>>588 そんなもんだよ。 人には偉そうに説教したり暴言吐いたりするくせに 自分が同じ事されるのはこの上なく傷つく、なんて人は ごまんといる。傷つく≠相手に傷つけない、ってなもんでね
>>588 そんなもんだよ。 人には偉そうに説教したり暴言吐いたりするくせに 自分が同じ事されるのはこの上なく傷つく、なんて人は ごまんといる。傷つく≠相手に傷つけない、ってなもんでね
まず、たぶん、心理学的というか精神医学的にか、ちと曖昧なのだけど、正気と狂気の境というのは、ないです。そのあたりの議論は、これ嫁。 脳は意外とおバカである: コーデリア ファイン, 渡会 圭子 古書がだいぶやすくなっているけど、これ、私は3回は読みました。まだ読むと思う。初読のときはありがちーとか思ったけど、こいつは意外と名著です。まあ、10年すると古くなるだろうけど。 で、と。 正気と狂気の区別というか統制は、ほいでも意外と簡単なんですよ。 徒然草 八十五段を嫁ですよ。 狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。 つまり、本人は佯狂であっても、他者から見ればべたな狂人。 ネットなんかだと、本人は意図的に愚民をたぶらかしているんだぜ的な人も多いけど。 でも、法師のいうように、それってば、べたな狂人だってばさ、サマンサタバサ。 つまり、狂人かどうかは、回りの集団が決めること。 内在じゃないわ
世界中の人々から見て「日本ブランド」といったとき何を思い浮かべるか?? トヨタとかソニーとかキャノンとか出てくると思うかもしれませんが、アメリカ辺りだとソニーはアメリカの会社だと思っている人がたくさんいますのでそうはなりません。 私の知る限り、彼らが日本ブランドと呼ぶ、或いは日本の力の源泉だ、と思っているポイントは「正確さ+お金に惑わされない正直さ」に尽きると思います。トヨタにしてもキャノンにしてもその日本人の力が製品に反映されているのです。 その意味で今回の吉兆の使いまわし事件はまさに日本ブランドを危機に陥れる一大事件だと考えていいと思います。携帯の電池が爆発するよりはるかに深刻な問題なのです。 よく、日本は労働生産性が悪い、効率が悪い国だと批判されますね。OECDの統計などでも労働生産性が15位とかだったりする。でもちょっと待って欲しいんですよ。それ、お金に現れるものだけで量っている訳
表現というのはcomplementかcomplimentか 英語には、COMPLEMENTという言葉とCOMPLIMENTという言葉がある。 二つとも「コンプリメント」と発音して、もともとは同じ言葉。原義はAlcの語源辞典によると「一杯にする(ple)こと」であるらしい。 二つの言葉の違いはCommon errors in Englishに説明が書いてある。 大まかに言うと、 Complimentは「賛辞、褒め言葉、称賛」 Complementは「補完して完全にする」 という違い。 何の話をしているかというと、コンテンツ表現のお話だ。 「コンテンツ・表現はどちらのコンプリメントであるべきなのか」というお話。 * (先々週前の議論の延長戦なので、もうああいう面倒くさい議論はゴメンだ、という人は、ココで読み辞めるが吉かも。以下は例によって、「私自身の自己満足ためのcomplemen
要は、勇気がないんでしょ? [悪意]id:guri_2という、こいつが生きているからこの世界は駄目なんだというような糞野郎を、このリルリルが貴重な時間を浪費して罵倒してあげる この辺を見ていて、ふと思ったこと。 ここしばらく、「ポジティブ vs ネガティブ」であるとか、「生き方強者 vs 非生き方強者」という様な論争を頻繁に見る。 まず第一に。当たり前の結論から先に言うと、こういった「生き方」的なものを一般化することは本来不可能である。 人間の人生というのは、生まれた瞬間から扇形に枝分かれしていく。生まれた当時は同じ赤ん坊でも、「ある人の十年」と「他のある人の十年」が同じである可能性は、当たり前だが皆無である。 経済状況から現在の環境、好み、人間関係、果ては思考から性格まで無限のパターンが存在するのに、「ある人にとって適した生き方」が「他の人にとっても適した生き方」である可能性が、一体どれ
404 Blog Not Found : バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへさん バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ この文章の肝は、 食べきれぬほどの料理が手をのばせば届くところにあるのに、なぜ給仕が来ないことを嘆き続けるのか。 それが私にはわからないのだ。 ここにつきると思う。 id:dankogaiさんは、非常に正直に、この言葉を言われていると思う。それ故、認識の亀裂が広がる。 問題は、誰にとってバイキング式と見えるか、である。 id:dankogaiさんにとってはバイキング式と見えるレストランでも、別の人間には注文の仕方すらわからないだろう。 有り体に言えば、これは「バカの壁」だ。認識の壁が、立ちはだかっているのだ。 いや、分かり合うとか、そんなことはどうでもいいのだ。問題は、どうやったら多くの人間がそこに手を伸ばせるのか、その方法である。 たとえばdanさんに
随分と大反響だった。まさかここまでとはと驚いている。 コメント欄も大賑わいだ。しかし相当荒れている。すごいね。 あの「受け入れて」というPVのテーマは言うまでもなく差別だ。差別問題にストレートに挑戦する作品というのは珍しく、そのチャレンジ精神には感心したものの、描き方が稚拙なので、とても受け入れられないと評した。それは今も変わらない。 差別とは、言うまでも皮膚や言語や宗教や性や国籍が異なることで起こる。さらに住む場所や方言や体重や趣味や仕事の優劣やファッション、ちょっとした違いをわざわざ見出して行ってしまうからやっかいであり、なかなか逃れられない人間の業みたいなものだ。 聞けばあの曲は性同一性障害を持った友人の告白から生まれたのだそうな。それならますますわからなくなってくる。つまりあの作品は「さまざまな価値観の相違があるだろうけれど受け入れて」という内容もあるのだろう。 しかしどういうわけ
レジデント初期研修用資料 引っ越し前の旧blogです。新しいアドレスは http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/ になります 技術には、漠然と「実力レイヤ」と「政治レイヤ」というものがあって、 技術が成熟してくるに従って、政治レイヤでの発言力が、業界の流れを左右する。 技術的にいくら「正しい」ことをやっていようと、政治的に自らの正当性を主張できない人達は、 その技術を安価に買い叩かれたり、別の誰かに、その仕事を奪われてしまう可能性がある。 開業する若手のこと 来年は、自分よりも圧倒的に若い人達が、何人か開業する。 まじめに仕事をしてきた人たちだけれど、今の時代、「この人にしかできない治療」なんてものは 事実上存在しないし、その技術だけで食べていける状態、「手に職がついた」状態にまで 技量を高めていくためには、大きな病院にいても12年ぐらいかかる。彼らはもっと若い。
2024年03月14日06:00 築地の牛串1本6000円wwww 1 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 12:41:59 ID:7Nuu なんで牛串にウニとがイクラ乗せるのか 3 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 12:42:34 ID:Ra7H 嫌なら食うなよ 4 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 12:42:59 ID:dSQy 築地ってまだあるの? (省略されました・・全てを読むにはここを押してください) 食べ物/飲み物 コメント( 0 ) Tweet 2024年03月14日04:30 まんさん「サイゼとかサイテー!離婚!」 1 名前:名無しさん@おーぷん[] 投稿日:24/03/12(火) 16:56:31 ID:nf0Y やっぱり女って糞だわ (省略されました・・全てを読むにはここを押して
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2012年11月) 信頼性について検証が求められています。確認のための情報源が必要です。(2010年7月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2010年7月) 詭弁(詭辯、きべん、希: σοφιστική)とは、主に説得を目的として、命題の証明の際に実際には誤っている論理の展開が用いられている「推論」である。誤っていることを正しいと思わせるように仕向けた議論。奇弁、危弁とも。意図的ではない「誤謬」とは異なる概念である。 日本語で日常的に使われる「詭弁」とは、「故意に行われる虚偽の議論[1]」、「道理に合わないことを強引に正当化しようとする弁論、論理学で外見・形式をもっともらしく見せかけた虚偽の論法[2]」、「実質において論理上虚偽あるいは誤謬でありながら
つまり、気違い。 ってやつかな。そう思われてもしかたないな、こんなこと書いているのだからなと思う。 そして、そういう気違いだからなのか、私がネットやメディアを通して見る情報などが気違いに見える。これは気違いは傍を気違いだと思うという相対的に、ということなのだろう。 今年は特にそういう思いが強くなった。 ということは私の気違い度がアップしてしまったということか。 ネットというのは完全に開かれているわけではないが、かなり開かれている。つまり、対話は可能だ。だが、そういう対話の可能性が技術的に見えて来つつあると、実際の運用ではその逆が起きる、テレビが登場したときのように。 この人には全然通じないなと思うことが多くなった。 対話のツールとかの問題ではないな、と。 むしろ、二三回でも対話できるほうは、一見すると通じないと嘆かざるをえないようでも、冷静に考えればまだ通じているの部類だ。 通じるというの
この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2020年5月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年5月) 出典検索?: "場の空気" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL 場の空気(ばのくうき)とは、日本における、その場の様子や社会的雰囲気を表す言葉[1]。とくにコミュニケーションの場において、対人関係や社会集団の状況における情緒的関係や力関係、利害関係など言語では明示的に表現されていない(もしくは表現が忌避されている)関係性の諸要素のことなどを示す日本語の慣用句である。近年の日本社会においては、いわゆる「KY語」と称する俗語が流行語となって以来、様々な意味を込
第一部 http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-217.html http://urasoku.blog106.fc2.com/blog-entry-218.html 7 :1 ◆kmd7lCK4/M :2007/11/25(日) 15:53:26.87 ID:xZORwDLZ0 前編見てくれてた人、どのくらい居るかな・・・。 朝6時ぐらいまでやってたから、まだそんな居ないかな。 とりあえず復活したので、前編であるデスマ編の続きを書こうと思います。 今北人用に、前編の内容を簡潔に。 10年前後NEETで最終学歴が中卒の俺が、母ちゃん死亡で働く決心がつく。 職業はプログラマ。世にも恐ろしい残業地獄職だ。 一応言っておくと、上流SEや、会社によって違うらしい。 前スレの意見を統合すると、俺の会社が異常すぎるとの事。 プログラマを目指そうと思う人は、こ
本当に泣き言です。長いです。 最近どうしようもなくネガティブで、些細なこと、たぶん些細なことのはずなのに落ち込んでばかり。いや、違う違う些細なことじゃない。とても大事なことなんだ。 落ち込んでいるのは、これまでの自分の人生を振り返ってみてつくづく対人関係が下手だなぁってこと。うまくコミュニケーションがとれない。なのに、周りにはとてもコミュニケーション能力の高い人がいっぱいいて、自分のダメさ加減を思い知らされる。 昔っからそうだ。子供の頃から対人関係が苦手で、怒られると自分の殻に引きこもって、その人とどう接すればいいか全然わかんなくて、空気が読めなくて、ちょっとはしゃいではとても恥ずかしい思いをして、自分の言葉に自信が持てなくて、落ち着いているように見られるけれど、本当はコミュニケーションが苦手だから黙ってニコニコしているだけで。 社会人になった今でもそれはほとんど変わらなくて。コミュニケー
自分は天才だと思っている人がけっこういる。こっそり思っている人もいる。 言うだけ馬鹿みたいだし、誤解されるだけなんだけど、戯れに言うと、私は多少天才である。多少というのは、天才というのは、自己の内部の他者ということで、自己が自己であろうとすることに介在してくる強烈なものだ。英語のgiftedみたいなもの。とりあえず、だから、天才性とでもいうか。 それは、自己にとって外来的な性質をもっている。 棚からぼた餅というか、降ってくる。あるメロディが、ある色彩が、ある構図が、ある着想が……。ただ、自己へぼたんと牛糞のように振ってくる。 それに自己が従属してしかも社会にある影響力を持つ人が、いわゆる天才だし、およそ天才というのは、美人と同じで社会側からのある特異な評価そのものである。な・の・で、私は天才だというのはほとんど狂人に近い。あるいは馬鹿だ。私は狂人ではないので、私は天才だとは言わない。でも私
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