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finalventに関するaburamusiのブックマーク (37)

  • [書評]農協の大罪 「農政トライアングル」が招く日本の食糧不安(山下一仁): 極東ブログ

    農政アナリストの山下一仁さんは、昨年までだったか、私が毎朝聴くNHKラジオで決まった枠をもって農政関連の話をしていた。その切れ味の鋭さから氏の意見をその後もおりを触れて傾聴してきたが、今年の年頭、書「農協の大罪」(参照)が出て少し驚いた。著作は専門的な内容に限定されるとなんとなく思っていたのに、一般向けの書籍でわかりやすうえ、過激であったことだ。 「過激」という表現は正確ではない。高校生でもわかることが普通に理路整然と書かれているに過ぎない。農協がいかに日の農業を滅ぼしたか、すっきりわかる。つまり、それが「過激」であると言うことになる。フォーサイト9月号記事「どこへ言った民主党『農政の理念』」で知ったのだが、書は全国農業協同組合中央会(全中:JA)の「禁書」に指定されたらしい。妙に納得した。 日という国の空気を多少なり知った大人なら、農協批判が逆鱗に触れる話題であることはわかる。以

  • 足利幼女殺害事件冤罪、雑感: 極東ブログ

    DNA再鑑定の結果から刑事訴訟法第435条「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」が見つかったとして足利幼女殺害事件が再審となり、すでに検察からの謝罪もあることからも、菅家利和さんは無罪になるだろう。無辜の市民を殺人罪で無期懲役刑とし、17年半も拘留・服役させたというのは、しかもそれを最高裁が決定したとなれば、この国の市民として、恐怖を覚える。また同じ市民として不当につらい思いをさせたという責務も覚える。なぜこんなことになったのか、この冤罪をどう日の司法に結びつけていけばよいのか、いろいろな議論があるだろう。私は、ネット上にある「菅家さんを支える会・栃木」(参照)の資料と、この事件関連の過去の報道を少しめくってみた。暗澹たる思いがした。 私がこの事件について、個人的にだが「これはどういうことなんだろうか?」と疑念に立ち返ったのは、1994年のO・J・シンプソン事件の裁判の経過だった。この裁判

  • [書評]シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫): 極東ブログ

    書標題「シリコンバレーから将棋を観る - 羽生善治と現代(梅田望夫)」(参照)に含まれる「シリコンバレー」は、米国の情報技術先端地域であり、著者梅田望夫が10年以上も情報産業コンサルタントをしている土地でもある(参照)。標題が意味しているのは、最先端の情報技術の視点から、日の伝統な将棋の世界で得られる最先端技術への啓発である。 将棋を単に優れた伝統だからとして見直すのではない。すでに現代将棋の渦中にあり、伝統を踏まえつつそれを乗り越えようとする若き天才棋士羽生善治の現在の姿のなかに、情報産業の未来のありかたをとらえようとしている点が書の特徴だ。なぜ現代将棋に情報産業の未来を見ることが可能なのだろうか。そこには羽生に始まる現代将棋の天才たちの達成があるからだ。 梅田が羽生に注目したのは、ちょうど梅田が起業した時期にも重なる時期に、将棋専門誌「将棋世界」に連載された羽生による「変わりゆく

  • ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番: 極東ブログ

    30代の終わりだったか40代に入ったころだったか、なぜか毎日、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とピアノ協奏曲第3番を聞かずにはいられない日々があった。脳がそれを欲しているという奇妙な状態だった。だったのかもしれない。あるいは、激だったのかもしれない。そういう精神状態に陥っているときは自分でもよくわからない。不思議な日々だった。 なぜラフマニノフのピアノ協奏曲だったのだろうか。なぜ脳がそれを欲していたのだろうか。神経内のある種のシナプスたちがピアノの離散的な音に反応するみたいだったが、ピアノの演奏ならなんでもよいわけではなかった。複雑な演奏でないといけなかった。 昔からそういう傾向はあった。離散的な音を聞いていると脳がデバッグされるような感じがした。ピアノ曲が好きだったのは、そういう脳の性向の結果に過ぎなかったのかもしれないが、30代まではメロディアスで情感的な曲は好きではなかった。ショ

  • 繰り返すこと - finalventの日記

    ⇒ゆとり世代の未来が明るいただ1つの理由 わたしたちは、平成の大不況による「ロストジェネレーション」の次の次くらいの世代です。失われた時代に幼少期を迎え、ファミコンがすごく古めかしいシロモノに見えて、物心ついたときはITバブルで、小中学生からカメラ付きケータイを持ち、ハチロク世代以上に情報機器と融和した生活をしてきて、受験勉強をしながらサブプライムの崩壊と世界同時不況を眺めてきた、という世代です。 もしかするともっとすごい歴史性といったものをいつか見ることがあるかもしれないよ。 さて、その、わたしたちゆとり世代の未来(「日の未来」とも言えますが)は非常に明るいものであると思っています。 理由はとても簡単です。 わたしたちが社会に出る頃には、すでに団塊の方々が引退してくれているからです。 現在50〜60代の彼らが、団塊ジュニア層に日の「支配者ポスト」と「既得権益」を渡すその瞬間が、日

    繰り返すこと - finalventの日記
  • [書評]コークの味は国ごとに違うべきか(パンカジ・ゲマワット): 極東ブログ

    グローバル化する世界、あるいはフラット化する世界と言われるなか、実際の世界で現実に進行しているのは”セミ・グローバリゼーション”、つまり部分的なグローバル化である。”セミ”(部分的)という部分に着目するなら、グローバリゼーションとしての世界理解や経営戦略は端的に失敗しているし、今後も失敗するだろう。”セミ・グローバリゼーション”という現実の動向を理解しなければ国際企業も、また実際には”セミ”の部分で対応が迫られるローカルな企業も、未来において生存できない。 世界動向を見据えようとする思索はしばしば大局的なビジョンをシンプルに掲げることが多いし、そのようにシンプルに書かれた書籍は通俗啓発書のように理解しやすいものだが、現実からは乖離してしまう。経済活動に限らない。文化面でも「日語が亡びるとき(水村美苗)」(参照)も同じような陥穽にあるように見える。世界の現実は、非常に込み入った”セミ・グロ

  • これはけっこう難しい問題なんじゃないかな - finalventの日記

    ぶこめで反感多し⇒はてなブックマーク - 金融日記:途上国が貧しいのは先進国が搾取しているからではないし、貧乏人が貧しいのも金持ちが搾取しているわけではない 元エントリに同意するわけではないし、アフリカ貧困と、国内の貧困者の問題は同じように扱えるわけもないし、なにより、こういう論法で展開できる話でもないのだが。 が、というのは、ぶこめの反感もあまりうまくこの難問の急所を当てているとも思えないし、説得力のある関連エントリもあまりない。 というか、義憤が先行しているわりにそこで終わっている感はあるな。 この問題は誰かきちんと整理して答えるべきなのかな。 まず、国際間の貧困の問題と、国内の貧困者の問題の切り分け。 「搾取」の意味の暫定定義。(この手の話の多くは「裁定」の勘違いのようにも思えるが。) 貿易の問題。 農産物の国際間の現状。 そして、それとは別に見たサハラ以南の問題。 このあたりも参

    これはけっこう難しい問題なんじゃないかな - finalventの日記
  • NHKスペシャル 象徴天皇 素顔の記録、見たよ - finalventの日記

    NHKスペシャル|象徴天皇 素顔の記録 見るつもりはなくて、録画の設定中、天気予報を見ていたら始まり、つい見てしまった。 見て、感動しましたよ。天皇、SUGEEEEですよ。いや、昭和のシーンに明仁さんが出てきて「天皇」と言われると、「ちがうだろ皇太子だ」と脳内コビトが突っ込むのがうざい。 ウヨサヨがお好きな「天皇」というのはさておき、普通に公務をされているリベラルな中産階級の爺さん婆さんの金婚式に至る日々という感じが最高によかったですよ。中産階級なわけはなかろうにというのもあるかもしれないが、その慎ましさはそれだった。 このお二人のお人柄は、もう、どうしようもなくすばらしいものだった。人として優れているのだから、どうしようもないじゃんという以上に、ご努力の姿がきちんと伝わる。 天皇であることには、まあ、公務だしなというくらいに割り切って私は見ていたのだが、いやこの公務はただ事ではない。明

    aburamusi
    aburamusi 2009/04/12
    再放送を是非見たい
  • 朝日社説 企業献金禁止―民主党は本気を見せよ : asahi.com(朝日新聞社)よ - finalventの日記

    動機はともかく、企業からのカネを断つことが実現するのなら、これまで政官業の癒着や腐敗の数々をいやというほど見せられてきた国民は歓迎するに違いない。 国民は歓迎しちゃうんだろうか。私は歓迎しないね。官僚が強くなるばかりだ。 何度目かになるけど⇒政治とカネの当の話(1) (田中良紹の「国会探検」) アメリカには個人献金もあるが企業献金もある。日ではオバマがネット献金を集めた話ばかりが伝えられているが、オバマを勝たせたのはウォールストリートの企業献金だと私は聞いている。政治献金は透明性が大事であって、裏金は問題にすべきだが、表に出ている政治資金で捜査機関が政治の世界に介入する事は民主主義国では許されない。そして金額の多少を問題にする国も民主主義国家ではない。それを問題と考えるのは、政治に力がつくと困る「官僚の論理」である。これを私は「民主主義」と対立する「官主主義」と呼んでいる。「小沢代表の

    朝日社説 企業献金禁止―民主党は本気を見せよ : asahi.com(朝日新聞社)よ - finalventの日記
  • ぶくまで見かけて、そして全体象は皆目わからないのだけど。 - finalventの日記

    ⇒宮台真司/東浩紀@シカゴ 2009-03-31 - 日記&ノート(転叫院) 最初にお断りすると、宮台真司・東浩紀には私はもう関心ないです、単純に。 でちょっと気になったというか、別に反論とかではないけど。 アメリカで過ごしていて、アメリカ人や他のナショナリティに属する人の話を聞くたびに、僕は現代日の人々ほど、いわばサルトルが言ったような「自由の刑に処せられて」いる人たち、選択の自由と自己決定の義務に晒されている人たちはいないんじゃないかという感覚に捉われる。何も根拠はないけれど文化様式を選択しなくてはならないのだ。 そういう感覚もあるだろうし、そういう視点もあるのだろうと思う。 ただ、私というか、結果的にこの年こいてしまったその日の安逸な時代を生きてみて思うのは、たぶん、オウム事件のころに転機があったのだろうと思うけど、なんというか、リアリティというのが喪失した状態じゃないかなと。

  • [書評]「食糧危機」をあおってはいけない (川島博之): 極東ブログ

    地球温暖化やBRICs国民の消費によって、糧危機や水資源の危機が深刻に語られるなか、「「糧危機」をあおってはいけない (川島博之)」(参照)は標題からもわかるように、この問題をシステム工学の視点から冷静に捉えようとした書籍だ。 標題を見てすぐわかるように、同じく文藝春秋から2003年に出されたロンボルグの「環境危機をあおってはいけない」(参照)をまねている。こちらの書籍は、日では著者のロンボルグより訳者でもあり評論家であもる山形浩生のほうが著名かもしれない。そのせいか、この「「糧危機」をあおってはいけない」の帯もこうなっている。 山形浩生 推薦” (『環境危機をあおってはいけない』の訳者) 「それはウソだ!」 「もうこの手の扇動にまどわされないようにしようじゃないか。」 とある。裏表紙にはこうもある。 「目からウロコの真の啓蒙書」 ぼくはすでに四〇年以上生きてきて、これが何度も繰り

  • これから料理をしようと思っている怠惰な人へ - finalventの日記

    inspired by料理のススメ:これから料理をしようと思っているひとへ - Money does not hurt your heart 設備 大きな冷蔵庫。 洗いやすい器。 奮発できたらシーガル4。水がアウトだと料理にならない。 道具 包丁は中華包丁と小型の包丁の2あるとよいです。中華包丁があると野菜がさくさく切れます。肉も切れるし、万能。小型のはなにかと小さいのを切るとか。 まな板はプラスチック薄っぺらいのが売っていてあれが便利です。鍋に具を入れられる。場所とらないし。こんなやつ、「 京セラ カラーまな板 イエロー CC-99YL: ホーム&キッチン」 ピーラーは必須。100円ショップのでおk。 中華鍋はなくても可。テフロン鍋でいい。「 大好きな炒めもの(ウー ウェン)」を読むとよいと思う。みなさん、中華鍋信仰もちすぎ 圧力鍋は不要。これは一種の面白グッヅ。 片手鍋もなくてもい

    これから料理をしようと思っている怠惰な人へ - finalventの日記
    aburamusi
    aburamusi 2009/04/12
    スロークッカー
  • 農地改革メモ: 極東ブログ

    ぼんやりと戦後史のことを考えていることが多くなってきているのだがその一環で農地改革のこともときおり考える。農地改革については二つの思いが錯綜する。一つは学校で学んだ、なんというか農奴解放みたいなお話。もう一つは私の母方が庄屋の系統だったので近親者からの体験的な話だ。その二つが入り交じる。もっともそうした錯綜感は農地改革に限らない。私は基的に戦後民主主義の申し子みたいな人なのでGHQによって日は解放されたと原点としては考えるのだが、五十年近く戦後の後の日人として生きてみると違和感は多い。 農地改革について当然一時期の政策としては成功としか言えないだろう。だが、大局的には失敗だったのではないかという思いがあり、そのあたりをきちんと社会学的にまとめた書籍などないものかと探すのだが、知らない。ないわけもないだろうに。簡単に読めるウィキペディアの同項を読むと(参照)私が中学校時代に学んだことと

  • 朝日社説 西松献金事件―国民の嘆きが聞こえぬか : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記

    うーむ、率直に言うけど、なんだコレ。 不透明な政治資金をめぐる闇の深さに改めて驚き、あきれさせられる。 賄賂と勘違いしてないか。民主党側と小沢側に軋轢がなく小沢側にも不服はないのだから、仮に検察のいう迂回献金であったとしても行政処分で帳簿を書き換えればいいこと。カネの入出に不明な点はないのだから。 小沢氏の責任は重い。政権交代がかかる総選挙が目前に迫るこの時期に、結果として、挑戦者としての民主党の勢いを大きくそいでしまった。 検察権力なんてやる気になれば誰だってしょっぴける。そしてそれをしょっぴかれた人間の結果責任されてはたまったもんじゃない。 2大政党のどちらにも1票を入れる気にならない。有権者の深い嘆きが政党や政治家に聞こえているか。 そんな些事はどうでもよくて、政策をもって政党を選びますよ。戦前なんか清廉潔白な軍人がいっぱいいて国家を滅亡させた。もう戦前戦中はやめような。

    朝日社説 西松献金事件―国民の嘆きが聞こえぬか : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記
  • 小沢一郎公設秘書逮捕に昭和の香り: 極東ブログ

    私はずっと小沢一郎を支持してきたので今回の秘書逮捕の件に驚いたかといえば、驚きはしたが裏切られたという類のものではなかった。私は政治家に清廉を期待しない。政治家がカネにまみれるというのは民主主義のコストだと割り切っている。米国民もそう割り切っているのではないかなと、潤沢な政治資金で生まれたオバマ大統領を見ていた。 もちろん賄賂など不正なカネが政治家に渡ることを是とするものではないが、今回の小沢一郎の秘書が不正を行っていたかというと、私がざっとニュースで見たスキームからは、これは特段騒ぐほどのことではないように思えた。 で、私の理解。 まずルールだが、個人や政治団体が政治家に寄付をしてもいいけど、企業は政治家個人の団体に献金をしてはいけない、ということ。 西松建設という企業が小沢一郎に企業献金をしたというのなら、明白にアウト。しかし、そうではない。 ではどうかというと、企業が隠れ蓑のダミーの

    aburamusi
    aburamusi 2009/03/06
    "さらに、受け皿のない現在麻生政権を解散する必要性はまったく感じない。"
  • 私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記

    「物と心」より。 こうして如何なる解釈をとろうと、確率論は帰納の意味を明確にはしたが、帰納の問題に解決を与えることができなかった。むしろ確率論の経験への適応可能性が帰納の正当化に依存するのである。 正当化が論理的に不可能だ、ということも全く正しい。理由は簡単で、ヒュームの言う通り、過去が未来を些かでも規定するという補償が些かもないからである。しかも、何の正当性もなくわれわれは現に無数の帰納を行っている。それが定義上「合理的」だからである、と言うことは念入りな冗談という以外はない。 実はその意味で科学にはなんら合理性はなく、念入りな冗談に過ぎない。 合理性ではなく、それは賭に過ぎないと大森は言う。 この、未来と過去の類似、過去世界の世界像の未来への外挿はこれまで何の根拠もない独断的仮定として非難されてきた。しかし、これは仮定ではなく賭なのである。そして、何の根拠もない賭けなのである。 いかに

    私の人生観を決定づけた大森荘蔵の言葉 - finalventの日記
    aburamusi
    aburamusi 2009/03/03
    "われわれはただ賭けるだけである。それが生きることだからである。"
  • [書評]非モテ!― 男性受難の時代(三浦展): 極東ブログ

    こういうとイヤミみたいだけど三浦展のや対談集や解説はどれを読んでも、はぁ?ネタ?とか思うくらいで特段に面白いということはなかったし、なんというのか年齢は私と一歳違いで同世代感はあるのだけど、自分なんかとは基的に全然違う資質の人かなと思っていたが、そしてただの暇つぶしに買っただったのだけど、「非モテ! ― 男性受難の時代 (文春新書)」(参照)は面白かった。 というか、三浦にとても親近感すらわいた。ぞろぞろとを出す人だし、このも企画というか他のライターを混ぜ、おそらく資料作成は別の人に依頼して編集的に作ったのではないかと想像するけど、意外と三浦展という今の人を逆に描いている感じがした。そこも面白かったというべきなんだろう。 話は、標題通り「非モテ!」論である。ああ、そんなのはてなダイアリーでこってり見ているよと思ったのだけど、なんというのか、もうちょっとオサーン的な切り口はあって

  • 日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記

    熟慮の末の決断だったに違いない。辞任したどこかの大臣ではなく、世界中にファンを持つ作家、村上春樹さんの話である。イスラエルのエルサレムで文学賞の授賞式に臨んだ彼はガザ地区への攻撃を周到に、そして手厳しく批判した。 ▼その講演は体制を高く固い壁に、それにぶつかって壊れる個人の精神を卵にたとえている。「私たちを守るはずの体制が私たちを殺したり、私たちに他人を冷酷に効果的に組織的に殺させたりする」。少しばかり難しい言い回しだが趣旨は明快だ。「壁と卵の間で、私はいつも卵の側に立つ」とも作家は宣言した。 悪いコラムではないし、まあ、ちょっとこういうのもなんだけど、その程度に読まれるのはしかたないなと思うけれど、春樹さんがあのスピーチで言いたかったことは、イスラエル対ハマスではないのですよ。もちろん、今回のイスラエルの対応は非難されるべきであることは普通に国連の動向からしても明白。そしてその明白な批判

    日経春秋 春秋(2/19) 秋 - finalventの日記
    aburamusi
    aburamusi 2009/02/27
    文学の感性・・・。
  • こういうのも微妙なんだが - finalventの日記

    風の歌を聴け (講談社文庫): 村上 春樹 多少戦略的な言い方になるけど、「風の歌を聴け」の主人公は、今にして思えば、Jだと思うよ。中国人のJ。 ⇒ジェイズ・バー - Wikipedia 1973年のピンボール (講談社文庫): 村上 春樹 ピンボールのほうだったかもしれないけど、私が、Jの言葉で、正確な言葉ではないけど、忘れられないのは、の手を意味もなく挽きつぶしてママレードみたいにしてしまう悪意というのがこの世には存在するんだ、ということ。 そして、それを、春樹は、中国人に語らせたということ。 その他、っていうか、Jと向き合うことが春樹さんの文学の原点だというのに触れない村上春樹的なるものなんてものは、私はけっこうどうでもいい。

  • 朝日社説 小泉発言―あきれる自民の右往左往 : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記

    はは、面白い。 だが、そもそも麻生氏を重用し、首相の座をうかがえるところまで押し上げたのは小泉元首相その人である。定額給付金に疑問があるならもっと早く声をあげるべきではなかったか。 それを言うなら安倍総理を作り出したもの小泉ということだが、その過程を見てそう思える人はないだろうし、その過程に小泉がどうだったかも。 今回の小泉発言で、結果として自民党に国民の耳目が集まったのは間違いない。得意の短い発言で流れをつくる「小泉劇場」の再現を狙っているとすれば、それは引退を表明した元首相がやるべきことではあるまい。 このあたりの反小泉のキンタマ縮み上がりぐあいが面白い。小泉としては2/3勝利を重く思っているのだろう。これはこう使うものではない、と。ただ、チルドレンたちのケツを拭いてやらなくてはという思いはあるだろう。 小泉が動くなら、小池に動きがあるはずだし、なにより中川秀との関連があるはず。という

    朝日社説 小泉発言―あきれる自民の右往左往 : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記