渡辺俊幸はテレビドラマや映画の作曲家として知られる。だが、もう一つ、シンガー・ソングライター、さだまさしの「プロデューサー」で、「さだをソロデビューさせた男」という事実はあまり知られていない。この2人の究極のパートナーシップを描いた書籍「絆の極み~さだまさしと渡辺俊幸の半世紀」の著者がその足跡をひもといていく。 ◇ シンフォニックな音楽で知られる渡辺の振り出しはなんとドラマー。人気フォークグループ「赤い鳥」に、村上〝ポンタ〟秀一の後任として加入した。1973年、18歳の春だ。同年、3歳年上のさだが同じ事務所に所属し、フォークデュオ「グレープ」でデビュー。「赤い鳥」の前座を務めるようになり、互いのことを意識し始める。 渡辺がドラムに開眼したのは小学4年生。映画「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」が公開され、その音楽、ファッション、すべてにしびれた。 「なぜか家にあった、板にラバーを貼