93式中間練習機の前で記念撮影する海軍の練習生たち。後列中央が本田稔氏。零戦の操縦士として活躍し、大戦末期は第343海軍航空隊の一員だった。 広島の原爆投下に上空で遭遇した元海軍航空隊少尉、本田稔(ほんだ・みのる)さんが先月3日、老衰のため、98歳で亡くなっていたことがわかった。 戦後70年の企画取材で滋賀県大津市の自宅でお会いした縁で、49日法要を終えたご遺族より連絡をいただいた。 故人のご冥福をお祈りします。 元海軍航空隊少尉、本田稔さん本田さんは予科練を経て海軍の戦闘機パイロットとなった。ラバウル航空戦を死力の限りを尽くし戦い抜き、撃墜王の異名も持つ。本土防衛戦では〝超空の要塞〟と呼ばれたB29と背面飛行で対峙(たいじ)した。当時のようすを操縦桿(かん)を握る手ぶりで、まるでつい先ほどの事のように説明する姿は今も鮮明に記憶している。 広島の原爆投下時に上空にいた唯一の日本人であったこ