◆仏法は、社会に対する慈悲の実践を前提とする 最後に、今後の教団について、仏教の法則から見て、どうあるべきであって、また、どうなると考えているかについて、お話ししておきたいと思います。 私は、仏教の実践において、最も重要で、根本的なことは、慈悲の獲得、慈悲の実践だ、と考えています。 仏教のあらゆる修行は煩悩を止滅し、慈悲を得るためにこそあります。これは仏教の根本だと思います。 そして、グルイズムも、その他の修行も、そのための手段であって、目的ではありません。もし、グルイズムが目的となり、慈悲の獲得が損なわれてしまえば、それは、本当の意味で仏教ということはできない、と思います。 それは、「人の(慈悲の獲得の)ために、グルに帰依する教えがある」のではなく、「グルに帰依する教えのために、人がある」という考えになり、本末転倒だと思います。 そのために、自分の信仰実践が、一般の人、一般社会に害や混乱