モテ=スイーツ(笑) いや、ネタじゃない。 モテ趣味と非モテ趣味の間には大きな断絶があって、 モテ趣味はメディアによるお墨付きがある。 つまり、モテ=正統派、非モテ=異端派=弾圧おk。
本当に泣き言です。長いです。 最近どうしようもなくネガティブで、些細なこと、たぶん些細なことのはずなのに落ち込んでばかり。いや、違う違う些細なことじゃない。とても大事なことなんだ。 落ち込んでいるのは、これまでの自分の人生を振り返ってみてつくづく対人関係が下手だなぁってこと。うまくコミュニケーションがとれない。なのに、周りにはとてもコミュニケーション能力の高い人がいっぱいいて、自分のダメさ加減を思い知らされる。 昔っからそうだ。子供の頃から対人関係が苦手で、怒られると自分の殻に引きこもって、その人とどう接すればいいか全然わかんなくて、空気が読めなくて、ちょっとはしゃいではとても恥ずかしい思いをして、自分の言葉に自信が持てなくて、落ち着いているように見られるけれど、本当はコミュニケーションが苦手だから黙ってニコニコしているだけで。 社会人になった今でもそれはほとんど変わらなくて。コミュニケー
パリスとあたしの違いはカメラがついてきてるかどうかだけだ。そう叫んで自殺した少女も日本に生まれていれば、人生を謳歌できていたかもしれない。 確かに一歩目はブログだった。しかし、その次の飛躍はケータイ小説が成したものだ。ブログによって引き下げられた記述することに対する障壁を、情動のスイッチを押すことに特化した一群の物語が完膚なきまでに破壊した。ケータイ小説は赤潮のように繁殖した。その作り手であるケータイ小説家もまた。 いまやケータイ小説の消費者のほとんどが生産者であった。創作されたケータイ小説はまず周囲の友人達によって読まれ、そのほとんどがそこで停止するものの、稀に口コミで広まり一般文芸にはありえない形のヒット飛ばすこともあった。そして、ヒット作の周囲には多くの模倣が生まれ、そのミームは拡散し浸透した。この文化の担い手は主に少女達であったが、彼女達にとって今や物語はコミュニケーション上で通貨
"インターネット"といわれるものとの付き合いは結構長くて、始めた当時は、あちゃらNAVI(懐かしい)とかのディレクトリを辿ってゲームの攻略サイトやテキストサイトを閲覧していた。それからいくらか時間は流れ、ネットの世界ではweb2.0だの何だのといわれているのに、自分のやっていることはほとんど様変わりしていなかった。そう、ひきこもっていたのだった。アクセスするのはポータルサイトや大手のニュースサイトばかり。あとはちょっとした調べものをしたり、買い物をしたりするくらいで、入口としてはGoogleだけあればほとんどの用は足りていた。コミュニティ的なものからは限りなく縁遠く、リアルでの知り合い以外のメールアドレスなんて1人も知らないし、メッセもやらない。2chなんて半年ROMるどころの話ではない(そもそもめったに見ない)し、mixiは初めてログインした瞬間、足あとやマイミク数表示に震え上がった。
先に、私がスイーツ(笑)脳であることを宣言しておく。 「恋空」を読みました。妹から「まぢ泣ける。すごいいい小説だよ!お姉が読んでるのとはワケが違うよ」と言われたので。 いくら悪名高いケータイ小説とはいえ、普段文章と名の付くものを毛嫌いしている妹がここまで薦めるうえ、映画化までされているベストセラーなのだから、なにかしら心にひっかかるものだろうと、甘く見ていた。 端的に言うと、私には合わなかった。 度のすぎた口語表現も、主人公の考え方も、行動も、何一つ共感出来なかった。これは、私が「恋空」の想定読者の範疇から外れたせいだと思う。「恋空」は「普段文章と名の付くものを毛嫌いしている若年層」の作者が、同様の読者に向けて書かれた文章なのであって、私のような活字中毒者が読んではいけないものだ。妹には、「合わなかった」とだけ伝えた。 後になってネットでの評判を見て、あらかたの人は私と同じ印象を持ったんだ
なんだよこれー はてなアンテナは数年前から使ってたのに今の今まで知らなかった・・・・ これって「この日記書いた人の他の日記も読みたい!!」 と思っても読めないのか? さっき徘徊してる時続き物みたいなのもチラッと見たが。 それは題名か何かキーワード辿って読むスタイルなん? 調べた。というか下にあった。これは「はてな記法一覧」見たら把握できた。 自分で入力すんのかよ・・・・ つーか増田って誰だよと思ってさっきググッたら名無し的なものなのか。 えっ・・・・全然知らなかった・・・・ 毎日2chやってニコニコ見てるのに・・・・ ノリは把握した。 しかし・・・・日記書くには半年ロムるべきか・・・・ 別に匿名だしいいよな?いつ何時書いてるかなんてバレないんだろ?違うの? あー、いつ書いたかは分かるか。誰が書いたかが分からんのな。 文面変えればいいんだろ?まあ変えなくても平気だな。 これって本当に匿名でう
6,7年前、メールマガジンを発行していた。 ちょっと不思議なショートストーリー系。 宣伝はほとんどしなかったけれど、それでも200人近くの読者が読んでくれていた。 1年間、毎週発行。 飽き性の自分にしてはよくやったものだと思う。 しかし就職活動が忙しくなってくると、なかなか発行できなくなっていった。 来週こそは「お休みしてすみません」の言葉とともに、再開しよう。 そう考えていたが、就職が決まると今度は慣れない社会人生活が始まり、 結局そのままにしておいてしまった。 しばらくして、感想用のアドレスに一通のメールが来た。 同じくショートストーリーのメルマガを発行していた人からだった。 「もう、書かれないんですか?」 返事が書けなかった。 その頃はショートストーリーを考える余裕もなくなっていて、もう再開はできないと考えていた。 フェイドアウトが理想だった。 結局僕は、メールマガジンの発行とともに
http://anond.hatelabo.jp/20071101140722 はてラボで独立サービスとして始まった匿名オセロは4週目に突入する。 匿名プレイヤーは、その能力は別として常に勝ちを目指すウィナー、正反対のルーザー、白黒の均衡を取ろうとするバランサー、何も考えてないランダマイザーに大別された。それらが白黒手番を自由に行き来するため先読みが封じられ、指し手が凡手に均質化した結果、各局はほとんどが僅差で終了した。個々の局面を見ればそのプレイヤーのパターンなりに、他のプレイヤーの思考まで取り込んだ妙手は存在した。しかし、不特定多数の匿名であるがゆえ、その意図は推し量ることもできなかった。したがって鑑賞されることも省みられることも無く数多の対局に埋もれていった。プレイヤー達はいつしか考えることを止めた。 だが惰性からなのか、何かしらの繋がりを求める人の性からなのか10週を超えても延々と
苦節数年、やっとマンガ家になった。それまで一読者としてマンガを楽しんできたんだけど、読者のころ考えていたマンガ家像とだいぶ違う。まず最初に思ったのは、世にあふれるマンガ評論の類がほとんどただの妄想だったこと。ぼくが作品を発表して、ネットで色んな意見がつく。そのなかに妙に断定口調で「こいつは○○に違いない」とか「このキャラのこの行動はこういう意味」とか語りたがる輩が多い。「この作者はこんなこと考えてるんだぜ!」という奴も居た。それだけならまだ良いんだが、その脳内設定をもとにぼくへの人格攻撃をしてくる人すら居る。そんなにイヤなら読まなかったら良いじゃない。君にとってぼくのマンガが面白くなかったからって「死ね」といわれる筋合いは無い。たかだか数百円払ったくらいでぼくの生死をどうこう出来る権利なんて無いだろう。 名前を呼び捨てられるのも最初は抵抗があったが、もう慣れた。ファンと言われる連中がどれだ
母が定年退職したので、慰労もかねて、外国に旅行にいった。 母が行きたいといっていた国だった。 英語の通じない国だった。むろん、母は英語などわからないのだけれど、 英語以外の外国語など、まったくもってわからないようだった。 私はとくべつ語学ができるというわけじゃないけれど、 はじめての異国の街でも、ガイドブックを見ながらであれば、 地下鉄にも乗れるし、店で買い物もできる。おつりが間違っていたら、 抗議をすることもできる。 そういう世代であり、そういう性格なのだと思う。 母は異国の言葉にかなりとまどっていたけれど、 自分でも、あこがれの街で、 ちょっとした体験がしてみたかったんだろう。 買い物がしてみたい、と言い出し、 私からその国のお金を受け取って、少し先にあった店に、飲み物を買いにいった。 あっさり、ひとけた多くお金を取られた。お釣りをもらえなかったのだ。 私はそのことについて、母を必要以
数少ないマイミクは、リアル知人のみで構成されているのだが、先日、その1人である中学の同級生A男から メッセージが届いた。 ちょっと前に同窓会が開かれたのだが、 「同窓会に、K男も来ていた。全然変わってなかったよ」 と書かれていた。 K男は、私が10代の頃に付き合っていた男子で。 深い関係になることもなく、あっさりさっぱりとした付き合いだったけど、 「自分が好きな人と付き合うと、こんなに楽しいんだ」 ってことを、はじめてわからせてくれたのがK男だった。 K男は中学時代から女子ウケがいい人だったけど、高校に入ってからはそれがモテに変わり、 私と付き合う前にも、数人の女子と付き合った経験もあるという。 背が高くてほっそりとした体型、浅黒い肌、おまけにスポーツ万能、勉強はやればできる子だったみたいで、 おまけにカラオケがかなりうまかった。 まあ今思えばモテる要素が揃っている。 とはいえ、どちらかと
モテないって言うじゃない。俺モテない。私モテない。みたいな。 でもそもそも私はもう「モテない」と言う言い方すら私が言ったら傲慢なんじゃないか?とか、最近思うわけです。だってモテないて。まずモテるという言葉ありきというか。モテるという現象があって、それを否定してるみたいな。それはちがうんだよ。全然違うんだよ。チヤホヤされない。と言ってるも等しいっつーかね。チヤホヤされないもなにもそれは当たり前だろ?的な。チヤホヤされ、皆が私の前に頭を下げた挙句「王女様!王女様!」とか言われない、みたいな。そりゃそうだろ、言われねーだろ。言われないのが基本だろっていう違和感を感じるわけですよ。言われないのが基本なんだから、言われるというイレギュラーなハプニングが起きた場合に皆が私の前に頭を下げた挙句王女様と言ったよみたいな事を言うべきなわけです。私の場合。 そんな理屈で、「モテない」ということに、誰も何も言わ
こういうことを書くと「偉そうに」と怒られるのかもしれないけど、ある意味TB先と同じ話だと思うので書いてみる。 http://anond.hatelabo.jp/20070826235204 私は親には相当程度恵まれていたクチで、別に裕福ではなかったけれども教育費に事欠くようなことはなかったし、親の勧めで進学校に進み、世間的には一流と呼ばれる大学に進んだ。自分自身その当時の境遇には満足していたし、親も喜んでくれたし、ささやかな優越感を楽しむことも出来た。 大学は楽しかったが、私は特に大学の成績には興味が無かった。先輩の話を聞いていても、大学の成績が良かったからといって、それこそ総代にでもならない限りは大したメリットは無さそうだったし、なにより自分が興味をもてない科目をちゃんと勉強するほどの忍耐力は子供の頃から全く無い。自分の好きな科目だけはすべて優でそろえてそれで満足していた。 卒業して就職
匿名の臆病者なのでhttp://d.hatena.ne.jp/sjs7/20070613/1181743125を読んで思ったことを増田に書く この記事ではまるで政治活動があったから自治活動が潰れたと言っているが、それは全くのデタラメだろう。不透明な資金の流れはどんな団体でも起こりえるし、実際に潰したのは大学当局だし、一つの自治会がダメだっただけで他の全ての自治会がダメだとレッテル貼りをするのは単なるその話を聞く学生の馬鹿さ加減が原因だ。だがしかし何故その様な政治活動を否定する為のデタラメ論理が構築されなければならなかったのだろうか? いわゆる自治会潰しの時代、1997年前後に早稲田大学に通っていた学生は、学校側の自治会潰しをそれほど問題視していなかったように記憶している。自治会の大半が某新左翼のフロント団体みたいなものだ、というのはほとんどの学生にとっては常識で(っていうか、さっきまで自治
wiiでマリオ2をやったよ。そしてたくさん死んだよ。 大変いやらしい位置にいるクリボーに殺されたり 飛んだ瞬間隠しブロックに当たって落ちたり 1面に逆ワープするしかなくなって仕方なく用意された穴で死んだり 大量のトゲゾーに囲まれてちっちゃくなるの覚悟で走り抜けたり 1upキノコを取りにいって落ちたり ただのキノコを取りにいって落ちたり 毒キノコに追いつめられて落ちたり じりじり詰め寄るハンマーブロスのフェイントに引っかかったり ポールの直前にある1マスの穴に落ちたり 極悪な強風に幾度となく殺されたり 絶妙なタイミングのキラーに当たったり なぜかあるはずのリフトが無くなってて落ちたりしたよ。 製作者の、こういう風に殺したい!っていう意図がビリビリ伝わって来たよ。 あの時間には明らかにある種の時空を超えたコミュニケーションがあったんだ。 こんなに真剣にゲームをやったのはいつぶりだろう。 気付い
あなたはただ、自分の思い通りにならないことにいら立ち、他人をコントロールしようとしているだけのように思える。 まあ、人間なんて多かれ少なかれみんなそうだし、それはそれで仕方無いことなのかもしれない。 けれども、あなたを見ているととても悲しい。 あなたの情熱はわかる。 信念があるのもわかる。 そこまでの情熱を持てない自分にコンプレックスを感じることもある。 けれども、あなたには全く共感できない。 あなたの演技は、痛々しい。 他人を騙すだけではなく、自分を騙しているから、演技だと見破られていることに気づかない。 気づかれたところでどうでもいいと思っているのかもしれない。 もう、あなたはあなたで、勝手にあなたの目指すところに向けて進めばよい。 自分にはめざすところはない。 いつまでもここに取り残されるだけだろう。 それでいいのかとあなたは詰め寄るだろうが、少なくともその答えはあなたに従うことの中
宗教にはどんどん入信すべきだよ。 信者の死後の幸福ってものは、たぶんほぼすべての宗教が教義に入れてると思う。 輪廻転生な宗教にしても、ちゃんと信仰したら転生先は幸せですよ、って言うと思うのね。 ところで、我々は自分の死後がどうなるかについて合理的に判断することはできない。 だから、ある宗教の保証する死後の幸福がホントかウソかは、せいぜい五分五分だろうと判断するのが妥当です。だって7:3とかって差をつける根拠がないもんね。 ならば、なるべく多くの宗教に入って、"真実の"宗教にアタる確率を高めておくのが、死後の幸福を得たいのならば合理的。 もちろん、ほかの宗教を信仰したら地獄行きです、みたいに、多くの宗教を信仰するのを妨げるような宗教は避けなくちゃいけない。 というわけで、現世で自分が宗教に費やせるコストの範囲内で、なるべく多くの宗教を信仰するのが、合理的判断というものです。 だよねっ、パスカ
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