大原 孫三郎(おおはら まごさぶろう、1880年7月28日 - 1943年1月18日)は、日本の実業家、社会事業家。 倉敷紡績および倉敷毛織(現・クラボウ)、倉敷絹織(現在のクラレ)、中国合同銀行(中国銀行の前身)、中国水力電気会社(中国電力の前身)の社長を務め、大原財閥を築き上げる。 社会、文化事業にも熱心に取り組み、財団法人石井記念愛染園、倉紡中央病院(現・倉敷中央病院)、大原美術館、大原奨農会農業研究所(現・岡山大学資源生物科学研究所)、倉敷労働科学研究所(現・大原記念労働科学研究所)、大原社会問題研究所(現法政大学大原社会問題研究所)、私立倉敷商業補習学校(現岡山県立倉敷商業高等学校)を設立した。早稲田大学推薦校友[1]。同志社社友[2]。 岡山県窪屋郡倉敷村(現・倉敷市)の大地主で倉敷紡績(クラボウ)を営む大原孝四郎の三男として生まれる。大原家は文久年間に村の庄屋をつとめ明治の中