掲題の著者のような、人が一般にどのように受け取られているのかを私は知らない。知らないんですけど、この掲題の本のようなものを、「哲学」と呼ぶべきなんじゃないか、と思うんですけどね。 どうも日本の哲学的な言論をする人たちって、いわゆる「哲学研究者」なんですよね。もっと言えば、哲学オタク。哲学とかいう以前に、そもそも歴史を学んでいない。自分は自分の専門分野以外のことは知らない、とか平気で答えちゃうような、ようするに、あなたはなにも知らないでしゃべってるのね、という感じだろうか。 グレイは、とりわけ、自由主義の政治哲学者、もしくは、政治思想家としての地位を確立する一方で、その思想的立場からさまざまな政治評論的な著作も書き続ける数少ない「公共的知識人」として名高い。 松野弘「監訳者あとがき ユートピア思想の誕生と蘇生」 掲題の著者については、例えば、以前紹介した、大澤真幸さんの『<世界史>の哲学』と
神戸新聞に隔週で「随想」というコラムを書いている(これが二回目)。神戸新聞を読んでいない方のために再録しておく。 これは先週書いたもの。 橋下大阪府知事は、持論である大阪都構想に賛成の市職員を抜擢し、反対する市職員を降格するためのリスト作りを維新の会所属の大阪市議に指示した。 首長選の候補者が選挙に先立って公約への賛否を自治体職員の「踏み絵」にするというのは異例の事態である。 公務員が遵守義務を負うのは、憲法と法律・条例と就業規則だけのはずである。「大阪都」構想は、その当否は措いて、今のところ一政治家の私念に過ぎない。それへ賛否が公務員の将来的な考課事由になるということは法理的にありえまい。 まだ市長になっていない人物が市職員に要求している以上、これは彼に対する「私的な忠誠」と言う他ない。彼はそれを「処罰されるリスクへの恐怖」によって手に入れようとしている。 私はこの手法に反対である。 脅
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