このところ、私の知人たちは皆、ニワトリを飼っているらしい。パーティーでも、ネットでも、もっぱらの話題である。もうニワトリを手に入れた? 手に入れる予定はある? 家で使う分の卵があるなんて素晴らしくない? エサに何をやっている? キツネを追い払うにはどうしてる? 名前はつけてる? こうした会話が最近多いのだ。 欧米の自立心が強い気質の人たち(もしお金があまりなくて、少し若ければヒップスターと呼べそうな人たち)のあいだでは、ニワトリは今年のiPhoneかネスプレッソのコーヒーメーカーのようなマストアイテムとなっている。一方で、ほとんどの日本人にとって、養鶏はそこまで実用的でないだろうとも思う。「私たちもめんどりを手に入れて、裏庭で飼うべきよ」と、妻に提案というか宣告されたとき、私は初めかなり懐疑的だった。 私には、子どもたちも、犬もいる。多岐にわたるスポーツの試合があり、片時もテレビから目が離
私の父は1929年1月、北朝鮮の開城(ケソン)で生まれた。かつて918年に韓半島の統一を果たした高麗の首都だった。高麗ニンジンで有名も有名だし、「開城商人」という言葉があるほどの商都でもあった。白菜を入れたマンドゥ(ギョーザ)でも有名だ。2016年4月に北朝鮮の4回目の核実験で中断してしまった開城工業団地もある。 北朝鮮が今年、インドネシアで開いた展示会で販売していた高麗ニンジンを使った各種製品=崔在雄撮影 父は韓国(朝鮮)戦争直前の1949年、当時は韓国領だった開城から更に南にやってきたが、戦争で戻れなくなった。開城には父の母、私の祖母が住んでいた。父は常々、「一目会いたい」と訴え、秋夕(チュソク・旧盆)や旧正月の名節には亡くなった祖父の祭事はしても、祖母の祭事は決してしようとしなかった。 2000年6月の南北首脳会談後、離散家族の面会が始まった。父も申し込んだが、当時は70代で、「比較
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く