一六六九年に起きたアイヌ最大の対和人戦争であるシャクシャイン戦争は、アイヌの歴史を二分する大きな戦いとされている。具体的には、一四世紀頃には擦文文化とオホーツク文化から変容した前期アイヌ文化が成立するが、シャクシャイン戦争を契機に松前藩に対する十属性が強まり、後期アイヌ文化に変容する、と考えられている。 しかし私自身はこの分類には疑問を感じている。むしろ大きいのは、アイヌモシリが日本に編入される蝦夷地上地の時期であろうと考えている。その前提として、一般には商場知行制から場所請負制へ、という図式で理解されているアイヌと和人の関係の歴史に関して、実際には商場知行制下の場所請負制と、蝦夷地勤番制下の場所請負制とは異なる、という見解が出されている。「夷次第」「自分稼」が商場知行制の大原則であり、それが成立している段階と、日本に編入され、日本の「辺境」に位置づけられてしまった蝦夷地勤番制成立以降のア