なぜ日本人は努力をアピールしなければいけないかと言うと、そうしないと誠意を疑われるから。日本社会で「誠意が無い」ことは殺人よりも悪い犯罪なので、誠意を疑われると世間から叩かれる。つまり日本人にとっての努力とは、自己防衛の手段。
お金持ちはワンパターンである去年くらいから、仕事柄、お金を持っている人たちと仕事をすることが多くなった。 お金を持っているの基準としては、一生食べるには困らなそうな人たち。具体的には、3億以上の資産を持っている人たち、といえばいいだろうか。もちろん飛び抜けてお金を持っている人もいれば、数億の人もいるのだけど、だいたい3億以上あれば毎日働かないで暮らせるので、私からしてみれば同じだ。 そして、お金持ちと友達になることで、気づいたことがいろいろある。こういってしまっては何なのだが、お金持ちたちは非常にワンパターンなのだ。 貧乏な人たちは多種多様である。すごくおもしろいやつ、変わったやつがいたり、最高にいいやつから、最低に悪いやつまでいろいろいるが、お金持ちはほとんどパターンがない。もちろんこれは絶対的に貧乏の数のほうが多いわけで、数が多いから多種多様であるだけなのかもしれないが、それにしても、
古代エジプトと王朝の区分 ―全32王朝は「実は分けすぎ」。(現在位置を確認します。) ↑に刺激を受けて、中国史における王朝断代について愚考自由な思考を展開してみたりするんだぜ。口調がうざいのは亭主の気分なので許すさー。 1.周が滅んだ紀元前256年、東周君の滅んだ紀元前249年、秦王政が即位した紀元前247年、秦が六国を滅ぼして中国を統一した紀元前221年、周と秦のあいだをどの時点で分けるのか実は悩ましいはずだが、あまり問題視されてないんだぜ。伝世史料をみると、『史記』は周本紀と秦本紀と秦始皇本紀に分けて王朝断代には関知しないさー。『資治通鑑』は紀元前256年まで周紀、紀元前255年から秦紀にして処理しているぜ。周の赧王五十九年の次の年は、秦の昭襄王五十二年だ。すばらしいんだぜ。現代の歴史年表は通鑑方式がわりと多いぜ。 2.みんな大好き三国志だぜ。劉備の建てた王朝はなんて呼んでる?蜀?蜀漢
たまたま見ていたら流れていたのでまとめました。 よくわかってません。 関連: はるかぜちゃん 非公式RTについてのポリシーを語る > http://togetter.com/li/178285
島田紳介の引退騒動では、多くの芸能人・著名人・果ては政治家がコメントを発している。 まだ暫くはざわついた雰囲気をテレビやインターネットから感じるのだろう。 そんな中、上地雄輔のブログ記事とそれに対するコメントについて ネット上では失笑嘲笑の嵐となっている。 http://ameblo.jp/kamijiyusuke/entry-10996865827.html 実際私もこの記事を読んだ、コメントも一部ではあるが読んだ。 確かに文章は30代男性『社会人』の書く文章ではないかもしれない。 だが私はこの文章に『人としての真っ当且つ正常な感情』を感じた。 匿名が匿名を批判する事もどうかと考えたが敢えて書く 2chやツイッターでこの日記を一笑に付して終わるのは 心のどこかに生えた黴を放置するようなものなのではないか。 文章としての良悪ではなく、彼が書き表したかった30代のくせにバカ素直過ぎる悔しさを
島田紳助さんが芸能界を引退するのだそうだ。 で、どの局も彼を「紳助さん」と呼んでいる。横並びだ。全局一斉のさん付け処理の同時スタート。不思議な光景だ。 暴力事件の折、島田容疑者に対して用いられた「島田紳助司会者」という呼称を思い出す。あの時もほぼ全局横並びだった。 「容疑者」と呼びたくない。といって、呼び捨てにもできない。だから「司会者」。苦肉の肩書きを付加して呼びかけるわたくしたち。実に不可思議な処理だった。 それが、謹慎期間が明けてテレビの第一線に復帰すると、紳助は再び紳助に戻る。元の呼び捨て名称の紳助。芸人の紳助。タレントの紳助。みんなの紳助、だ。 「島田紳助の行列のできる法律相談所」 冠番組にも敬称は付かない。なぜなら、番組名に冠される冠としての「島田紳助」は、人名であることを超えた一種の商標のようなもので、広く国民に共有された文化的な表象だからだ。でなくても、わが国の社会には「芸
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