その社会の だれもが、自分は無力だ、社会を かえる ちからはないと感じてしまうなら民主主義の社会ではない。ダグラス・ラミスが いうとおり、「無力感を感じるなら、民主主義ではない」のだ(『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』第5章)。 無力だと おもっているなら、自分の責任など実感できるはずもない。自分に決定権や影響力が あることを 実感するからこそ、自分の やくわりや責任を 自覚するようになる。 「わたしは この社会を かたちづくっている一員なのだ」という感覚。そういう感覚が まず第一に必要。それが おのずと実感できるような社会にしないといけない。そうしていくなかで、自分の社会的位置を 確認し、構造的差別への「責任」を 実感できるようになる。行動できるようになる。 責任を ひきうける。 - hituziのブログじゃがー 要するに、「差別者として自覚する」とか、そういうことは