庶民が何を食っていたのかは、ほとんど分かっていないと思います。 「何を食った」という記録がないからです。 庄屋のなかには、日記をつけていた人もいて、役人の接待に出した料理や特別な日の料理については書きのこしていますが、家族の普段の食事については書いてなかった、と思います。 そこで、何かの史料を参考に推測するしかないでしょう。 津軽藩の史料に、藩が農民に対して出した食事の制限令があります。 弘前大学国史研究「法令より見たる津軽藩の農民の生活」 http://repository.ul.hirosaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10129/3108/1/HirodaiKokushi_95_21.pdf この論文の9/31ページ「食の規制」で、詳しく説明されています。 「一般的には、米作地帯の農民でも純粋の米(玄米)の飯を食べることは、まずなかったといってよい。武士です
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