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2010年8月16日のブックマーク (3件)

  • Togetterが気持ち悪いことと、最近のTwitterが残念なこと - mizchi log

    なんていうと残念なのはお前だよ、と返されるのがいつものパターンなのだけど、かといって萎縮したくもないので書いておく。 もちろん、それぞれが違うタイムラインをみて、違う価値観を持っているのは理解しているが、相対論的に逃げては出来ないので、とりあえず僕ことmizchiが感じる実感で話をする。 コミュニケーションの場では、場に即した文脈と人格の共有がなされる。2chなら2chの、はてなならはてなの、増田なら増田TwitterならTwitterの。 Togetterはたぶん、はてなTwitter半々ぐらいの割合で影響を受けてて、まるでホッテントリメーカーでつくったかのような記事タイトルが並ぶのだけど、どうも滑っている。が、書いた人がドヤ顔してそうなのが鼻につく。繰り返すが、滑っているし鼻につく。僕がそう思っているだけかもしれないが、とりあえずほとんどの記事は、僕の感性において不快だと表明して

    Togetterが気持ち悪いことと、最近のTwitterが残念なこと - mizchi log
    YMZ
    YMZ 2010/08/16
    「僕ことmizchi」素で僕って名前なのかと思ってしまった…「ハイセンス」って1周してまた新しい感じがする。
  • 日本は高等教育過剰か?(1) - Cerebral secreta: 某科学史家の冒言録

    は高等教育過剰か?この問い自体が様々な曖昧さを含んでいる。まず第一に、過剰かどうかは、何をもって適正な基準とするかに依存する。従って、日に高等教育が過剰であるとする議論において、何をもって適正なな基準とするかが示されていないのであれば、迷走した議論にしかなりえない。そして、何が適正であるかは、論理的に導きだされるものではなく、主権者の政治的判断によって決定されるべきことであると思う。 第二に、過剰ということ自体にも、様々な意味がありうる。なされている教育の量や質 が過剰なのか、大学生数ないし大学数が過剰なのか、あるいは使われている予算が過剰なのか。 このエントリーは4つほど続けてエントリーを書くシリーズの最初のものである。ここではまず、日は高等教育が過剰であるとする主張にどのようなものがあるのか考えてみる。そして、次のエントリーではそれを批判・検討する。三番目のエントリーで、逆に日

  • 余録:「古本屋の看板を気を付けて見てみなさい… - 毎日jp(毎日新聞)

    「古屋の看板を気を付けて見てみなさい。『高価買い入れ』とあっても、『古売ります』とは書いていないでしょ。買い取りこそ腕のみせどころですから」。ある古書店主にそう教わった。言われてみると確かに「売ります」は少数派だ▲「せどり」という商いがあることも聞いた。見知らぬ土地の古書店に飛び込む。書棚に並んだ背表紙をざっと見回すと、結構な値打ちがほこりをかぶっている。それを安く買い、転売するのである。目利きを競う古屋の他流試合みたいなものか▲だがこの手だれの古書店主にしても、近ごろ書物の“自炊”がはやっていると聞けば驚くだろう。自分でを裁断し、1ページずつスキャナーで読み込んで電子書籍にすることを指す隠語だ。iPadなどの登場で注目され、高価な裁断機が売れているという▲の悲鳴が聞こえてきそうな蛮行である。いや、「陶板や木簡から紙に変わったのが、今度は電子データになっただけ」とドライな考え方

    YMZ
    YMZ 2010/08/16
    「裁断された本たちの魂はさてどこに帰るのか」どうしても魂の存在を認めたいというのであれば,電子化されたファイルに宿るっていうんじゃだめなんだろうか。