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ブックマーク / otakinen-museum.note.jp (10)

  • 【オンライン展覧会】「異世界への誘いー妖怪・霊界・異国ー」展|太田記念美術館

    太田記念美術館にて、2019年8月2日~8月28日に開催された「異世界への誘い ―妖怪・霊界・異国」展のアーカイブです。実際に展示した全71点の画像、ならびに作品解説を掲載しています。 note上では、画像をクリックすると、より大きなサイズでご覧いただけますので、美術館で実物をご覧いただくようにお楽しみいただけます。 オンライン展覧会の入館料は800円です。無料公開の下にある「記事を購入する」をクリックしてご購入ください。一度記事をご購入されると無期限でご覧いただけます。 いつでも、どこでも、好きな時に「異世界への誘い」展をご鑑賞ください。 展示作品リストはこちら → http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/wp-content/uploads/2019/08/isekailist.pdf ※2021年5月4日、5点の作品を追加コンテンツとして巻末に加えました。 はじめ

    【オンライン展覧会】「異世界への誘いー妖怪・霊界・異国ー」展|太田記念美術館
  • 浮世絵が陶磁器の包み紙として海を渡ったのは本当?という話。|太田記念美術館

    浮世絵に関心がある方なら、浮世絵がヨーロッパへ輸出する陶磁器の包み紙として使われていたという話を、どこかで聞いた記憶があるのではないでしょうか。それがきっかけとなって、浮世絵の素晴らしさがヨーロッパに伝わるようになった、と。 もう少しちゃんとした説明ですと、フランスの版画家であるフェリックス・ブラックモンが、陶磁器の緩衝材として用いられていた『北斎漫画』をたまたま発見。浮世絵の魅力を仲間たちに伝えたことをきっかけとして、「ジャポニスム」と呼ばれる日美術ブームが、ヨーロッパで始まったと伝えられています。 浮世絵は、もともと日において、安い値段で販売される紙屑同然のものでしたが、その芸術的な価値がヨーロッパの人たちによって初めて見出されるようになったという文脈でも、この話はしばしば語られています。 皆さんはこの話を聞いた時、どのような様子をイメージしたでしょうか?現在、陶磁器を持ち運ぶ際、

    浮世絵が陶磁器の包み紙として海を渡ったのは本当?という話。|太田記念美術館
  • 浅草寺のビフォーアフター~安政の大地震|太田記念美術館

    太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会ですが、その見どころをご紹介します。 近年、各地でさまざまな自然災害が起こり、復興への努力が続けられています。江戸時代にも、たびたび火事、地震などの災害が江戸を襲い、そのたびに都市の復興や、新しい都市計画が行われました。そして都市の復興もまた、土木と切っても切れない関係にあることは言うまでもありません。 さて、浮世絵と関わりの深い江戸の災害として、安政2年(1855)10月に江戸を襲った安政の大地震があります。家屋はもちろん、大名屋敷や旗屋敷などの大規模な建築も被害を受け、各地で火災も発生しました。マグニチュードは6.9と推定され、町方の死者だけでも4,200余名、負傷者は2,700余名にのぼったと言われています。 作者不

    浅草寺のビフォーアフター~安政の大地震|太田記念美術館
  • 〈再開発エリア〉のルーツは江戸にあり!?|太田記念美術館

    太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会ですが、その見どころをご紹介します。 近年、東京ミッドタウン日比谷、虎ノ門ヒルズ、渋谷ストリーム、高輪ゲートウェイ周辺など、民間、あるいは自治体の主導による大規模な都市の再開発が相次いでいます。東京オリンピックの開催も予定されており、今後も東京駅周辺や虎ノ門周辺など、さまざまな地域で大規模再開発が計画されているそうです。 高輪ゲートウェイ付近のストリートビュー こうした特定のエリアを、商業地を中心に再開発するという流れは、もちろん今に始まったことではありません。江戸時代にも、あるエリアごとに、商業地を移転したり、開発あるいは再開発することがたびたびあったようです。 吉原遊廓 まず、挙げられるのが唯一の公許の遊廓である、吉原遊

    〈再開発エリア〉のルーツは江戸にあり!?|太田記念美術館
  • 御茶ノ水は人工の渓谷だった|太田記念美術館

    太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催しました。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会でしたが、その見どころをご紹介します。 今回は江戸時代に、人の手で造られた渓谷の話。御茶ノ水駅から秋葉原駅まで、神田川沿いを下ると、都心とは思えない谷状の地形が続いています。実は飯田橋付近から秋葉原付近までの神田川は、仙台濠とも呼ばれ、仙台伊達藩による大規模な土木工事で生み出された、人工の渓谷なのです。 神田山を分断する大土木工事 このあたりにはもともと神田山という台地がありました。現在の郷台地ですね。その神田山から隅田川へ向かって、神田川の原型となる流れが注いでいたのですが、そこに平川、小石川、石神井川3つの河川をまとめて接続し、隅田川へ放水するという、大規模な河川の架替えが計画されました。 その際に行われたのが

    御茶ノ水は人工の渓谷だった|太田記念美術館
  • 江戸にもダムがあった話|太田記念美術館

    太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会ですが、その見どころをご紹介します。 今回はダムの話。ダムは現代の土木ファンの間でも人気のジャンルです。各地のダムには大勢の観光客が訪れ、ダムの形を模したダムカレーなども作られて盛り上がりを見せています。 意外にも、家康が江戸に入府して最初期に行った土木事業に、ダムの造成がありました。ダムが造られた理由は、江戸の町づくりにたずさわる人々の「飲み水」を確保するためでした。 現在では、ダムというと山奥などに造られる巨大な建造物を思い浮かべますよね。もともとダムとは、治水や貯水などのために、河川を横断して堰き止める構造物のこと。家康が造成した江戸初期の「牛ヶ淵」「千鳥ヶ淵」「溜池」などは、貯水を目的とした、まさにダムのような構造物

    江戸にもダムがあった話|太田記念美術館
  • 江戸の発展は〈埋め立て〉抜きには語れない|太田記念美術館

    太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催。「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵を通して眺めてみようという展覧会でしたが、その見どころをご紹介します。 家康の江戸入府と埋め立て 今回のテーマは「埋め立て」。江戸の発展は、常に埋め立てとともにあったと言っても言い過ぎではありません。まず天正18年(1590)の家康江戸入府から間もない時期に行われたのが、日比谷入江の埋め立てです。 (参考文献:鈴木理生『江戸はこうして造られた』筑摩書房、2000。図版データ作成:筆者)図のように、家康江戸入府直後の江戸は、「江戸前島」とも呼ばれる半島状の地形でした。ちょうど今の京橋、銀座一帯がその半島部分にあたります。現在の日比谷あたりは、日比谷入江と呼ばれ、内陸まで海が広がっていました。 当時は平川が日比谷入江に注いでいたので、その流れを図のように架けか

    江戸の発展は〈埋め立て〉抜きには語れない|太田記念美術館
  • 浮世に描かれた橋 ~土木の視点から|太田記念美術館

    太田記念美術館では2020年10月10日~11月8日に「江戸の土木」展を開催しました。近年、土木工事によって造られた地形や構造物に、マニアックな楽しみを見出す人たちが増えています。また東京では、(延期になってしまいましたが)オリンピックを見据えてさまざまな再開発や工事も盛んに行われています。 考えてみると、東京のルーツである100万都市・江戸は、江戸城の普請や、埋め立てにより土地を造成、橋や上水、運河などのインフラの整備など、高度な土木技術より発展していった都市でした。現代にもつながる「土木」というキーワードで、江戸の成り立ちの様子を、浮世絵から眺めてみたら面白いのでは、と企画したのがこの展覧会。展のみどころを、何回かに分けて紹介していきましょう。 広重も北斎も描いた「橋」 第1回は「橋」。歌川広重も、葛飾北斎も、たくさんの橋の絵を残しています。江戸時代には、隅田川や日橋川をはじめとし

    浮世に描かれた橋 ~土木の視点から|太田記念美術館
  • 明治時代のアイヌの暮らしを描いた浮世絵を紹介します|太田記念美術館

    2020年7月、北海道白老郡白老町において、アイヌ民族博物館(1984年開館)を発展させたウポポイ(民族共生象徴空間)が設立されました。また、アイヌ文化を取り扱った漫画ゴールデンカムイ』も話題となり、2024年1月には実写映画化もされました。 そこで、浮世絵ではほとんど描かれることのない北海道、なかでもアイヌ民族の暮らしを描いた浮世絵を紹介いたします。 明治3年(1870)、浄土真宗の僧侶である大谷光瑩(こうえい)、法名「現如(げんにょ)」は、明治新政府からの命を受け、北海道の開拓事業と布教を行いました。 その様子を伝えたものが、翌明治4年(1871)頃、浮世絵となって刊行された「現如上人北海道巡錫絵図」です。点数は、大判錦絵15点、大判錦絵3枚続1点。絵師は、二代国輝、三代広重、二代国貞、小林永濯といった、当時の人気絵師たちが分担して制作しています。 今回は、その中から3点の浮世絵をご

    明治時代のアイヌの暮らしを描いた浮世絵を紹介します|太田記念美術館
  • 江戸時代のスイカはどのようにカットしていたのかというお話|太田記念美術館

    2020年8月18日、Twitterでこんなツイートをしたところ、太田記念美術館が2012年にTwitterを初めて以来、一番多い「いいね」の数(この記事の執筆時点で3万3127人)を獲得しました。 江戸時代、すでにカットスイカはあったようです。染付の大きなお皿に、カットされたスイカが山のように積まれていて美味しそうです。ちゃんと楊枝も刺さっています。(現在、作品は展示しておりません。) pic.twitter.com/H3ZcCV9Rmi — 太田記念美術館 Ota Memorial Museum of Art (@ukiyoeota) August 18, 2020 このツイートを書いたきっかけは、たまたま「マツコの知らない世界」(TBSテレビ)で「スイカの世界」を特集していた際(2020.8.18)、最近のスイカはカットした状態で販売されていることが多いという情報を知ったからです。

    江戸時代のスイカはどのようにカットしていたのかというお話|太田記念美術館
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