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ブックマーク / bakuhatugoro.hatenadiary.org (2)

  • 『この世界の片隅に 下』の感想と、清志郎の死について少し - ぼうふら漂遊日記

    自分がこんなにも、戦前の人々の思いや、暮らしぶりといったものに拘るようになったのは何故だろう。 幼い頃から、明治生まれの母方の祖母と同居し、両親以上に親しい存在だったことがまず大きいと思う。 加えて、個人の自由や平等というものが絶対の正義のように喧伝される割に、力のないもののそれは当たり前に軽視されることを、腕力や人望に決して恵まれていなかった田舎の子供の頃から、骨身に沁みていたということもある。 ただ、こうした世の中の二枚舌を欺瞞と感じ、ムキになる自分と違い、祖父母の世代は、そうした物ごとの根を掘り下げたり、直に向き合ったりということを決してしよしとせず、むしろ意識に上らせること自体を避けて、万事「これでよかったのだ」と無言のうちに納得するかのように、静かに暮らしている。 そうした彼らの在り方は、まるで権利を主張したがる自分を、無言のうちに「はしたない」と言われているようで息苦しくもあ

    『この世界の片隅に 下』の感想と、清志郎の死について少し - ぼうふら漂遊日記
    bluefield
    bluefield 2009/05/09
    75年体制賛美論
  • グラン・トリノ - ぼうふら漂遊日記

    戦争の地獄と戦時中の息苦しさを潜った結果、「何がどうあろうと、とにかく戦争だけは嫌だ」という、骨がらみの厭戦とある種のリベラリズムを身につけた人たちが、日にもいる。映画の世界で言えば、例えば池部良、岡喜八、殿山泰司といった人たち。 僕は、世界中が帝国主義をやっていた、露骨な喰うか喰われるかの時代の、かつての日戦争自体にも、祖国や同胞の為に戦った人たちにも、「一部の理」とか「やむを得なさ」というのはあったと考えているから、彼らの考えに従ってそれを全否定することはできないけれど、それでも彼らの確かな実感と思いを前に、有無の言えない説得力はどうしたって感じる。 だからむしろ現在の、自分が試されることのないリベラルな空間の中で、彼らの言動を自分たちの保証にするようなことは卑怯だと思う。それは、命をかけて同胞のために戦った行為を敗戦後の祖国に裏切られ、沈黙している人たちの気持ちに、ただ乗りす

    グラン・トリノ - ぼうふら漂遊日記
    bluefield
    bluefield 2009/05/02
    あとここ最近の彼の作品、弱者救済を描く一方で、「コミュニティ(=アメリカ)を乱す輩は私刑してやる!」ってな感じのかなりのウヨ映画になってると思うんだが、左の人まで皆褒めてるのには違和感を感じるな。
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