太田道灌が建て、時を経て徳川家康が大都市に育て上げた江戸・東京。今では世界屈指の大都市として発展を遂げている。とは言え、400年前に徳川家康が故郷である三河から江戸に領地を鞍替えした際、江戸はひどい田舎。現在の日比谷や銀座より東はほとんど浅瀬だったという。江戸城の堀を作る際に出た土や、神田付近にあった山を切り崩して、埋め立て地を作った。家康が開墾し街として急速に発展していく中、急速に増える人口を養うのに必要だったのが食糧だ。 江戸にはすぐ近くに、現在でいうところの東京湾という魚介の豊富な食料庫がある。ところが、江戸近辺の漁師は一本釣りが普通で、それでは江戸の増える人口を養うことは無理だった。そこで家康は当時最先端の漁業技術を持った漁師33人を摂津(現在の大阪府大阪市)の佃島から連れてきた。その33人のリーダーとも言える名主だったのが森孫右衛門(もりまごえもん)だ。 家康に指名された漁師 1