8月15日にモロッコの首都ラバトからパリに向かう直行便で目撃されたという情報以外、まったく動向がつかめなかったハリルホジッチだが、解任発表から8日後、旧知のクロアチア人記者に初めて重たい口を開いた。4年前の日本代表監督解任の際も酷く落ち込み、取材電話に初めて応対したのが発表4日後だったことを振り返れば、改めてショックの大きさが窺える。 サッカー人生の総決算になるはずだったカタールW杯 フランス語圏で監督キャリアを築き上げたボスニア・ヘルツェゴビナ出身のハリルホジッチだが、ディナモ・ザグレブを指揮した頃に深く接してきたクロアチア記者陣に彼はもっぱら心を開く。このほどクロアチアのサッカーメディア『Germanijak』に掲載された独占インタビューで、彼はカタールW杯をサッカー人生の総決算に考えていたことを初めて明かした。 「私がW杯で指揮したのはたった一度、アルジェリア代表だけ。ブラジル大会の