このコンテンツはすでに不適切な内容を含むと報告されています。 不適切な内容を含む可能性のある画像/動画を表示する前に、警告を表示するように設定する。 違法なコンテンツが含まれていると表示する
このコンテンツはすでに不適切な内容を含むと報告されています。 不適切な内容を含む可能性のある画像/動画を表示する前に、警告を表示するように設定する。 違法なコンテンツが含まれていると表示する
たとえ更新が遅くても気長に見てください。また、ここの特徴として、一旦書いた記事を修正して再投稿する事もあります。 コメントは承認制です。コメントを書いてもなかなか反映されない時には「コメントを見ている暇が無いのだな」と思ってやってください。 ===コメントされる方は、節度を守る様お願い致します。名無しやダブハン、マルチポストは御遠慮ください。頂いたコメントは、私の気まぐれにより無警告で削除したりしなかったりします。予めご了承ください。=== 初回公開日:2013年05月29日 最終更新日:2013年06月19日 1.はじめに 1)本記事を書いた動機 先日(と言っても今年の3月ですから、もう2ヶ月以上経ってしまいましたが)私がTwitterで呟いている【週間PseuDoctor】での林衛氏への批判がAerospaceCadetさんによってまとめられました。このまとめ、意外と多くの方々が御覧に
あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 出荷される食品の検査、給食調査や生協の食事調査などで、食べものの中の放射性セシウムがごく微量であることがわかり、WBCで実際に体内の放射性セシウム量も少ないことがわかったわけですから、今の体制を続ける限り、普通の食品による内部被曝は心配しなくていいことははっきりしたと思う 2013-04-13 15:31:22 あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco ええ、ですから「今の体制を続ける限り、普通の食品による内部被曝は」と限定的に書きました。これから食べるものについては、安心して食べればいいと思うのです “@tsuneduka: @kikumaco 初期の放射性ヨウ素による被曝量が分からないのでは、という指摘がありますが?” 2013-04-13 15:59:38 あ〜る菊池誠(反緊縮)公式 @kikumaco 「安心」という言葉は慎重に
2013-03-10 サイエンス・ソーシャルカフェ「あたしのために」 立ち上げました。 サイエンス・ソーシャルカフェ「あたしのために」をスタートします。 明日はその第一回目の日。 これまで、放射線を学ぶ小さな勉強会「あしたのために」というものをやってきていたのですが、ここへきてもう少し、視野を広げてみたいなと思ったのがきっかけです。 twitterでは色々な方とのご縁がありました。それを少しリアルでもやってみたい。 記念すべき第一回目は 「「食の安全のウソとホント ①食と健康 どらちゃんとはなそう!」 をお送りします。 砂糖ってホントに悪者なの? グルコサミンてなに?マクロビってどういうもの? 酵素栄養学って?「昔ながらの和食」ってなんのこと? 「この食事が本当に体にいいのか、悪いのか」、 わたしたちは本当にわかっているのでしょうか。 講師は管理栄養士であるどらねこさん(twitterア
安倍昭恵氏が、「水からの伝言」と、その提唱者の江本勝氏に親和的なのではないか、という話が出ています。参考⇒安倍総裁婦人・昭恵氏による「明日、31日正午、福島原発の水に愛と感謝を送って下さい」などへの反応 - Togetter それへの反応として、2人のものに着目しました。 1人目――発言の時期 夫人のブログねたが御盛んだが、全部日付が古い訳だが?叩けりゃ何でもいいのかね。 http://togetter.com/li/381122#c746866 … http://twitter.com/PrimaryMonolith/status/251722797502566400 一般論として、発言の日時が古いのであれば、確かにそこは指摘されて良いです。たとえば、以前は信じていたが今はそうで無い、などは有り得ます。ただそれは一般的な話で、福島原発の水に愛と感謝を送って下さい。(安倍昭恵のスマイルトー
昨日のつづき。 こっから先は、100点満点で5点にも行ってない話。 文字化けしたらごめんなさい、です。画像にするとめんどいので。 水伝を改造してみる 水に「ありがとう」の文字を見せると結晶は綺麗になる。「ばかやろう」を見せると結晶は汚なくなる。 人間の体の70%は水です。 感謝の言葉は大切ですね!↑昨日の例文。改造してみる。 水に「ありがとう」の文字を見せると結晶は❄になる。「ばかやろう」を見せると結晶は❀になる。 人間の体の70%は水です。 感謝の言葉は大切ですね!「感謝の言葉は大切ですね!」と言われても、なにがなんだかサッパリだ。 一般に「綺麗」には好意的な意味合いがあって、「汚い」には嫌悪的な意味合いがある。この「綺麗」「汚い」を、価値の優劣をつけられない、価値等価な❀と❄に入れ替えたから、こうなった。 必要なのは写真でも物理現象でもなく、価値評価の優劣判定 水伝道徳授業にせよ水伝ブ
弁護士に法律相談に行くと、いろいろ法制度の説明を受けたあげく、自分は裁判に勝てるのかという一番知りたい問いに「最後は裁判官が決めることですから」と言われて、煙に巻かれたように感じた経験のある人もいるだろう。 「フクシマ」以来、いろんな科学者があちこちで、けっこう難解な科学的用語と数字を羅列して説明してはいるが、「それでうちは大丈夫なんですか」なんて尋ねても、「直ちに危険とはいえません」なんて、やっぱり煙に巻かれたような回答をされて、拍子抜けした人もいただろう。 この二つが重なり合って、私が大変困惑するのが、将来予測が極めて困難な科学的状況に基づいて発生する社会問題の紛争処理だ。 市民が知りたい答えは、法の中にも、科学の中にも、存在しないことは少なくない。市民の問いと、法律家の問いと、科学者の問いは、実際には「かなり」すれ違っている。 弁護士は、相談者の抱えている生の問題を、法的問題、つまり
自分について話すことが、食べ物やお金で感じるのと同じ「喜びの感覚」を脳のなかに呼び起こすことが、7日発表された研究で明らかになった。個人的な会話であっても、フェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアでの発信であっても、それは変わらない。 日常会話の約40%は、自分が何を感じ、どう考えたかを他人に話すことで占められている。米ハーバード大学の神経科学者らが脳画像診断と行動に関する5つの実験を行い、その理由を解明した。脳細胞とシナプスがかなり満足感を得るため、自分の考えを話すことを止められないのだ。 「セルフディスクロージャー(自己開示)は特に満足度が高い」と同大学の神経科学者、ダイアナ・タミール氏は話す。タミール氏は同僚のジェイソン・ミッチェル氏と実験を行った。両氏の研究は米国科学アカデミー紀要(PNAS)に掲載された。タミール氏は「人は自分のことを話すためには、お金さえあきらめ
07«1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.»09 いきなりですが、2/28日2/26(日)にサイエンスカフェを開催することになりました。 2/23追記:都合により延期となりました。日時が決定したら改めて告知いたします。 3/14追記:決まりました。3/25日の10:15~12:30で開催いたします。改めてみなさまのお越しをお待ちしております。 ***** 素粒子カフェというサイエンスカフェを開催してるみけねこサイエンスプロジェクトさんに協力してもらっての開催です。 仕事か趣味か実益かあるいはその全てか、人によって動機は様々でしょうが科学あるいは科学的情報を発信してる非科学者(ここでは研究者ではないという意味で)はたくさんいらっしゃいます。 科学あるいは科学的情
2011年10月11日 Permalink かんたん書評『もうダマされないための「科学」講義』 ●かんたん書評『もうダマされないための「科学」講義』 (光文社新書) かんたんな書評をします。かんたんなので本全体の大雑把な印象と、数個の細かい部分を取り上げるだけです。 論じ方もだいたいざっくりです。 そもそもこの本を読む動機としては「新しい見地を手に入れる」よりも「自分の知識を整理する」という意味が大きい。震災からこっち、こうした「科学」の問題はもう数え切れられないほど触れていて、ある意味でもううんざりしているなかで、一度冷静に振り返っておきたい。 私が注目したのは、第4章、平川秀幸による「3・11以降の科学技術コミュニケーションの課題 ー日本版「信頼の危機」とその応答」。 正直、章全体にある種の「市民社会無謬論」とも言える、「しっかりした国民、ダメな政府」的な感覚が内包されていて、ちょっと
九州大学の古賀徹准教授の非科学的な非科学狩りと云うエントリを読んだ。 先に言い訳しておくと、ちょっと感情的になりそうなのであまり親切に、丁寧に書けないと思う。 科学的に効果が証明されていない物質を摂取することで、より適切な手段がとられないなど、別の害が生じる可能性は存在する。しかしそれは、二つの手段のうちどれが可能性としてより適切かという比較の問題である。前者より効果的だと予測される手段があるのにそれが採用されていないという批判なら分かるが、前者が「非科学的」だからその手段をとるべきでないという批判は、多くの場合それ自体非科学的だといえよう。このひとは、ではどうすれば二つの手段のうちどれが可能性としてより適切かという比較の基準を共有可能にすることができる、と考えているのだろう。「非科学的」だからその手段をとるべきでないと云う基準を置くことは、まさに個人的な経験の範囲を超えて共有することので
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く