中根 中(なかね なか、1870年 - 1954年)は、日本人の黒人運動指導者、または日本の対米諜報員。黒龍会の会員でもあった[1]。第二次世界大戦以前のアメリカで主に活動した。アメリカ当局には、サトカタまたはサトハタ・タカハシ(Satohata Takahashi)などという名前でマークされていた。 現在の大分県杵築市に生まれる。関西学院に進学し、後にキリスト教徒となる。若い頃は浪費癖がひどく、教会も除名された。日本の妻の他に愛人もいたといわれる。大借金を残してカナダへ渡り、白人女性と結婚する。後にアメリカのタコマに移住するが、もとからの浪費癖が災いして生活が破綻し、再び借金を残して失踪する。 1932年に白人に比して差別され不利な立場にある有色人種を糾合する組織として東方世界平和運動(英語版)がシカゴで結成されると中根もこれに加わり、翌1933年にデトロイトへ移り黒人街で活動を始める。