建築に関するblackspringのブックマーク (1,181)

  • 手塚貴晴 - 屋根に暮らす「ふじようちえん [1]」:私の建築手法

    これは最近できた「ふじようちえん」です。 佐藤可士和さんというアートディレクターが私のところへ電話をしてきて、「幼稚園を建て替えたいっていう人がいるんだけど、手塚さんきてくれないか」と誘われたんです。佐藤さんとは昔、番組で会ったことがきっかけで、それ以来の知り合いだったんです。行ってみたらすごく大きな幼稚園なんですよ。今どき600人近く園児のいる幼稚園ってないと思うんです。日で3番目の規模だそうです。単体の建物としては最大だと思います。その幼稚園の雰囲気がなかなかよくて、「千と千尋の神隠し」に出てきそうなボロボロの木造の園舎だけどバカでかいんです。全部外廊下で懐かしい雰囲気がありました。園長先生に「これいいから、壊すのやめましょう」といいましたら、「実は雨漏りがいっぱいしていまして」と。「ここの園児は雨漏りの水を受けるのがものすごく上手いんですよ」なんていうんですよ。とはいえ、このままで

  • おしらせ

    ふじようちえん 〒190-0032 東京都立川市上砂町2-7-1 Tel : 042-536-4413 © 2000 - 2024 学校法人 みんなのひろば ふじようちえん

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    blackspring 2011/01/24
     OECDの効果的学習環境センター(CELE)が出版する学校施設好事例集の最優秀賞+文部科学大臣賞(新設)。朝日の記事→http://www.asahi.com/edu/news/TKY201101190533.html
  • 上野毛駅改良工事は最初から安藤忠雄プロジェクトだったのか | ネットに書かれていないことを綴る

    上野毛駅改良工事は06年2月に発表され、同年6月に着工した。東急電鉄が毎月発行しているリーフレット「HOT ほっと TOKYU」06年8月号によると、バリアフリー化と大井町線急行運転のための通過線新設が目的で、この時点では08年9月完成予定となっていた。掲載されている完成イメージ図は、上野毛通りを挟んで大井町方面に新駅舎、溝の口方面に旧駅舎が描かれている。 旧駅舎は独立した建物として改築し、新駅舎とは連絡されていない。現在の計画とは規模・デザインとも全く異なっている。ここでは安藤忠雄氏の名前はない。当時、駅に貼られたポスターを撮影したブログ「鉄分補給を告白する日記みたいなの」(拡大可)を見ると、大井町方面側の人工地盤も狭く、線路全体を覆っていないことがわかる。 上野毛駅に安藤氏が関わることが知れ渡ったのが、07年3月~4月に東京ミッドタウン「21_21 DESIGN SIGHT」オープニン

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    blackspring 2011/01/23
     「当初は安藤氏と関係なく進めていた上野毛駅改良工事を、東急東横線『渋谷駅』地下化工事で東急電鉄と関わりを持った安藤氏が、自主プレゼンで着工後に変更させたように見えるのだが」
  • 建築構造&力学ブログ

    16年目の1月17日を迎えて 兵庫県南部地震以前とその衝撃 (平成13年度 国土交通白書のページより) 明日、1月17日で兵庫県南部地震、阪神淡路大震災から16年となる。兵庫県南部地震は、建築構造や地震工学を生業とする研究者やエンジニアにとっても、大変衝撃的な地震だった。兵庫県南部地震以前の地震、例えば1968年の十勝沖地震、1978年の宮城県沖地震、これらの地震がもたらした甚大な被害は、建築基準法改正の契機となり、構造部分に関する規定が強化されることとなった。78年の宮城県沖地震以降でも地震はそれなり頻発していたが、例えば鉄筋コンクリート造建物の被害と言う点では被害はそれほど見られず、「日の建物は地震に対してかなり安全になった」というのが大方の見解であったと思う。 1994年には、アメリカでノースリッジ地震が発生し、建物の倒壊が相次ぐなど甚大な被害がもたらされた。この地震の直後の報道で

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  • 明治生命館

    明治生命館が竣工したのは、1934年(昭和9年)3月のことです。戦時中の金属回収、東京大空襲、そして終戦後にはアメリカ極東空軍司令部(FEAF)として使用するためにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収され、米・英・中・ソの4カ国代表による対日理事会(ACJ)の会場として使用されるなど、昭和の激動を乗り越えてきた明治生命館には、そのすみずみにまで時代の記憶が刻印されています。 明治生命館では1階店頭営業室や、対日理事会の会場となった2階会議室をはじめとする執務室、応接室などの文化的価値の高い主要室をご見学いただけます。また、資料・展示室にて明治生命館の建築、明治生命館の建設に携わった人々、明治生命館の歴史についても詳しくご紹介しています。さらに明治生命館に関係する史資料のデジタル閲覧サービスもご利用いただけます。

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    blackspring 2011/01/16
     一般公開:毎週土・日曜、11:00~17:00
  • 御茶の水分水路ツアー :: デイリーポータルZ

    ぼくは以前から当サイトで神田川の洞窟(分水路)にもぐる話についてかかせてもらっている。 マニアックな遊びなのでそんなのを他にやっている人はいない・・などと思ってはいけない。インターネット上で「神田川 分水路」で検索すると、少なくとももう一人、ぼく以上に格的にそこを探検している人がいることが分かる。 それが、「水路をゆく」の石坂さんだ。タモリ倶楽部で分水路をタモリさんに案内したこともあるという、そんな石坂さんと、今回神田川の御茶の水分水路を一緒にくぐるという光栄にあずかった。 そんな顛末記です。 (三土たつお) 石坂さんとようやく出会う 東京の、神田川みたいな水路を航行している人のブログがあるのは知っていた。というか、そんなことをしてるのは一人しかいなかった。 それで、分水路の記事や、あるいはイベントの取材をするときもぜひその方(つまり石坂さん)にアドバイスを頂きたいなと思って、もう何年も

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    blackspring 2010/12/26
     タモリ倶楽部で見た。
  • 日本ボロ宿紀行

    4月30 城下町津山で営業を続ける登録有形文化財の伝統宿[津山市 あけぼの旅館] カテゴリ:岡山の宿 Tweet 高松での仕事が終わり、翌日は名古屋で仕事があったので、岡山から津山に移動して一泊し、翌日名古屋に向かうという遠回りな計画を立てました。 津山といえば古代から開けた美作地方の中心地で、私は何度か通過したことはあるのですが、泊まるのは初めて。古い城下町でもあり、例の「八つ墓村」の話もちょっとは頭にあり、前からなんとなく気になる土地でした。 宿は登録有形文化財になっているあけぼの旅館。事前に予約してありました。ゆっくり滞在すれば見どころの多い街だと思いますが、今回は夜に到着して一泊するだけなので、当はこんないい宿でなくてもよかったのですが、やはり伝統旅館の魅力に惹かれて予約しました。 岡山から津山線に乗り換えて津山駅到着。駅前の雰囲気はかなりの都会です。記憶が定かではないのですが、

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    blackspring 2010/12/21
     駅前旅館などの昔の旅館を紹介。
  • るるぶ新宗教 第二回 円応教の巻 - ダイナミック大熊

    第一回から相当開いてしまいましたが、第二回は円応教です。 JR西日の福知山線、加古川線が交わる谷川駅から徒歩15分。加古川線の久下村駅からは徒歩5分ほどですがほとんど電車はありません。僕はレンタカーで行きました。 国道175号線を走っているとこんな看板が見れます。2004年の市町村合併以前までここは山南町というところでした。 遠くに見える左側の大きな建物が円応教部。右側の煙をはいているのはパルプ工場です。 このカッコイイ建物が見てみたくて兵庫の山奥まで行ったんです! この建物は五法閣といって1986年に建てられました。五法閣といっても9階建てです。 最初の写真見てもらうとわかるんですが、円応教部は山の斜面に無理やり置かれているため不思議な形にみえます。主だった施設を見るにはこの建物の中を通り、エレベーターで上まで昇る必要があります。この温泉地のホテルみたいな建物の中は教学科や布教科な

    るるぶ新宗教 第二回 円応教の巻 - ダイナミック大熊
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    blackspring 2010/12/04
     現代建築+瓦屋根はうまくやらないと下品になるものだけど、その典型みたいな五法閣。ぱっと見、地方の巨大温泉旅館。でもワザとやってるフシもあるし、洗練されすぎていても・・・という感じなのだろう。
  • 「黄金町バザール」とは結局なんなのか | 「消えた横浜娼婦たち」の事情

    旧称:メリーさんの故郷の写真……メリーさんや横浜の裏話あれこれ、書籍販促計画など <<写真:牧小港のチャブ屋女たち。戦前撮影>> 警察庁による2005年のちょんの間一掃作戦(通称「バイバイ作戦」)。 この一連の掃討作戦により、多国籍娼婦群は一掃された。 その後<地域とアートの共存を通して街を再生する試み>として始まった黄金町バザール。 ↓ http://www.koganecho.net/koganecho_bazaar_2009/info/info01.html このムーブメントに関して評価は様々かもしれない。 近隣に住む者として、軽いジャブを打ってみたい。 以前より漠然と感じていた不満。 それを文字にすると、以下の一言に尽きると思う。 ↓ ↓ ↓ 「黄金町バザール」とは、アートに理解のある人間・関心のある人間だけを導き入れ、それ以外をやんわりと排除する運動なのではないか。 しかし必要

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    blackspring 2010/11/15
     コメント欄も。
  • 横浜異人娼館 | 「消えた横浜娼婦たち」の事情

    京急・日ノ出町駅から徒歩わずか一分たらずの路地裏に、ひっそり佇む朽ちた魔窟。 ふと寺山修司の「上海異人娼館」が思い浮かんだ。 「横浜異人娼館」。 勝手にそう呼んでしまおう。 内部も痛みがち。キッチンの天井部分。 室内の様子 その1。 室内の様子 その2。 女郎屋だった頃の名残か? 金魚をあしらった水回りの壁。 廊下はひと一人がやっと通り抜けられるほどの狭さ。 せせこましいが、典型的な遊郭のつくり。各部屋の入り口に軒がついている。 この建物は昭和20年代前半に建てられたという。5年前まで中国人(チョゴリを来た婦人のカレンダーが掛かっていたので、韓国人の間違いではないかと思うのだが……)の一家が住んでいたのを最後に、空き家になっていたという。 「空き家」とはいうものの、まごうことなき廃墟である。 建設当初、この建物が何に使われていたか、正式な名称はなんというのか、近隣に住む年配者たちもまったく

  • 我慢できない大人の為の社会科見学 犬島アートプロジェクト「精錬所」 - 日毎に敵と懶惰に戦う

    レポートでは時間を決めた『ツアー制』になっていますが、2010年4月以降、自由に見学できるように変更されています。その他、時々で変更になっている可能性がありますので、公式のwebもよくご覧ください http://www.benesse-artsite.jp/seirensho/index.html 直島からの船が港に辿り着くと、すぐにチケットセンターの建物が見える。ここは何かのテーマパークなのか 犬島は岡山市にある島で、宝伝という港から僅かに5分で辿り着く。1909年に銅の精錬所が作られ、一時は3000人以上の人が暮らした島だけれど、銅の価格の暴落により、精錬所は10年で操業を終えた。そして今、島に残るのは、60人の島民と、遺された精錬所の跡。 この精錬所の遺構を利用して、またしてもアート空間を作っちまおう、というのが、ベネッセなわけであり、直島福武美術館財団なのであります。森ビルの森稔

    我慢できない大人の為の社会科見学 犬島アートプロジェクト「精錬所」 - 日毎に敵と懶惰に戦う
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    blackspring 2010/09/16
     犬島のここや大島には行ってみたいと思ってる。
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  • 今年の黄金町バザールは、とにかく日ノ出竜宮へ - 日毎に敵と懶惰に戦う

    今年もまた、黄金町バザールがはじまった 黄金町バザール2010 2008年のトリエンナーレ連動から開始され、毎年、ひっそりというか、知らないうちにというか、なんというか、開催されている黄金町バザール 横浜トリエンナーレ 関連イベント早足レビュー - 日毎に敵と懶惰に戦う 黄金町バザールで林新市長を見るのこと - 日毎に敵と懶惰に戦う 今年はどうか。結論から述べると、今年は結構当たりだと思うし、なによりもまず、日ノ出竜宮に来ていただきたい、と思うのです。日ノ出の竜宮は、昨年、Aスタジオの前にあって強烈なインパクトを放っていた建物…これは去年の写真ね これは元々旅館だったのだけれど、今回の黄金町バザールに合わせてコンバージョンされて、カフェやギャラリーに転用されたのですよ かつての旅館が、当時の面影を残したままでさまざまに改装されて、なかなか面白い空間になっている 風呂場はそのまま残っている。

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  • #tokenarch 建設関連資料のアーカイブを考える会関連tweet置き場

    #tokenarch 誰でも編集可、どんどんtweet追加していただけると吉 1. http://togetter.com/li/32727 そして記憶は紡がれる - 貴重な古建築写真が救われることとなったお話 2. http://togetter.com/li/34865 そして記憶は紡がれる2 - 第1回「建設関連資料のアーカイブを考える会」に向けて 3. http://togetter.com/li/35352 第1回「建設関連資料のアーカイブを考える会」実況 続きを読む

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  • 第1回「建設関連資料のアーカイブを考える会」実況

    2010年7月14日 於TOKEN ・資料元:@kandanekonyan ・発起人:@petiska ・日の出席者(順不同敬称略):@kandanekonyan @hajimebs @jun100122 @KOICHIROH @tsakajp @sohsai 学会関係者3名 建設産業図書館1名 1. http://togetter.com/li/32727 そして記憶は紡がれる - 貴重な古建築写真が救われることとなったお話 続きを読む

    第1回「建設関連資料のアーカイブを考える会」実況
  • 藤森照信の神長官守矢史料館 : 中年とオブジェ

    8月7 藤森照信の神長官守矢史料館 カテゴリ:建築アート 茅野駅前の茅野市美術館から車でしばらく。藤森照信の建築家デビュー作「神長官守矢史料館(じんちょうかんもりやしりょうかん)」(1991)が、静かな集落の中に佇んでいる。諏訪大社の成立以来、筆頭神官をつとめ続けたという守矢家に伝わる古文書・史料を収蔵するための施設で、祭事の再現展示・史料の展示をするスペースも設けられてる。 藤森はこのデビュー作においてすでに木・石・土壁などの素材を用い、日の伝統的民家の形式におさまらない、荒々しく縄文の古層にいたるような造形を生み出している。農耕開始以前の信仰にまでさかのぼるという守矢家の史料館に、まさにふさわしい。 私は茅野市美術館の「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」の関連イベント、「藤森照信が案内する高過庵&神長官守矢史料館 見学会」に参加したのだが、この資料館についても興味深い解説をうかが

    藤森照信の神長官守矢史料館 : 中年とオブジェ
  • 藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築 : 中年とオブジェ

    8月3 藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築 カテゴリ:アート建築 この夏、長野県の茅野市美術館で「藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築」が開催されている。 藤森照信の展覧会といえば、2007年に東京オペラシティアートギャラリーで行われた「藤森建築と路上観察」が記憶に残っている。(そのときの記事はこちら) 今回の展示はオペラシティでのコンセプトをもとに規模縮小して再現した印象。終末後の東京をイメージした「東京計画2107」のジオラマ、藤森建築特有のディテールの部材モデル、木彫による建築のイメージ模型、そして藤森建築の原点を示唆する卒業設計「橋」。 新味といえば、藤森の原風景である茅野のいくつかのスポットの写真、藤森建築のためにデザインされたオリジナル家具の展示(椅子には座れる!)、2007年の展覧会以降に手がけた建築の写真パネル展示といったところなのだが、大判の写真パネルからは建築の持つ雰

    藤森照信展 諏訪の記憶とフジモリ建築 : 中年とオブジェ
  • 小さな町が大揺れに−豊郷小学校

    裁判所の命令を無視―。暴力団が、ではない。小さいとはいえ地方自治体である町が、である。この「町」とは琵琶湖の東南に位置する滋賀県豊郷町。人口約7千人の小さな町である。その町の豊郷小学校が事件の舞台となった。 裁判所が出した解体工事差し止めの仮処分命令に従わず、町長である大野和三郎氏が業者に命じて同小学校の窓を取り壊し始めたのだ。町全体を揺るがす大騒動に発展した。 (取材・写真/庄村有治) ★窓ガラスを次々と破壊★ 昨年12月20日のこの日、豊郷小は二学期の終業式があったばかりだった。児童が帰宅した直後、代わって現れたのは解体工事を請け負う作業員たちと引越し業者。10人以上の作業員が教職員の制止を振り切るように2階へ上がり、バールで窓ガラスを破壊し窓枠を外した。実質的な解体工事の開始である。 そのため、同小の保存・改修を訴える住民らともみ合う騒動に発展してしまった。 豊郷小学校の改築問題

  • 豊郷小学校旧校舎&五個荘近江商人屋敷他 (湖東三山・多賀・東近江) - 旅行のクチコミサイト フォートラベル

    まゆままさんTOP 旅行記248冊 クチコミ17件 Q&A回答1件 1,582,731アクセス フォロワー40人 彦根を後にし、甲良町の旧甲良東小学校、そしてこちらも楽しみにしていた豊郷町の豊郷小学校旧校舎へ。 二つの旧小学校校舎を巡った後、最後の締め?に五個荘へ訪れた。 五個荘では近江商人屋敷の藤井彦四郎邸の見学ができた。 大所帯ながらピンポイントではあったけど満足な建築巡りができてよかった〜 彦根を後にし、甲良町立図書館へやってきた。 この建物は昭和8年に完成した東甲良尋常小学校の館部分を活用したもの。 校舎は全国でも類をみない総檜造りで当初その豪勢さは日一とも言われたとか。 小学校建築には、当時の村長が陣頭指揮をとり、村民や児童なども一丸となって参加。 8年の歳月をかけて校舎は完成したそう。 半世紀を過ぎ、建て替えが決まったが住民の要望により移転保存され、平成4年には町指定文化

    豊郷小学校旧校舎&五個荘近江商人屋敷他 (湖東三山・多賀・東近江) - 旅行のクチコミサイト フォートラベル
    blackspring
    blackspring 2010/08/19
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