1 思慮・分別の深いこと。 「大人びて―に物し給ふ人にて」〈栄花・根合〉 2 中世の歌学における美的理念の一。心情と言葉とが統一され、華やかさの中に寂しさを漂わす妖艶ようえんな余情美。心あり。→有心体 3 (狂歌を無心というのに対して)和歌のこと。 4 「有心連歌」の略。 5 仏語。物にとらわれた心。妄念。⇔無心。
![有心(ウシン)とは? 意味や使い方 - コトバンク](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/c87f8dd8178c6a7edc58c39e6b6bb8469fe87017/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fimage%2Fkotobank_ogp.png)
先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。 ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。 それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、
※記事下に、この漫画を収録してある同人誌の宣伝があります。 ここは悪いインターネットですね2、kindleで販売開始ました。 この、記事の「生きるのつらい人を殺してあげるマン!」を含む、2017年の同人誌、「ここは悪いインターネットですね2」をkidleで販売始めました。 amazon unlimitedでも読めます。 ここは悪いインターネットですね。2 作者: 小島アジコ発売日: 2018/11/29メディア: Kindle版この商品を含むブログを見る 表紙と裏表紙 収録内容 収録内容は 絶対殺すマンシリーズ(※試し読み) 生きるのつらい絶対殺すマン2 (※試し読み) 生きるのつらい絶対殺すマンと魔法少女 殺してあげるマンと野菜マン 生きるのつらい人殺してあげるマン(※この記事) リヴァイアさんと考えようシリーズ(※試し読み) 1億総スポーツ社会(※試し読み) いい人戦略(※試し読み)
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年5月) 脚注による出典や参考文献の参照が不十分です。脚注を追加してください。(2018年5月) 出典検索?: "一般意味論" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 一般意味論(いっぱんいみろん、General Semantics)は、アルフレッド・コージブスキー(1879年 - 1950年)により1919年から1933年までの間に構築された教育的規範である。一般意味論は、言語学の意味論とは全く異なる。その名称は、コージブスキーが「意味反応」(Semantic Reactions)として研究していたものから来ている。意味反応と
この項目では、一般的概念としてのプシュケーについて説明しています。ギリシャ神話に登場する存在については「プシューケー」をご覧ください。 プシュケー(希: Ψυχή、ラテン文字表記:Psyche)とは、古代ギリシアの言葉で、もともとは息(いき、呼吸)を意味しており、転じて生きること(いのち、生命)、また心や魂を意味するようになった言葉である。 希: Ψυχήはもともと息(呼吸)を意味していた。呼吸は生命のしるしとして最も顕著なものであったので、やがてこのプシュケーという言葉は、生命を意味するようになり、それが転じて、やがて心や魂も意味するようになった[1]。そのような語義になったのも当然[1]と指摘されている。[注 1] 「プシュケー」という言葉を現代日本語に訳す場合、ひとつの訳語で押し通すことは困難なことが多々ある。同一の文献でも、ある文脈では「いのち」と、ある文脈では「心」あるいは「魂」
昨晩は新宿ミラノ2にて開催された「スペースランナウェイ 復活のイデオン祭り」に行ってきました。 発売日当日10時に気合いを入れてチケットをとったおかげで最前列! 一昨年11月以来の生富野を堪能してきました。 端っこなので中央にあるテーブルから遠いのはちょっと残念でしたが、 入退場のときにゲストお三方が目の前を通るのは眼福でした。 さらにあんないい場面も見られましたし。 ということで以下急いで書き上げたトークショーの内容。 聞き間違いや誤字などあると思いますので、 指摘していただけるとありがたいです。 氷川 ではさっそくゲストを呼び込んで……お招きしたいと思います。富野由悠季監督、湖川友謙さん、樋口雄一さんのお三方です。 (富野壇上に上がる階段で躓いてみせる) 向かって右から富野・樋口・湖川・氷川 富野 いま階段の所でああいうふうにやってみせたのは、お互いそういう年になりましたねというメッ
正月ぼんやりとだが、「精神の速度」ということを考えていた。もはや遠く過ぎ去った時代のこととして吉本隆明「完本 情況への発言」(参照)をつらつらと読んでいるとき、三分冊本(参照)の二巻(参照)と三巻(参照)の後書きが、2008年の2月と3月とで同一のテーマとして「精神の速度」だったことに気がついたのが、きっかけだった。 「情況への発言」は分冊本の一巻が出たときに購入したが二巻は購入に失した。三巻はすでに宝島「情況へ」(参照)でカバーしていたので、私としてはいずれ二巻分だけ買えばよしとしてたが、完本もあってもよいかと思いなおして購入しておいた。 「情況への発言」は吉本隆明の同人誌『試行』の巻頭に連載されていた、その時点の政治状況への提言であった。結果として1960年代から1990年代の、あるいは昭和から平成の歴史も兼ねているともいえる。『試行』は直接購読以外に紀伊國屋書店でも販売されていて、私
ポイント 大脳皮質でのシナプス可塑性の誘導中に、グリア細胞のカルシウム濃度が上昇 グリア細胞の活動に伴って、長期記憶に必須のアミノ酸(D-セリン)が上昇 グリア細胞を標的にしたアルツハイマー病の新しい治療法開拓に期待 要旨 独立行政法人理化学研究所(野依良治理事長)は、生きたままのマウスを使って、神経細胞とともに脳を構成しているグリア細胞※1の一種であるアストロサイト※2が、神経細胞間の接点であるシナプスでの情報伝達効率を調節し、記憶や学習に影響を及ぼす「シナプス可塑性※3」に関与することを発見しました。これは、理研脳科学総合研究センター(利根川進センター長)神経グリア回路研究チームの高田則雄研究員、三嶋恒子研究員、平瀬肇チームリーダー、発生神経生物研究チームの御子柴克彦チームリーダーらの研究グループによる成果です。 脳は神経細胞とグリア細胞、血管とで構成されています。グリア細胞はヒトの脳
TOKYO (AP) -- Last Sunday was the six-month anniversary of the day the massive earthquake and tsunami devastated Japan's northeast coast. Some 20,000 people are dead or missing. More than 800,000 homes were completely or partially destroyed. The disaster crippled businesses, roads and infrastructure. The Japanese Red Cross Society estimates that 400,000 people were displaced. Half a year later,
「ウェブリブログ」は 2023年1月31日 をもちましてサービス提供を終了いたしました。 2004年3月のサービス開始より19年近くもの間、沢山の皆さまにご愛用いただきましたことを心よりお礼申し上げます。今後とも、BIGLOBEをご愛顧賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。 ※引っ越し先ブログへのリダイレクトサービスは2024年1月31日で終了いたしました。 BIGLOBEのサービス一覧
少し前になるが進化論関連の本で面白かったのは、「働かないアリに意義がある(長谷川英祐)」(参照)だった。昨年末に出された本書は、出版社側の売りの戦略や表題のせいもあるだろうが、ネットの書評などを見ていると一種のビジネス書のように受け止められているふうもある。本書の説明でも会社組織や人間社会の比喩がふんだんに使われていることからすると、それもあながち誤読と言えるものでもないだろうが。 本書のテーマは、ハチやアリなど繁殖と労働を分離しコロニーという集団を形成する真社会性生物であり、その問題意識、つまり表題の「意義がある」とする意義についてだが、概ね進化論的な枠組みで問われる。 進化論といえば当然、ネオダーウィニズムを指すのだが、ネオダーウィニズムの成否を問うというより、ネオダーウィニズムというのは「意義」を説明する叙述の方法論であって、その説明の妥当性が、真社会性生物のありかたにおいて問われる
仏教用語での意識(いしき、サンスクリット語: मनोविज्ञान、mano-vijñāna)とは、意(mano)+ 識(vijnana)の熟語であり、六識の一つ[1]。意根(mano)によって起こり、法境を了別する心王(しんのう、心の主たるもの)をいう。これに4種ある。 独頭意識 他の五識とともに起こることなく、独り生起して広く十八界を縁じる。 五同縁意識 他の五識と同時に起こって、ともにその境を縁じ、明了依となる。心の現量。 五倶意識 五識と同時に起こって五境を縁じ、傍らに十八界を縁じる。 五後意識 五倶意識の後念に生じて、前念の五境の境を縁じて、他一切法を縁じる。 「識」は心王を表し、意識は、五感の眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)の前五識と区別される第6番目の心(第六識)である(処も参照)。 よく自覚的という意味で「意識する」ということがいわれるが、それは仏教で
識(しき、巴: viññāṇa ヴィニャーナ, 梵: vijñāna ヴィジュニャーナ)とは、意識、生命力、心[1]、洞察力[2]との意味の仏教用語である。認識対象を区別して知覚する精神作用を言う。 この語は、vi(分析・分割)+√jñā(知)の合成語であって、対象を分析し分類して認識する作用のことである。釈迦在世当時から、この認識作用に関する研究が行われ、さまざまな論証や考え方が広まっており、それぞれの考え方は互いに批判し合いながら、より煩瑣な体系を作り上げた。 しかし、大乗仏教全般で言うならば、分析的に認識する「識」ではなく、観法によるより直接的な認識である般若(はんにゃ、プラジュニャー(prajñā)、パンニャー(paññā))が得られることで成仏するのだと考えられるようになって重要視された[3]。 パーリ仏典において[編集] パーリ経蔵においては、識は少なくとも3種の意味合いで登場
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く