お礼欄拝見しました。 >例えば「人間というもの」と言ったときの「もの」 そもそも「もの」という言葉は「もののあはれ」などというときのように、漠然とした対象を指す言葉でしたよね。逆にいうと、対象をはっきりさせたくない、ということでもある。 たとえば『徒然草』の十九段に 「六月の比、あやしき家に夕顔の白く見えて、蚊遣火ふすぶるも、あはれなり。」というのがあるんですが、「あはれなり」が指しているのは、あばらやでもあり、黄昏時に白く浮き出す夕顔であり、蚊取り線香の煙であり、さらには夏の夕暮れの気分であり、そこに住まう人であり、追われる蚊でもあろうかと思います。 つまり、「もののあはれ」というのは、名づけによってそぎ落とされる何ものかを掬いとろうとする言葉として、一貫して機能してきたのだと思います。 そんなふうに考えると、「人間というもの」の「もの」とは、「者」にも「物」にも分類する以前の状態をなん
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