、対人交渉能力があれば、他者の協力を取り付けることで、ホームレスにならずに済む。しかし、若年ホームレスには、それができない。なぜなら、人に頭を下げて相談し、援助を要請するコミュニケーション能力が欠如しているからである。また、プライドが高いので、人を頼ろうとはしない者もいる。 他人が自

    若年ホームレス化は、貧困ではなく、コミュニケーション能力に原因。 | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2010/11/03
    サイアクな難癖。自己責任教の最たるところ。根拠は?/一億歩譲ってそういう傾向があるとして。その傾向が一直線にホームレスに繋がる社会が果たして良い社会か。直すべきはどちらか。答えは自明だろうに。
  • カルト信者をつくらない処方箋としての相対主義 | 社会学玄論

    ニセ科学批判者やその系列のブロガーたちは、カルトだから悪いという発想をよくとっている。カルトというレッテルを貼ることで相手を貶めるわけであるが、カルトとは何を指すのか明確にしておいた方が良さそうである。(カルト/カルトでない)という区別がどのような基準によって構成されているのか確認しておきたい。 カルトは、もともと崇拝・礼拝というラテン語から発生したものであるが、現代的な意味においては、カルト宗教だとかカルト団体だとかいう具合に使用されている。その意味するところは、下記のごとくだと思われる。 主にある一定の思想や信条を共有する組織を指す。(多くは宗教団体) 既存の社会的価値から逸脱しており、反社会的である。 教祖を絶対的に崇拝する。 教義を絶対的真理とし、他を排除する。 批判するものに対して極度に攻撃的である。 強引に勧誘する。 目的のために手段を選ばない。 離脱の際に暴力や恐怖心がともな

    カルト信者をつくらない処方箋としての相対主義 | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2010/10/25
    特徴と定義は違うと思うの。それに、社会からの乖離が一番コアな問題点だから、その切り口はかなり的外れ。/地下猫さんは「作法としての相対主義」ってゆってたね。我々が嫌ってるのは「悪しき」相対主義なのよ。
  • ニセ科学批判に多様性・自由性は存在しない。 | 社会学玄論

    ニセ科学批判批判に対して、ニセ科学批判者を一般化して論じるなという方がよくいるが、これはニセ科学批判にも色々なかたちがあるということを前提にしての反論である。 しかし、実際はどうだろうか? 確かに、多様なニセ科学批判が乱立している状況ならそうもいえるだろう。残念ながら現実は全く違っているのである。 ニセ科学批判ほど、画一化した思想はない。もともと、ニセ科学批判という創造的な概念を開発したのは、菊池教授である。菊池教授こそが疑似科学批判という概念を一歩前進させ、ニセ科学批判という新しいジャンルを生み出したのである。 そして、多くのブロガーたちを魅了し、自己の思想に賛同する信者をつくってきたのである。確かにネットにおける新型の社会運動として評価できる側面もあるのだが、宗教組織と似た特質が見受けられ、その思想と方法はあまりにも画一的である。 まず、菊池教授のニセ科学批判の考え方に反対するニセ科学

    ニセ科学批判に多様性・自由性は存在しない。 | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2010/02/11
    本コメント修正:メガネの度が合ってないのだろう。例えばここにコメントしている人達の間でも、活動の手法も主張も皆それぞれ違う。互いに批判し合う事もよくある。
  • ニセ科学批判のニセ科学化現象 | 社会学玄論

    死後の世界は、科学の対象とならない。神や霊魂の存在は科学の対象外である。つまり、特定の宗教の教義内容が正しいかどうかは、科学の対象外である。さらに、道徳内容の正しさも、科学の対象外である。もし科学が自らの対象外の存在について語るならば、科学的ではなくなり、ニセ科学となる。科学が科学の対象外のものについて語りだすと、科学は宗教と機能的に等価となり、科学は途端に宗教化する。 ちなみに、死後の世界について、科学者の態度としては、「私の仕事の専門外なので答えることができない。(お坊さんや神父さんに聞いてみて下さい。)」というのが正しく、「科学の立場からは、死後の世界や霊魂は存在しない。」と答えるのは、不適切である。科学者は、死後の世界という科学の対象外の分野については、語ることはできないわけである。 にもかかわらず、死後の世界について存在しないと語り、スピリチュアルや宗教や占いを否定しまくる科学者

    ニセ科学批判のニセ科学化現象 | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2009/10/18
    ん~、科学「者」が科学以外を語ってもかまわないし、科学的な根拠はない、までなら全然おkだし。それ以上言ってる科学主義的なお人は批判されてもいいんじゃないの別に、という反応しか返せないありきたりな論。
  • ニセ科学批判の善用・悪用 | 社会学玄論

    ニセ科学批判は、科学と同様にそれ自体が目的ではなく、道具にしかすぎない。科学が悪用されると、甚大な被害が人々にもたらされるのと同様に、ニセ科学批判も悪用されると、ニセ科学よりも大きな被害をもたらすおそれがある。もちろん、ニセ科学批判の善用もありうるので、善用は肯定するとして、悪用については批判するということになる。 (ニセ科学批判の善用) ニセ科学批判は、善用すれば、科学の純化とニセ科学の被害防止に役立つことになる。科学の純化とは、科学とそうでないものを明確に区別し、科学のアイデンティティを確立することである。そうすることで、科学の領域と限界が設定され、科学が他の文化領域まで侵犯するのを防ぐことができるわけである。ニセ科学批判には、実は社会の科学化現象による文化破壊を防止する機能がある。(もちろん、その逆もある。) ニセ科学批判には、ニセ科学の被害を防止する機能がある。ニセ科学の被害者がど

    ニセ科学批判の善用・悪用 | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2009/03/16
    (ニセ科学)批判者が科学主義であることを前提としてる。しかも悪用が全然「悪い用い方」の例になってない。ダメな批判を批判すればいいのに批判でない物やデメリットを説いてどうする。言葉の使い方が甘い。
  • 言霊が可能となる条件 | 社会学玄論

    生きていること、心を感じること、これは論理的で厳密な概念で書かれた科学的な学術論文を読むよりも、人々には文学・音楽・美術などの芸術のほうが表現しやすく伝えやいのではないだろうか? 優れた物語、詩歌、音楽、絵画等に触れて、泣いたことはないだろうか? 言葉の中に心を感じたことはないだろうか? 日常的に言うと、他者と会話している時、我々は、その言葉から他者が生きており、心があることを感じているのである。言葉は命と心を運ぶのである。シンガーソングライターの曲に感動し、心が揺さぶられるのは、曲に心を感じ取ることができるからである。このように考えると、言葉に魂が宿るとする言霊信仰は、我々の日常体験から乖離しているわけではなく、むしろ当たり前とさえ言える。非科学的だからおかしいとは言えない。 仏典や聖書や論語が、厳密な論理ではなく、物語や喩え話からなっていることも、重要である。命や心や道徳の質を伝える

    言霊が可能となる条件 | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2009/02/20
    言霊については、結局何も言ってないような。/物語の影響力が大きいなら、科学を僭称したポエムは影響力が大きいからもっと批判しなきゃね。
  • 人間科学・社会科学からは、脳科学は疑似科学? | 社会学玄論

    (ハード=形式/ソフト=内容)という区別から、心を観察すると、ハード面は確かに脳科学者がいうように脳神経細胞のネットワークから創発するものかもしれないが、ソフト面は社会的につくられて発生したものである。つまり、思考や論理は言語によって可能となり、価値意識や規範意識は教育によって可能となるし、その他、感情や感覚も家庭での躾が影響してくる。要するに、思考、価値、感情、感覚は社会的につくられる。このことを社会化という。 心の構造は脳神経細胞のネットワークによって規定されるかもしれないが、心の内容は社会によって規定される。これはごく当たり前のことであり、社会が存立するためには、ある程度、必要なことである。 さらに重要なことは、自我意識は、社会がなくしては生成しないということである。赤ん坊には感覚・感情レベルの心はあるかもしれないが、自我意識はまだ生成しておらず、自他未分化だとよく言われる。言語を習

    人間科学・社会科学からは、脳科学は疑似科学? | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2009/02/15
    その昔「大脳生理学が発展したら哲学と心理学は用済み」と言う議論を聞いたことならあるけど。そう言う話ではなさそう。
  • 反証主義と論証主義の不一致 | 社会学玄論

    科学は、実験と観察で得られたデータをもとに推論を行い、命題の真偽を判断する。この場合、推論には論理や数学が使用される。しかし、科学が使用する論理や数学は必ずしも正しいとは限らない。 論理的推論や数学が現実に適用できないという例として、ゼノンのパラドックスとして有名な「アキレスと亀」をあげておこう。 亀よりも速く走れるアキレスにハンディを与え、アキレスよりも進んだ時点から亀はスタートして競争し、論理的にはアキレスは永遠に亀に追いつけないという話である。アキレスが亀がいる地点に来た時には、亀はそれよりも先の地点おり、またその地点にアキレスが来た時には亀はそれよりも先の地点に来ており、結局、追い越せないという論理である。この論理は、直線を無限の点から構成されていると考える数学に準拠している。 さて、「アキレスは亀においつけない。」という命題を「時速100キロで走る車は、時速10キロで走る車に追い

    反証主義と論証主義の不一致 | 社会学玄論
    T-3don
    T-3don 2009/02/12
    逆説を用いて”論理的推論や数学が現実に適用できない”事を論じた内容。/一応マジレス ヒント:無限分割
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