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ブックマーク / azumy.hatenablog.com (2)

  • 「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く、また

    いわゆるKY、空気読めない、というのは、空気を読んで行動していない、という意味を含むのだろうか。 例えば、場の空気は理解しているんだけれど、その空気が意に染まないので、わざとそれに逆らった言動をする場合は、空気を読めてない、になるのだろうか。この場合、わざと逆らうためには、場の空気を正しく読んでいることが前提条件になるのだから、空気が読めていてこそKYな行動が可能、ということになる。 あるいは、いわゆる空気読めない言動をしてしまったあと、場の反応が妙である(しらけていたりとか)ことに気がついて(この時点で「空気を読んだ」わけだが)、「あっ、今私KYだったね、ごめんごめん、私基的にKYだからごめんねー」と言ってしまうのは、空気が読めているのだろうか。この場合は、最初は読めていなかったけれど、場の反応に気がついた時点で、空気が読めた、ということになる。 そういうことを考えると、結局、実際にこ

    「空気読めない」の範囲 - 深く考えないで捨てるように書く、また
  • 「ゆとり教育」で見えてきたのは - 深く考えないで捨てるように書く、また

    「ゆとり教育」って、思えば、時間的および頭のゆとりを作って、そのゆとりのできた時間を「ものを考える(思考力を育てる)」ことや、「学校ではできない体験をする(生活力を育てる)」ために使おう、という考えだった。はずだったように記憶するけど合ってるだろうか。ちと自信がない。 その思惑どおりにうまく進んでいれば、一定の学年までに覚え込む知識に関しては少なくなるかもしれないが、そのぶん思考力や生活力は増えるはずだった。 が、結局、そうはならなかった。覚える知識は減ったが、思考力は減ったか、あるいはせいぜいよくても、横ばいで増えていない。生活力については、今のその世代が生活力旺盛になったとはあまり思えない。 高校受験はまだしも、中学受験には、かなりの思考力が試されるらしい。 単純に基礎的なことを知っているだけでは足りず、その先、いかに基礎的知識と能力を使い回し、より複雑な問題を解きあかしていくのか、そ

    「ゆとり教育」で見えてきたのは - 深く考えないで捨てるように書く、また
    atawi
    atawi 2008/01/24
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