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小熊英二と社会に関するbluefieldのブックマーク (2)

  • 小熊英二氏を囲むささやかな集い - (ナツ)のハッピー日記

    その時の小熊氏の話は以下の通り。なお、これは私の記憶に基づいて私の責任で記述したものである。一字一句そのままを書いているわけではない。 - ●『〈民主〉と〈愛国〉』について ・ 表紙は自分で2〜3案用意し、デザイナーと話し合って決めた。初版の帯も自分で書いた(最後の一行だけは新曜社の前社長の文)。 ・ 大学生には国民的歴史学運動の章が予想以上に受けた。石母田正さんかわいそう、といった声を聴いた。 ・ 思い返すに、書を書いた動機といえそうなものは三つ。 (1)「公」についてのまともな議論を提示したかった。 (2)インドに行き、貧富の差、そんな中での知識人のあり方、ナショナリズムについて考えた経験。 (3)編集者としての経験。戦後知識人の集まりでお茶を入れていたとき、都留重人がいつも蝶ネクタイなのはなぜだろうと思ったりしたことなど。 ・ あとがきで父の話を書いたのは親孝行もあるが、父の裁判に

    小熊英二氏を囲むささやかな集い - (ナツ)のハッピー日記
    bluefield
    bluefield 2009/06/17
    みすずの合併号を読む限りだと、結局80年代も扱うみたいですな。
  • 最近文献160吉川勇一インタビュー【聞き手】小熊英二

    160 吉川勇一インタビュー「国境をこえた『個人原理』」【聞き手】小熊英二 岩崎稔・上野千鶴子・北田暁大・小森陽一・成田龍一編著 『戦後日スタディーズ② 60・70年代』(紀伊国屋書店 2009年05月刊)に所収 (09/05/13掲載) これは全部で39ページあるかなりの長さのものだが、以下にはその中で、全共闘運動に触れた部分と、最後の部分だけを紹介する。 (前略)…… 小熊 だけど日大はむしろ例外で、そんなに学生が抑圧されていない大学にも全共闘運動は広がった。当時は高度成長の盛りで、就職率はほぼ一〇〇%。年長者には、戦後懸命に働いてやっと生活のゆとりができて、大学に通えるようになったのに何が不満なんだ、なんでこんな好況期にマルクス主義を掲げてゲバ棒を振りまわす必要がある、といった反応が多かったようです。吉川さんは、あの学生叛乱はなぜ起きたと思っておられましたか? 吉川 たしかに好況期

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