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ブックマーク / kananaka.hateblo.jp (19)

  • 火熾す女。 - kananaka's blog

    久々の更新および新年のご挨拶も抜きの失礼を顧みず、2009.11.04『柿編む女』、2010.02,03『醸す女』、2010.11.10『漬ける女』に続く、「〇〇する女」シリーズ第四弾として、今日は我が家の七輪を語ってみたい。 未使用時は古新聞にくるまれ鎮座するその姿に、引越業者に「これ、何ですか?」と奇異な眼差しを向けられたことも数知れず。好奇心旺盛な友人どもには「嫁入り道具」の一言で済ませてきたが、育ての母に譲ってもらって以来、日列島を北から南まで共にしてきたそれは、私の人生において「嫁入り道具」以上の価値をもつ。 四年前(だったか?)の引越貨物+まだあどけなさの残る倉庫番。 問題のブツは矢印の先。 おや、後の都知事のお姿が…^^; 一体いつの古新聞ダ? 「七輪を持ってる」ましてや「フツーに使ってる」と言うと同年代の友人には驚かれるが、使い慣れている身にはなんのことはない、ガスコンロ

    火熾す女。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2013/02/17
    七輪はゆうべ西荻のホルモン屋で対面した。遠赤外線の火力がたまらん/さんまとか干物とか焼いてみたいが、団地じゃ無理(泣
  • 秘密。 - kananaka's blog

    昼寝する子ども  (新川和江) 眠っている子どもは 眠りの国を 今 どのあたりまで行っているのだろう よちよちと 家の中を 伝い歩きしかしたことのない まだ土踏まずもできていない やわらかな小さな足で 手もつながずに ひとりで 寝顔がときおり 花の蕾のようにほころぶ 母親のわたしにも見せたことのない このような佳(よ)い微笑(ほほえみ)を この子の頬に浮べさせるひとが 其処にはいるのだろうか あ、またわらった カーテンを優しく揺すってくれている そよ風の生まれ故郷よりも遠く 古い額縁の中の 見知らぬ異国の港町よりも遠く 添い寝したところで追いつくすべない はるかな距離を 嬉々として ひとり歩きしている幼な子 今からちょうど一年前、一通の書留が届いた。差出人はひと月ほど前に鬼籍に入った父方の親族である。 生前より父とは折り合いが悪く―――否、折り合いが悪いどころの話じゃない、幼いころに生き別

    buhikun
    buhikun 2012/01/04
    遅まきながらおめでとうございます<m(__)m>お身内ほどかはどうかですが、わてくしもゴンタな人の親でして。まあ少なくとも「カーネーション」の小林薫の上はいってるかと(苦笑)
  • ミラノテイストはミライのテイスト。 - kananaka's blog

    今週のお題大人になったと感じたとき それは明け方東の低い空に木星、金星、火星、水星の四惑星を同時に望む週末*1のことだった。 とつぜんひとりの少女が訪ねてきたのだ。 あのぉスミマセン。ここはミライでしょうか。 これ以上ないくらい短髪に刈り込んだ彼女は、いまにも折れそうなうなじを小さく左に傾けてみせた。鋭角的なまでに張り出した額(ひたい)*2がなんとも印象的である。 ―――えぇと…貴女が過去から来たというなら、たしかにここは未来になりますですね。 あまりに唐突の質問に、こちらもトンチンカンな応答しかできない。第一、少女の言う「ミライ」が「未来」のことと気づくのだって、相当の時間を要している。 アタシ、コーヒー牛乳がのみたいのです。 ―――コ、コーヒー牛乳……ですか。 ハイ、コーヒー牛乳がのみたいです。 時間旅行してきたと思しき少女は、そう高らかに宣言してみせた。 未来にきて最初にやりたいこと

    ミラノテイストはミライのテイスト。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2011/05/17
    <ミラノ・テイスト>と聞いて、ピーター・ウィット・カーhttp://tinyurl.com/3fn37f4 思い出した俺ちゃんは国際鉄/未来の「コーヒー牛乳」←「白バラコーヒー」は、不滅やで(^(00)^)/
  • 甘く切ない片想い。 - kananaka's blog

    悲しい夢を見て目が覚めた。自分の不注意で、家族を失う夢だった。無防備に、私にすべてを委ねる穏やかないのち。幾度その名を呼んでも、もう取り返しがつかない。 飛び起きざまに、胸元のすこやかな寝息を確かめる。夢でないことを確かめるべく、海の向こうのこの子の父へもメールする。まだ動悸が収まらない。イイ年こいた大人が自分の妄想に誰かをつき合わせるなんて、反則だとわかっている。けれど、そうせずにいられなかった。 この手の幻想ほど恐ろしいものはない。おとなになってみると、わかる。夢でよかった、と大袈裟でなく胸をなで下ろす。ありえないことじゃない。だからこそ、この安堵の瞬間(とき)が永遠に訪れなければ、否、その妄想だけでも自分は狂ってしまうだろう。 枕元の時計が04時30分を指している。不意に腹が鳴った。彼女の安眠を妨げぬよう、そっとベッドを離れ、冷気がうずくまるキッチンへ足を踏み入れる。 ―――白々と戸

    甘く切ない片想い。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2011/02/18
    悲しい夢も飛ぶ夢もとんと見ない。うつつが悪夢っぽいから(^(00)^;;/徳島でも和三盆を豊富に使った和菓子は高嶺の花とテレビで見た/年末年始の雪が全部和三盆やったら?糖尿が不可逆的に悪化する(爆
  • 世界で一番小さな海。 - kananaka's blog

    物語はいつも、呆気ないほど微小なかすり傷から始まるものだ。けれど、それが当にただの<擦り傷>か、あるいは癒えかけた<古傷>の疼きか、それとも真皮に達する新たな<深手>であるか知るのには、少しの時間が必要である。少なくとも私の場合は、そうだった。幼いときから、今になるまでずっと変わらずに。今宵、ここにしたためるエピソードにおいても、それは同じ。深夜の緊急連絡を受けたとき、私は不謹慎にも「あら、終に…」と小さな笑い声すらあげたのだから。 そのとき私は、熊(ぱんだ)柄のダンボールが堆積する深山の奥で草臥れ果て*1、折しも発掘した一冊の句集を読み耽っていた。タイトルは『癌め』(江國 滋、角川書店 (1999/04) )。 作家であり評論家であり俳人でもあった江國は、検診で堂癌の告知を受け、癌センターへ入院。十時間余りの大手術、水一滴飲めぬ苦しさを越え、最期を迎えるまでの半年(187日)間に、

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    buhikun
    buhikun 2010/12/08
    無縁社会が声高に言われるが、縁というものは意思表示で断ち切れないのかも/親父は忌避の対象で、反面教師視して来たが、今年は年頭から秋まで入院入所に立ち会い、おれがケツ拭くしかないと思わされた。感慨。
  • 漬ける女。 - kananaka's blog

    今週のお題:ごはんの友 お台所(ダイドコ)で大切にされている材の一つに、「漬物」がある。野菜なら、胡瓜、茄子、白菜、牛蒡、茗荷、蕪、瓜、生姜、人参、大根、蕗、山葵。それら旬の材を塩や酢、糠味噌、醤油、酒粕などの漬込材料と共に熟成させ、風味を増幅させる。保管場所はできるだけ涼しい場所、そして暗い場所。ヒトが暮らすには快適だが、酵母には苛酷な環境の高断熱・高気密住宅が増え、減塩調理の大切さが叫ばれて久しい昨今、やや敬遠されがちの観は否めないものの、冬場、新鮮な生野菜の入手が限られた寒い地域では、雪が来るまでに収穫した旬の野菜を保存し、飽きない工夫をしながら、ごはんの友に、お茶受けに、箸休めにとべ回す「漬物文化」は、未だ根強く残っているように思う。 発酵品である漬物とかびは背中合せの存在だが、うっかりかびを生やしてしまっても、かびとの付合い方を知っていれば挽回は可能だ。酢漬け、醤油漬け、

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    buhikun
    buhikun 2010/11/14
    めはりずし(未食)のように、葉物野菜の漬物でご飯を包むコンボは合理的であり理想的@ヘーゲル/ただ出身地の上州では、25mプールみたいな所で沢庵漬けてると聞き、強気になれない(^(00)^;;
  • ヌコにもマツタケ。 - kananaka's blog

    庭先でこぼれんばかりに咲き誇るキンモクセイの芳香が、秋の深まりを告げている。そういえば最近、澄み渡る秋の空を見ていない。理由は単純、頭上を木立に覆われたアカマツ林の中、筆者が足元ばかり見て歩いているせいである。 「花より団子」とはよく言ったもの、今年も山の手の我が家にキノコの季節がやってきた。盛夏を過ぎ、朝晩の最低気温が10度を下回り始めれば、山仲間たち(含・筆者)は一斉にそわそわ、「出るだろうか」「出たらしいぞ」の噂が飛び交い始める。何が「出た」かって?―――勿論、キノコの王様・マツタケである。 今年の夏は、気象庁もお墨付きの「異常気象」だった。七月の降水量こそ多かったものの、八月は連日の真夏日を記録。そして、肝心のキノコの生育に影響を及ぼす降水量は平年の三分の一程度しかなかった。近年稀に見るマツタケの凶作年となった昨年と比して、決して楽観できる状況ではない。 ところが待ちかねたシーズン

    ヌコにもマツタケ。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2010/10/18
    鼻が死んでるので、マツタケなんてあってもいらんわキリッ)/食べて美味しいのは、自生一本物ホンシメジと、自生マイタケの株(^(00)^)/
  • 神々も愛でるクラフティ。 - kananaka's blog

    例年お盆を過ぎれば秋の気配が立つはずが、さすがの当地も今年の夏は鯨油のように重い粘り腰。なんでもこの猛暑、三十年に一度の異常気象を記録したのだとか*1。それでも先日、台風9号が日列島を駆け抜けて、まず湿度がぐっと下がり、続いて毎朝の気温も20度を割り込むように。熱帯夜に飼い慣らされた体には、もはや過ごしやすいを通り越して肌寒い。金色の稲穂は重く頭(こうべ)を垂れ、こおろぎやすずむしの声の中、急に高さを増した蒼穹に泳ぐはいわし雲、外はすっかり初秋の風情。転じて室内に目をやれば、尾のある相棒がベッドに寄り添うようにうずくまる。「終わり」の気配が陽炎(かげろう)のように大気中を浮遊し、耳元に囁きかけてくる。また一つ、季節が過ぎようとしている。 ふんだんな野菜と果物の産地の実りの秋は、来たるべき厳しい季節に向けて保存の素材の宝庫でもある。巨峰にイチジク、「祝」に続くは「つがる」(林檎)、「バー

    神々も愛でるクラフティ。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2010/09/13
    今回読んで個人的に浮かんだのがやはり「不二家ネクター」/あと、偉大なる母馬「クラフティワイフ」(いい子を産んでる(^(00)^;; )
  • ぴーまん、こわひ。 - kananaka's blog

    「そういえば昔、タマネギがべられなくて、よく半べそかいてたよね。―――彼、今も苦手ですか? えーっと……ギュ…ギュルレーク【瑞:gullök*1】?」 今から月日を遡ること七か月、時は雪景色のお正月。「古き自由な北の国【瑞:Du gamla, du fria】」より一時帰国した弟カップルと酒盛りの席で、べものの好き嫌いの話題になった。後半、筆者のアヤしげな片言は同席の瑞典国籍のカノジョに向けてのものではあるが、当然これだけで意味が通じるはずもなく、彼女は小首をかしげ、姉が作ったタマネギとキノコのマリネから熱心にタマネギを選別中の男に、視線を投げただけだった。 今でこそ隋所のい意地テロ・エントリにて白旗を掲げまくっている筆者ではあるが、幼い頃はひたすらが細く、思春期になってからは過と拒の間を揺れ動き、さずにいられない己の体を持て余し過ごしていた。当時の日記*2を紐解くと、そんな

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    buhikun
    buhikun 2010/08/08
    嫌いじゃないが食わんなあ/別に焼いて醤油つけてもうまいからとも思うが、袋に何個も入っとるし/チンジャオロースでなくば、肉詰めか。あとで試そう(^(00)^)/
  • 千の夜とひとつの朝。 - kananaka's blog

    年頃の女の子が、激しく抗議している。高校生くらいだろうか。蒼ざめた細面(ほそおもて)の顔、広い額、見開かれた眼窩、乾いて尖った瞳、体のラインに沿って下ろされた華奢な腕先には強く握られた拳、細い指先の爪はその掌を痛々しく抉っていることだろう。そして彼女の全身から迸る激しい怒りは、まぎれもなく私自身にその矛先を向けていた。 「学校、行かせてよ! なんで行っちゃいけないのか、説明してよ!!」 それは、悲鳴と言ってよかった。一体誰なんだろ、この子。なんでワタシ、こんなに怒られてるんだろ。首をかしげつつ、彼女の言う「学校」がここを遠く離れた東京への大学進学のことだと、何故か私は知っていて、唇が条件反射のように勝手に言葉をつむぐ。 「ウチはおカネがないの、お父さんに聞いてみなさい」 ホームドラマのような陳腐な台詞。これが当に私の台詞なのか。けれどその自分の言葉で、ようやく気が付いた。 ―――そうか、

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    buhikun
    buhikun 2010/07/27
    日々移り変わる表層に気をとられがちだが、遅々とではあるが社会は確実に進歩している。子どもが成長した後の社会構造をもう少し楽観してもよいかも。
  • 海の向うの春便り。 - kananaka's blog

    日の主役。柘榴石を想わせる暗紅色が美しい。 以前、筆者が勤務していた職場は、世界各国のべ物が定期的に届く天国だった。春は米国西海岸発のアメリカンチェリーに、ハンガリー産のアカシアハチミツ*1、夏場はマレーシア発の果物の王様・巨大ドリアン、シンガポール発の洋蘭の花束*2、クリスマスはベルギーの某高級チョコレート、ドバイ発ナツメヤシやイチジクのドライフルーツ、それらが社員に行き渡るべく巨大なカートンで幾つも届く*3。どうやら今年も彼の地からの贈り物は無事届いたようで、かつての悪友がお裾分けを兼ねて当家を訪ねてくれたのは、月日を遡ること二カ月前、まだ世間がGWの頃だった。 その頃、筆者はとある事情*4につき、非常に果実に飢えていた。ただでさえ喉を通るものが限られているくせに、嗜好が何故か変遷する。当初はおにぎりならべられた。続いてひたすらレタスサンドの波が来て、お次は来る日も来る日も紅生姜

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    buhikun
    buhikun 2010/07/17
    八雲庵に鴨南蛮食いに行きたし、金は無し(^(00)^;;
  • 結ぶこころ 繋がるいのち。 - kananaka's blog

    今週のお題:○○料理が好き! かつて母が母であった頃、彼女が子供たちのために結んだおむすびは、冷えてなお、ほっこり温(ぬく)かった。行方知れずとなった父母に代って、老いた育ての母が持たせたおむすびは、ほんのり越後の海の味がした。生れて初めて自分で丸めたおむすびは、呆れるほど歪(いびつ)で握りも甘い代物だったけれど、泥団子つくりの名人を小さな料理人へ変えた瞬間となった。田美奈子と同じ病で此の世を去った恋人が、いつか元気になったとき最初にべたいと望んだのも、「おむすび」だった。定番のシャケやタラコを中に詰め、外側をしっかり海苔で包(くる)む、漆黒のおむすび*1だった。 べ終った駅弁の外側を再利用したおむすび弁当。 改札を抜けると、手作りおむすびの店舗が目に入った。大きな切出し窓の向こうで白衣の男性店員が2名、かたち良く飯を結んでゆく。職人的な繊細な指さばきが、店内の視線を集めていた。 ひ

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    buhikun
    buhikun 2010/06/17
    家族をないがしろにしている私からは何も(ry (^(00)^;;
  • tips: 星めぐりの歌。 - kananaka's blog

    ※珍しく更新頻度が高いと思えば、今日はちょっとしたご案内を^^; Astro Arts『2010年4月9日 水星が東方最大離角』より 水星は太陽系で最も内側の軌道を回る惑星であり、地球から見ると太陽から大きく離れることがない。このため最も明るいときでマイナス2等程度となるにもかかわらず、なかなか見る機会に恵まれない*1。「地動説」を提唱した天文学者コペルニクスですら、生涯その姿を見ることが出来なかったと云われている*2。 しかし、この水星が太陽から最も離れる東方最大離角(27.8度)を取る2010年4月9日の前後一週間は、お天気にさえ恵まれれば、日没後の西の地平線近くで比較的容易にその姿を確認することができる。特に今の時期は、すぐ左に位置する宵の明星・金星を目印にできるため、観測の好条件が揃う。 日没から約一時間が勝負だ。ちなみに、水星と金星の二つの惑星を同時に観測できるのは、数年に一度。

    tips: 星めぐりの歌。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2010/04/12
    西の空が開けとる所いうたら宍道湖大橋の上か。夕刻に嫁ヶ島の上空見上げたい(^(00)^)/
  • 贅沢は敵か。 - kananaka日和

    今週のお題:この春、買ったもの、欲しいもの 物欲に見限られて久しい。自分から意識的に距離を置いたというより、欲望の方から拒絶されたような鈍い疎外感がある。投げ込まれたバーゲン広告がどこか空々しく、同僚のバーゲン武勇談に返す相槌は見事なくらいに上滑る。近づく春の気配に沸く*1街を徘徊しても自分のための一軒が見つからず、無駄にくたびれ帰宅する。だから、ますます足が遠のく。獲物あってこそのハンティング、やはりワタシには山がお似合いのようだ。 自分の腕からも金が生みだせることに気づいた十代、二十代は、欲しいものだらけだった。ヴィトンのバッグ、プラダのお財布、シャネルの香水、ティファニーの指輪。あの頃は、それらを手にすることが、自分を少し格上のオトナの女にしてくれると信じて疑わなかった。そんな熱病に浮かされた時代が過ぎれば、そういう一点あるいは全点豪華主義的贅沢さが逆に貧しい気がしてしまって、目に見

    贅沢は敵か。 - kananaka日和
    buhikun
    buhikun 2010/04/08
    ここまで「贅沢は素敵だ!」なし/とはいえ商業主義の誘惑と魔力には目配りを(^(00)^;; /自分は事情あって今年もう10回も松江東京往復しとるんで、交通費だけはゼータクにorz
  • 寒牡丹に春の音。 - kananaka's blog

    執務中に銃声が響く職場というのは、勤め先として割と珍しい部類に入るのではなかろうか。そんな県内の鳥獣狩猟期間も先月中旬を目処に幕を閉じ、ようやく職場に平穏が戻った今日この頃(ただし昨今の著しい農業被害抑制のため、今年もニホンジカとイノシシのワナ猟に限って、狩猟期間は三月半ばまで延長された。)。材調達に裏山に出没する私の日課を知り尽くす同僚から「頼むから撃たれないでね」と拝み倒された数か月だったが、こればかりはハンターに気をつけてもらうしかない。あ、猟のある日を事前に連絡頂いたり、誤射防止のための派手な着衣を購入、ハンターが車を乗り付ける定位置のチェック程度の対策はしておりましたので、ご安心を^^; 春は迷うように 臆するように 近づいて。 左は連日採れる旬の材。鮮度が落ちるほどエグミが強くなるため、毎日べ切れる分だけを少量調達している。 日当たりのいい山肌にぽこりぽこり顔を覗かせるフ

    寒牡丹に春の音。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2010/03/21
    おそまきながら/我が故郷群馬では、しし肉入手は困難だが、イノブタは名物で/牡丹と言えば牡丹鍋だが、白味噌と豚肉使って“もどき”はよく作った/つか、狭義広義での“共食い”自白しとるな(^(00)^;;
  • さみしくなると言ってみる。 - kananaka's blog

    「コイデ」は、ネコである。名に格別の意味はない。「コイデ 03-xxxx-xxxx」と達筆で記された首輪をかけていたので、それがそのまま通称となった。「コイデ」が他所でどう呼ばれていたかは知らない。「コイデ」は色々な家庭に上がり込んでは家人の歓待を欲しいままにする、地域でも有名なアイドルネコだったから、幾つもの源氏名を使い分けていても不思議はないのだ。 もともと「コイデ」は他所(よそ)の家のネコである。正確にいえば、<コイデさん家(ち)のネコ>である。とはいえ、コイデ家においても、固有の名があったわけではない。小さな庭つきの一軒家で晩年を過ごすおんな主(あるじ)であるコイデさんは、たくさんのネコに囲まれて暮らしており、一匹一匹のこまやかなケアにまで手が回らなかった。コイデ家のネコたちは避妊手術を施された後、共通の出自を首元に明記され、あるものは「外ネコ」の道に戻るべく旅に出て、あるものは一

    さみしくなると言ってみる。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2010/02/23
    「さみしくなれば またくるかしら 光る尾をひく 流星群@http://www.youtube.com/watch?v=cBT_WRd1SeI 」
  • 醸す女。(一部ブクマにお返事を追記) - kananaka's blog

    今週のお題:好きな調味料 ひとり暮らしを始めて以来、味噌仕込みは長く我が家の年中行事だった。昔から味噌作りは「寒仕込み」と言って、雑菌が繁殖しにくい1〜2月、つまり今がちょうど仕込みの時期に当たる*1。待ちに待った仕込みの日には、朝から豆の炊ける香りが家じゅうに立込める。足許に目を落とせば、この日に備えて、よく洗い乾かしておいた年代物の仕込桶や重石が、持ち主ともども期待に満ち満ちて、塩や麹を丹念にまぶされたタネが叩きこまれるのを待ち構えている。手仕込みの味噌は「美味しくて黴ないお味噌」と友人の間でも評判で、たっぷりのお出汁に溶いて頂く味噌汁は「手前味噌」のことばを返上する程に、とびきりの出来栄えであった。 そういえば、生まれて初めて手に入れたキッチンは、ひどく狭かった。ガスコンロは小さな口がひとつあるきりで火力も弱く、電子レンジはもちろん、電気釜さえない。流しは鍋ひとつ洗うにも苦労するほど

    醸す女。(一部ブクマにお返事を追記) - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2010/02/05
    梅干しは自作したことあるが、果実酢まで自作する方がいるとは。すごい。すごすぎる(^(00)^)/
  • ことばに見放されるということ。 - kananaka's blog

    ことばを私たちがうばわれるのではなく、私たちがことばから見放されるのです。ことばの主体がすでにむなしいから、ことばの方で耐えきれずに、主体であるわたし達を見放すのです。 (『海を流れる河』"失語と沈黙のあいだ"より引用) そう日社会へ警鐘を鳴らしたのは、詩人石原吉郎(1915-1977年)である。彼は24歳で召集され、敗戦後ソ連のラーゲリ(強制収容所)にて抑留、その後スターリン死去による特赦で帰国を果たすまでの8年を、シベリア各地を転々と過ごした。懐かしい祖国の土を踏んだ時、石原はすでに38歳になっていた。 石原が身を投じた最北8年の歳月は、私の想像も及ばぬ世界である。しかし、彼が遺した散文からその苛酷さを想像することは可能だ。 十七のときに抑留され、ハバロフスクで二十二になったこの<少年>が、声をころして泣いているさまに、私は心を打たれた。泣く理由があって、彼が泣いているのではなかった

    ことばに見放されるということ。 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2009/12/19
    「ことばに見放されるということ」と石原につき、辺見庸のエッセー(多分共同配信)で知る。http://d.hatena.ne.jp/buhikun/20090427/1240819483 /『自分自身の、人間としての生き方にかかわりのないものは、結局気ばらし』…orz
  • 「クズどもを追い払ってください」 - kananaka's blog

    「男って言うのはな」 「女ってね」 酔ってもいないのに語り始める人がいる。何故だかこちらを諭すように。 「男はプライドが高いんだから立ててあげないと」 「女の幸せは結婚だ」 「男は不器用なんだ」 「女は恋に生きる生き物だ」 ブラウン管の中のキャスターも、当たり前のように言う 「世の男性は必見」 「女性なら誰もが」 そこに語られている「男」って「女」って、誰だ? その人がそう思うのは構わない。企業がマーケティング戦略を立てることは否定しない。けれど、それを何処にも彼処にも応用し、一般化しないで欲しい。「一般化できる」と受け手に錯覚させないで欲しい。刷り込みしないでほしい。 テレビを見ないため最近の事情は知らないが、ひと昔前は主夫あるいは男性看護士を取扱うドラマや映画にさえ、幼い子どもに向かって「男の子でしょ」と、ことばを投げる大人が登場した。それが物語のアンチテーゼやアイロニーとして使われて

    「クズどもを追い払ってください」 - kananaka's blog
    buhikun
    buhikun 2009/12/10
    マスメディアは商業主義が貫徹しているから、「男」「女」=「商品」であることは自明で。/これからを生きる子どもたちに出来ることは、Rollmodelを壊すことをEnpowerすることかなと。
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