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  • 『増補 普通の人びと』訳者あとがき|ちくま学芸文庫|谷 喬夫|webちくま

    5月刊のちくま学芸文庫『増補 普通の人びと:ホロコーストと第101警察予備大隊』より、谷喬夫氏による「訳者あとがき」の一部を抜粋して公開します。刊行前重版が決まるなど大きな反響を呼んでいる書。その意義と、今回の文庫化にあたって増補された内容について紹介しています。ぜひご一読ください。 書は、Christopher R. Browning, Ordinary Men: Reserve Police Battalion 101 and the Final Solution in Poland, revised edition, 2017の全訳である(原著初版は1992年刊)。著者のブラウニングは、合衆国でパシフィック・ルター大学、ノース・カロライナ大学の教授を務めた。著書は書以外に次のものがある。 The Final Solution and the German Foreign Off

    『増補 普通の人びと』訳者あとがき|ちくま学芸文庫|谷 喬夫|webちくま
  • 〈3〉『機動戦士ガンダム』の衝撃――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の最終回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。(バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 「〈2〉「アニメーション監督」の誕生」はこちら 『宇宙戦艦ヤマト』の監督の役割 まずTVシリーズの『宇宙戦艦ヤマト』では、現在行われている「アニメーション監督の職能」を三人が分担して担っていたと考えるとわかりやすい。その三人とは、西﨑義展プロデューサー、監督・設定デザインの松零士、演出の石黒昇である。 どういう作品を作るべきかというビジョンを持ち、スタッフを先導したのは西﨑だったが、西﨑はアニメーションの映像そのものを直接コントロールしていたわけでは

    〈3〉『機動戦士ガンダム』の衝撃――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2024/06/08
    "『宇宙戦艦ヤマト』では、現在行われている「アニメーション監督の職能」を三人が分担して担っていたと考えるとわかりやすい。西﨑義展プロデューサー、監督・設定デザインの松本零士、演出の石黒昇である。"
  • 〈2〉「アニメーション監督」の誕生――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回はシリーズ「富野由悠季概論」の第2回。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーションに「作者」はいるか? 富野がアニメーション監督の認知に大きな役割を果たしたのは、1977年から1984年いっぱいまで続いた「アニメブーム」の時期に当たる。この時期は、劇場版『宇宙戦艦ヤマト』をきっかけに、それまで子供(小学生)向けと思われていた「テレビまんが」「漫画映画」が内容的にも進化し、ティーンエイジャーの熱狂的な支持を得ていることが広く知られるようになった時期である。先述の富野のキャリアに当てはめると、1977年から1988年にか

    〈2〉「アニメーション監督」の誕生――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 〈1〉富野少年はいかにしてアニメーション監督になったか――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて論の一部を連載します。 今回からはシリーズ「富野由悠季概論」。富野由悠季監督の経歴を時代背景とともに振り返り、アニメーション監督として果たした役割に迫ります。 (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) 宇宙との出会い 現在、アニメーション監督という存在が広く当たり前の存在として世間に認知されている。しかし、このような認知を得るまでには、それなりの長い時間が必要であった。そしてその中で大きな働きを果たしたひとりが、富野由悠季監督である。 富野の経歴を簡単に振り返ってみよう。 アニメーション監督・富野由悠季は1941年11月5日、三人兄弟の長男として神奈川県小田原市に生まれた。名は富野喜幸。富野家は代々「喜」の漢字を継いでおり、喜幸の「喜」の字もそこに由

    〈1〉富野少年はいかにしてアニメーション監督になったか――富野由悠季概論|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
  • 序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま

    機動戦士ガンダム、伝説巨神イデオン、Gのレコンギスタ……。数々の作品を手がけて熱狂的ファンを生み出してやまない富野由悠季とはどんなアニメーション監督か。「演出の技」と「戯作者としての姿勢」の二つの切り口から迫る徹底評論! 書籍化にさきがけて、論の一部を連載します。  (バナーデザイン:山田和寛(nipponia)) アニメーション監督として語るための2つの切り口 アニメーション監督・富野由悠季について考えたい。ここで重要なのは、この言葉で比重がかかっているのは「アニメーション監督」のほうで、決して「富野由悠季」個人のほうではない、ということだ。富野由悠季という「アニメーション監督」は、その存在感の大きさに比して、十分に語られないうちに長い時間が経ってしまった。 富野は、TVや新聞雑誌などマスメディアに登場することが多いアニメーション監督だ。人気者といってもいいだろう。書籍に関しても、批評

    序 「アニメーション監督」としての富野由悠季を語りたい|富野由悠季論|藤津 亮太|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2024/04/19
    物語作家なのよね「富野は作品の立ち上げにあたって、大きな世界設定を考え、キャラクターを配置し、さらに各話の内容についてもメモを執筆する。作品の文芸的な要素の根幹を自分でコントロールしているため」
  • 【第157回】「ジャニーズ問題」が暴き出したもの|世の中ラボ|斎藤 美奈子|webちくま

    ただいま話題のあのニュースや流行の出来事を、毎月3冊の関連を選んで論じます。書評として読んでもよし、時評として読んでもよし。「を読まないと分からないことがある」ことがよく分かる、目から鱗がはらはら落ちます。PR誌「ちくま」2023年6月号より転載。 四月一二日、元ジャニーズJr.のメンバーだった男性が自らの被害体験を実名で証言。ジャニーズ事務所の創業者・故ジャニー喜多川氏の性的虐待事件が波紋を広げている。 喜多川氏については「週刊文春」が1999年に少年たちへの性的虐待を「セクハラ」と報じ、名誉毀損で訴えられるも、東京高裁は「セクハラ」に関する記事の重要部分は真実と認定した(2004年に判決が確定)。また今年三月には、この件を告発したイギリスBBCのドキュメンタリー番組が放送されている。 同様の事案として想起されるのはカトリック教会の性的虐待事件である。02年にアメリカのボストン・グロ

    【第157回】「ジャニーズ問題」が暴き出したもの|世の中ラボ|斎藤 美奈子|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2024/03/29
    「足穂は(そしてフロイトも)、年長者、権力者の側からしか少年愛を見ておらず、襲われる少年の側の都合は一顧だにされていない。これは同性愛の是非とは別次元の問題。性行為一般と性暴力が区別されるのと同じ」
  • 久方ぶりに烈火のごとく怒ったのだが、その憤怒が快いあれこれのことを思いださせてくれたので、怒ることも無駄ではないと思い知った最近の体験について|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま

    久方ぶりに烈火のごとく怒ったのだが、その憤怒が快いあれこれのことを思いださせてくれたので、怒ることも無駄ではないと思い知った最近の体験について 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第17回を「ちくま」1月号より転載します。昨秋に開催された小津安二郎生誕百二十周年のメモリアル・イベントは、なぜ失望のうちに終わってしまったのか。その二十年前、著者自身も深く関わった生誕百年・没後四十年の記念イベントとの違いを思い起こします。ご覧下さい。 なかには例外的に聡明な個体も混じってはいるが、これからこの文章を書こうとしているわたくし自身もその一員であるところの人類というものは、国籍、性別、年齢の違いにもかかわらず、おしなべて「愚かなもの」であるという経験則を強く意識してからかなりの時間が経っているので、その「愚かさ」にあえて苛立つこともなく晩期高齢者としての生活をおしなべて平穏に過ごしている。ところ

    久方ぶりに烈火のごとく怒ったのだが、その憤怒が快いあれこれのことを思いださせてくれたので、怒ることも無駄ではないと思い知った最近の体験について|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2024/01/19
    "何という発言者たちへの非礼。何という聴衆への侮蔑。そして何という無駄な時間の浪費。それを非礼とも侮蔑とさえ意識しえない司会者の「愚かな」楽天性と、こんなことで国際映画祭が成立すると考えている職業意識"
  • 料理を学ぶということ|料理人という仕事|稲田 俊輔|webちくま

    料理人・飲店プロデューサーの稲田俊輔さんによる「料理人という仕事」。料理人はいかにして料理を学ぶのでしょうか? 料理学校、働いているお店・・・・・・。料理を学ぶ際の基から伝授します。 「見て覚える」こそが重要 さて、あなたは新人として先ずは調理補助に追われ、それにもだいぶ慣れてきました。スピードも最初の頃に比べて格段に速くなったはずです。指示を待つだけでなく、自分から仕事を見つけてテキパキとこなせるようにもなったでしょう。 もしかしたらそれと並行して、ホールの仕事も一通り体験できたかもしれません。であればラッキーですね。いずれにせよ、そのあたりから徐々に、もっと料理らしい料理を任されるようになっていきます。最初は簡単な仕込みや、既に仕上がっているパーツを組み合わせるだけのことだったりもしますが、もちろん徐々にその内容は高度なものになっていきます。 任せられると言っても、当たり前ですが、

    料理を学ぶということ|料理人という仕事|稲田 俊輔|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2024/01/06
    「最高のコツをひとつ教えましょう。それは、先輩のやっていることを常に観察し続けることです。実はこれは既に入店した瞬間から始まっています。実際教えてもらえる段階になってからでは、実は遅いのです。」
  • コーヒーの豆は遍在していながらドリップ・フィルターが近くに見あたらぬと、不意に親しい女性のお尻が見えてきたりするのはなぜか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま

    コーヒーの豆は遍在していながらドリップ・フィルターが近くに見あたらぬと、不意に親しい女性のお尻が見えてきたりするのはなぜか 蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第16回を「ちくま」11月号より転載します。ありふれた朝について、パンについて、コーヒーについて、コーヒーを淹れるためのドリップ・フィルターについて、なめらかに横滑りする行文は果たして半世紀以上前のドリップ・フィルターをめぐる一場面に至りつきます。まるで映画の一シーンのような光景の鮮やかさ、艶めかしさ。そう思うと、ドリップ・フィルターの曲線も不思議なバランスで実用性と官能性を表しているようにも思えます。ご覧下さい。 朝だけはごく几帳面にべたいという思いは、独身だった半世紀ほど前から老齢の帯者となったいまにいたるまでまったく変わることはないはずだが、ひとまず「ごく几帳面に」と書いておいたのは、それがいささかも豪華なものでは

    コーヒーの豆は遍在していながらドリップ・フィルターが近くに見あたらぬと、不意に親しい女性のお尻が見えてきたりするのはなぜか|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2023/11/17
    意外なものが紐付いて連想のトリガーになってたりするな "見失われたドリップ・フィルターを探し当てたのとほぼ同時に、可愛らしい若い女性のお尻の割れ目がふと見えてきたりするという観念連合の思いもかけぬ微妙さ"
  • 二十一世紀の日本の首都に於ける超高層ビルの林立はその国の凋落を予言しているように思えてならない|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま

    蓮實重彥さんの連載時評「些事にこだわり」第15回を「ちくま」9月号より転載します。延々とつづく渋谷駅周辺の再開発。東横線の地下化はじめ誰も便利になったとは思っていないはずの一連の大工事は都市再開発法によると「公共の福祉に寄与することを目的とする」そうなのだが、当に? との疑問についてお話しさせていただきます。 避けようもない暑い日ざしを顔一面に受けとめながら、タワーレコードの渋谷店で購入した海外の雑誌を手にしてスクランブル交差点にさしかかると、すんでの所で信号が赤となってしまう。階段を降りて地下の通路に向かう方法もあるにはあったが、年齢故の足元のおぼつかなさから灼熱の地上に立ったまま青信号を待つことにしていると、いきなり、かたわらから、女性の声がフランス語で響いてくる。ふと視線を向けると、「そう、シブーヤは素晴らしい」と「ウ」の部分をアクセントで強調しながら、スマホを顎のあたりにあてた外

    二十一世紀の日本の首都に於ける超高層ビルの林立はその国の凋落を予言しているように思えてならない|些事にこだわり|蓮實 重彦|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2023/09/22
    「丹下健三による東京都庁舎の醜い高層建築に対して、100mを超えることのない低層の建築案をコンペに提起した磯崎新」「都庁というものが権威主義的な高層建築でなければならぬ理由は何ひとつとしてなかったはずだ」
  • 兵器への偏愛が生んだ一編の批評|ちくま新書|大塚 英志|webちくま

    戦時中、少なからぬ人々が、頭上を飛ぶB-29を見て「美しい」という言葉を残していました。人を殺す兵器を見て美しいと感じる、その感覚と深く向き合った『B-29の昭和史』の書評を、大塚英志さんに執筆していただきました。PR誌「ちくま」に掲載したものより少し長い、完全版です。 ぼくは言うまでもなく「おたく」の類だが、ミリタリー方面には疎く、手先が不器用でプラモデルも苦手だ。模型雑誌に一瞬手を出した時があったが、もっぱら海洋堂の綾波レイのガレージキットの情報が目当てで、買って箱ごと観賞用に飾るだけだった。それでもナチスドイツの戦車や飛行機の模型写真に思わず見とれる時があった。思想的にはぼくはベタなサヨクだが、その「思想」に反して、兵器のデザインを「美しい」と思うことがある。ぼくと比較するのはあまりに不遜だが、宮崎駿もその左派的発言とミリタリーマニアぶりの解離はよく知られている。若き日の宮崎がミリタ

    兵器への偏愛が生んだ一編の批評|ちくま新書|大塚 英志|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2023/07/26
    模型ファンは「兵器の魅力」と、それが「人殺しの道具である」ことのジレンマを、自分なりに言語化しないといけない。「人殺しの道具が好きなの?」という質問に晒される事は、子供の頃からずっとあった訳で
  • 大戦争は決して歴史の彼方になど過ぎ去っていなかった|ちくま新書|小泉 悠|webちくま

    2022年2月に始まり、今なお続く「ウクライナ戦争」。数多くのメディアに出演し、抜群の人気と信頼を誇る小泉悠さんが、その全貌を伝える待望の書き下ろし『ウクライナ戦争』。「はじめに」の一部を公開いたします。 †「世界の終わり」を待っていた場所で 「おーい、その日人こっちによこせ!」 土産物屋の前に立っている男が叫ぶと、ヨレヨレの軍服を着た別の男が怒鳴り返した。 「こっちが先だ!」 ペルヴォマイスクにあるウクライナ国防省付属戦略ロケット軍博物館での一コマである。かつての大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射基地兼司令部を丸ごと博物館に改装したという施設で、事前申し込みは必要だが、今では誰でも見学することができる。2019年6月のこの日、筆者はウクライナ軍事博物館ツアーの解説者役としてこの博物館を十数人の日人とともに訪れていた。 それにしてものどかな場所だ。ウクライナのちょうど中央部あたりに位置

    大戦争は決して歴史の彼方になど過ぎ去っていなかった|ちくま新書|小泉 悠|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2022/12/18
    ロシア語を話し、ロシア人の嫁さんと混血の子を持つ全裸中年男性 #小泉悠 氏は、古き友人らの蛮行に心を傷めている。 https://b.hatena.ne.jp/entry/4729627655947921668/ いつか友情を取り戻し、解りあえたら良いのだけど
  • 「社会政策」としての殺戮|『ブラッドランド』刊行記念|大木 毅|webちくま

    ウクライナ、ポーランド、ベラルーシ、バルト三国。西欧諸国とロシアに挟まれたこの地で起きた人類史上最悪のジェノサイド。旧ソ連体制下で歪曲・隠蔽されてきた事実を掘り起こし、殺戮の全貌を初めて明らかにした歴史ノンフィクションがついに学芸文庫に入った。今日の世界で『ブラッドランド』をどう読むべきか? 文庫化を機に、岩波新書『独ソ戦』の著者である現代史家・大木毅氏に特別寄稿をいただいた。 早いもので、もう四十年近く前になる。筆者は、大学院の演習で、今日に至るまで大きな影響を受けることになった論文に出会った。シカゴ大学教授(現同大名誉教授)だったミヒャエル・ガイヤーによる「社会政策としての戦争」(Michael Geyer, Krieg als Gesellschaftspolitik. Anmerkungen zu neueren Arbeiten über das Dritte Reich im

    「社会政策」としての殺戮|『ブラッドランド』刊行記念|大木 毅|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2022/11/10
    "戦争の「社会政策」とは、Gesellschaftspolitik という言葉を使っていることからも、福祉など、社会問題を解決するための公共政策を意味する社会政策(Sozialpolitik)ではない。あるいは「社会改編・構築政策」ぐらいに"
  • 石ノ森章太郎とSF|ちくま文庫|すがや みつる|webちくま

    8月刊行のちくま文庫『石ノ森章太郎コレクション SF編』より、すがやみつる先生の解説を転載いたします。文庫編には、収録しきれなかった〈完全版〉をウェブ限定で公開します。 #001 最初に断っておくが、筆者は高校生のときから石ノ森章太郎のもとに通い、20歳で石森プロに所属、21歳のとき『仮面ライダー』のコミカライズでマンガ家デビューを果たした経歴の持ち主である。『仮面ライダー』を描きはじめた頃は、ネーム、下絵、ペン入れ、完成の各段階で石ノ森の監修を受け、マンガの描き方を手取り足取り教えてもらっていた。石ノ森が筆者のことを「弟子」と称してくれたのはそのためだ。 その後、筆者は独立し、オリジナル作品を描くマンガ家になったが、50歳を過ぎて大学と大学院で学び、研究というものに手を染めることになった。来、文庫の解説というものは、研究者の視点から執筆するのがふさわしいのだが、筆者自身の経歴から、公

    石ノ森章太郎とSF|ちくま文庫|すがや みつる|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2021/08/27
    「8月刊行のちくま文庫『 #石ノ森章太郎 コレクション SF編』より、 #すがやみつる 先生の解説を転載いたします。文庫本編には、収録しきれなかった〈完全版〉をウェブ限定で公開します。」
  • 第6回 差別があるままに他者と交わる世界に生きている|十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス|鳥羽 和久|webちくま

    寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの連載第6回です! 今回はみんなの心の中にある問題です。じっくり読んで欲しいと思います。 この連載は大幅に加筆し構成し直して、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)として刊行されています。 刊行1年を機に、多くの方々に読んでいただきたいと思い、再掲載いたします。 ある高校の生徒会室にて 「K高校生徒会指導部は、来年度から、男女かかわらずズボンとスカートの着用を認める「制服選択制」を実現するために、校則の変更を求める陳情書(ちんじょうしょ)をPTA運営委員会及び校長に提出します。これは、性的少数者、LGBTQの生徒にとって学校生活が過ごしやすいものになるだけでなく、多様な価値観を受け入れ、尊重することが重視される社会の流れに沿ったものとなります。」 会長の小野さんがそう言うと、美化専門

    第6回 差別があるままに他者と交わる世界に生きている|十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス|鳥羽 和久|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2021/08/27
    「そんなことも分からない人たちが、制服を自由に選べるようにして、マイノリティに権利を与えましたとか、どれだけ上目線かわかってんの?何が社会の流れに沿うだよ。それこそまさにマジョリティの思考じゃないか」
  • 第2回 同調圧力に負けるとき|十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス|鳥羽 和久|webちくま

    寺子屋ネット福岡の代表として、小学生から高校生まで多くの十代の子供たちと関わってきた鳥羽和久さんの新連載第2回です! この連載では、十代の子供たちが学校や家庭で直面する諸問題について、見て見ぬふりをせずに根掘り葉掘り考えます。 この連載は大幅に加筆し構成し直して、『君は君の人生の主役になれ』(ちくまプリマー新書)として刊行されています。 刊行1年を機に、多くの方々に読んでいただきたいと思い、再掲載いたします。 うちの教室に通っている、ある生徒の話です。 Sくんはサッカー部の中学2年生です。土曜日に隣の校区の中学校で練習試合がありました。そのとき、彼らのチームは5-0で負けてしまいました。もう完敗です。 負けたからボウズに…… それで、試合直後の反省会のときに、3年生のキャプテンが「僕は自分の弱さを反省してボウズにします」とみんなの前で言ったんですね。すると、たちまち場の空気が変わって、他の

    第2回 同調圧力に負けるとき|十代を生き延びる 安心な僕らのレジスタンス|鳥羽 和久|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2021/06/26
    想像力に欠ける子供社会でありがちだし、教員もその体罰・虐待に加担しがち『はっきりしておきたいのですが、ボウズを強制するのはれっきとした暴力です。しかも、場合によっては殴られるよりもずっと酷い暴力です』
  • ホロコーストは近代の産物か|ちくま学芸文庫|田野 大輔|webちくま

    ホロコーストを近代社会の質に深く根ざしたものとして捉えたバウマンの主著『近代とホロコースト』。書の内容が、近年の実証研究の進展によってどのように克服され、また相対化されているか、ドイツ現代史がご専門の田野大輔さんが評してくださいました。(PR誌『ちくま』5月号より転載) ホロコーストはなぜ起こったのか。600万人にもおよぶユダヤ人の大量殺戮はどうして可能になったのか。この問題に社会学の立場から取り組んだのが、ジグムント・バウマンの手になる書『近代とホロコースト』である。彼の回答はきわめて明確である。ホロコーストは近代文明の所産であり、近代官僚制の働きがなければ生じえなかったというのだ。「『最終的解決』はいかなる段階においても、効率的・効果的目的遂行という合理主義的行動とは衝突しなかった。逆に、『最終的解決』は当の合理主義精神から生じ、その精神と目的に忠実な官僚制度によって完成された

    ホロコーストは近代の産物か|ちくま学芸文庫|田野 大輔|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2021/05/19
    『欧州には中世より反ユダヤ主義が存在し、各地でユダヤ人への集団的迫害(ポグロム)が生じていたが、1938年の「11月ポグロム(水晶の夜)」も、東欧の絶滅収容所で行われた「産業的」な虐殺はそれとはまったく異質』
  • 解説 藤原彰『餓死した英霊たち』|ちくま学芸文庫|一ノ瀬 俊也|webちくま

    7月刊行のちくま学芸文庫『餓死した英霊たち』(藤原彰著)より、一ノ瀬俊也氏による文庫版解説を公開します。みずからも中国戦線に従軍し、その体験から歴史学を志した著者。日兵の大量餓死の実態を告発する書の根底には、著者自身の深い怒りが秘められています。その思いに、私たちはどう向き合うのか。書から何を汲み取るべきなのか。旧版刊行後の議論も踏まえつつ、いま改めて考えます。 書の目的は、著者藤原彰いうところのアジア太平洋戦争、別の呼び方をすれば1937(昭和12)年に始まった日中戦争、41年にはじまって45年まで続いた太平洋戦争の日側戦死者230万人のうち、実に140万人の死因が文字通りの餓死と、栄養失調による戦病死、いわば広義の餓死の合数であったことを明らかにすることである。2001年の刊行時、この数字は衝撃をもって社会に受け止められた。そして今日に至るまで、先の戦争の惨禍を語る際にはよく

    解説 藤原彰『餓死した英霊たち』|ちくま学芸文庫|一ノ瀬 俊也|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2020/07/14
    餓死・戦病死した兵士は決して「英雄的エピソード」として語られないが、なぜか靖国に「英霊」として祀られている。ぼくの祖父も、その一人 https://twitter.com/Simon_Sin/status/1282894276926402560
  • 第13回“両論併記の罠”に気をつけよう|生き抜くための”聞く技術”|松原 耕二|webちくま

    二つの見方があると思わせる罠 今の時代、これまで社会を支えてきた前提とでもいうべき共通認識が、急速に揺らいでいるのではないか、という話を前の回でしたよね。 今回もその揺らぎについて、もっと言えば崩れてきている現状を話して、それに対して何に注意するべきかを一緒に考えようと思う。 「否定と肯定」という映画がまもなく公開される。これは17年前にあった実話をもとに作られた作品なのだけど、今の時代につながるとても大事な点を含んでいるので、ぜひ紹介したいと思う。 ナチスドイツでユダヤ人600万人が虐殺されたことについては、この連載でも話したよね。この大量虐殺=ホロコーストをめぐる裁判が、2000年にイギリスであった。争点は、ホロコーストは当にあったのか。虐殺はなかったとする否定論者と、歴史学者が戦う裁判だった。 この映画のなかで耳に残る台詞があった。ホロコーストの否定論者と戦う歴史学者が苛立って声を

    第13回“両論併記の罠”に気をつけよう|生き抜くための”聞く技術”|松原 耕二|webちくま
    cinefuk
    cinefuk 2020/06/09
    ホロコースト否認、温暖化否定などを例に「多数の研究者による科学的根拠に基いた主張と、一部のアクティビスト(カルト)の主張」を #両論併記 することで、実質的にトンデモ側に加担しているメディア企業の無責任
  • 【特別掲載】大疫病の年に|特別掲載・大疫病の年に|マイク・デイヴィス,重田 園江|webちくま(1/2)

    2019年末、中国・武漢に発したとされる新型コロナウィルスは、第二次大戦後最悪ともいわれるペースで世界各地に感染を広げています。なぜ現代世界は新種のウィルスにかくも脆弱になってしまったのか。世界でいま何が起こっていて、これから何が私たちを待ち受けているのか。『感染爆発』などの著作があるアメリカの社会学者マイク・デイヴィスがその核心に肉薄した最重要論考を、Jacobin誌の許可を得て特別に掲載します。 コロナウィルスが世界を駆けめぐっている。われわれの治療能力は言うに及ばず、検査能力すら追いつかないスピードで。いつか出現すると危惧されてきたこの怪物ウィルスは、とうとうすぐそこ、玄関口までやってきた[i]。このようなバイオ危機に対してグローバル資主義は全く無力なので、国際的規模のきちんとした公的保健インフラを要求していかなければならない。 コロナウィルスは古い映画のようだ。1994年のリチャ

    【特別掲載】大疫病の年に|特別掲載・大疫病の年に|マイク・デイヴィス,重田 園江|webちくま(1/2)
    cinefuk
    cinefuk 2020/04/11
    『アメリカにある18の巨大製薬会社のうち、15社は完全にこの分野を見捨ててしまっている。心臓病の薬、中毒性のある精神安定剤、そしてED治療薬は儲かる薬の筆頭だ。新しく現れた病気、熱帯性の病気などは儲からない』