海に挟まれたこの地には、4つの国があった。人々はその土地ごとに、さまざまな暮らしを送っていた。 北方の国レタイトの集落に住む少年・カンカンは最近、どうも納得がいかない。「自分の町の誰も買えないものを作るようなことは、なんかおかしい気がする」。 生活に苦しむ人々や、町に漂う閉塞感を感じていたカンカンはある日ふと、外の世界に出てみよう、と考えたのだった。 生きるための旅の出よう。 力を持たざる者たちによる「居場所発見」ファンタジー!
「あなた」に伝えたいのは、わたしたちと一緒にその問題を解決する「わたし」たちになってほしいということ。サポーターになる、寄付する、スタッフになる、ボランティアをする、声を上げる、だれかに伝える、心で祈る。どんなことでも、「あなた」の思い、行動は社会を変える力(=市民の力)になります。みんなが「わたし」になれば、大きな力となって、社会は変わります。だから、わたしたちは、みんなが「わたし」でいる社会を目指して、「あなた」に伝え続けます。 皆さんの「思い」を集め 大きな力に変え、 一緒に社会をつくりたい あなたの思いが誰かの心を、 社会をきっと動かします 長年かものはしではたくさんの方がサポーター会員として応援くださり、2023年度末時点では17,498人もの方々に、活動を支えていただいております。 会員になってくださった方々、かものはしを応援してくださった方々の思いに触れるたびに、社会はきっと
" SBNR ( Spiritual But Not Religious - スピリチュアル・バット・ノット・レリジャス *無宗教型スピリチュアル現象 - )について2014年から研究をしている。きっかけは南カリフォルニア大学日本研究所のウィリアム・ダンカン教授とJapan House LAの立ち上げのディレクションをしていた時である。日本文化への西洋諸国からの関心について調査を進めている中で、ダンカン教授からSBNR視点で思考してゆくことで研究が進むかもしれないと提案を頂き、それ以来、現在に至るまで私自身の最大のモチベーションになっている。 私はこれまで伊勢市の伊勢文化を軸とした「The Study of ISE」や、愛媛県の「お遍路ブランディング」、関西全域を対象とした「Spiritual KANSAI」、福島県の会津藩の大義の歴史に根差した「SAMURAI Branding」など様
語源を辿ると〝adventure(冒険)〟という単語には「なにかが向こうから到来する」という意味がある、という話のつづき。 このことは最初、福岡の友人が教えてくれた。調べてみると英語の〝adventure〟は仏語の〝aventure〟に由来する。つまり「恋」であり、本人には「事故」でもあり。さらにさかのぼると「これから先に起こること」を意味するラテン語〝advenire〟の未来形で、「来る」「起こる」「なる」などの意味合いに辿りつく。 面白いなあ。冒険は「する」ものだと思い込んでいた。けど言葉には、意志を越えたなにかの顕現が含まれているわけだ。 そしてある場面を思い出した。近刊『一緒に冒険をする』に、穂高養生園というリトリート施設を30年ほど営んできた福田俊作さんという人が登場するのだけど、その彼とのインタビューの冒頭で僕が「福田さんは何をしてきたか、聞かせてもらえますか?」と尋ねたところ
魅力的な映像やアニメーションを使って、プログラミング的思考(テキシコー)の面白さを伝え、その思考を育むプログラミング教育番組です。
「システム・リーダー」とは、システム規模での変革を生み出すために必要となる、集合的なリーダーシップを人々の間に育むリーダーのことです。歴史に残るシステム・リーダーには、インド独立の父マハトマ・ガンジー、黒人公民権運動を進めたマーティン・ルーサー・キング牧師、そして、ネルソン・マンデラなどが挙げられます。日本でも、明治維新を実現した志士たちの集合的リーダーシップを育んだ吉田松陰や坂本龍馬などがシステム・リーダーにあたると言えるでしょう。 システム・リーダーは、その個性やスタイルはさまざまですが、たいていは「カリスマ」型、「ヒーロー」型リーダーのスタイルとは合致しません(過去の結果から、後に多くの人を勇気づける「ヒーロー」となっているかもしれませんが)。システム規模の課題は、その複雑性や規模ゆえに個人や一組織だけでは解決できない課題です。必然的に、多くの組織や個人が協働して取り組むことなくして
他の人はどうかわからないですが、自分は 会社から帰宅する前にやる気が異常に高まることがあります。 仕事でも個人の活動でも「今日は家帰ったら朝までやってやるぜ」みたいな感じで、何でもできそうな気がするくらいやる気に満ちあふれるんですよね。完全にやる気MAX状態なんですが、そのほとばしるやる気のままに行動するかというと、まぁ実際はうまくいかないことが多いです。 参考までに、自分のダメパターンを書き出してみます。 まず家帰って飯食って、ちょっとゆっくりしたら 「あれ?俺のやる気どこ行っちゃったの?」ってなり始めます。 23時くらいに 「よっしゃ23時半からやるぞ!」と思ってアニメ見てたら23時34分くらいになります。 「キリが悪いから0時からオールで頑張るぞ!」とか思ってたらいつの間にか1時になってて、 「まぁ6時まで5時間もある!俺たちの夜はここからだ!」とか考えつつTwitter見てたら2時
「ポストトゥルース」という、時代を象徴するテーマをもとに作り上げられた前作から約1年半。tofubeatsがリリースする4作目のフルアルバム『RUN』は、一聴すると、かなり不思議な聴き心地のするアルバムだ。ゴツゴツとした、どこか歪な手触りをもった本作を聴いていると、もし、前作が「時代」というものを形作っていたとするなら、本作はそんな時代の中で、小さく強く息を吐きながら生きるtofubeatsという「個人」を形作っているのではないか?――そんなことを考えさせられる。 これまで、森高千里や藤井隆など華々しい客演を招いて作品を作ってきたtofubeatsだが、今作では初めて演奏やボーカルに客演を招かず、マスタリング以外の全編をひとりで作り上げたという。なぜ、ここに来て彼は「ひとり」になったのだろうか? 「何事も時代のせいにしすぎていたんじゃないか?」――そう語る彼の眼差しは、過去でも未来でもなく
今どうなのかではなく、これからどうなっていくか。 そう考えれる人が好きだし、僕もそうでありたいと思っている。 例えば今100kgオーバーの巨漢だったとして、今どうなのかって言われてもどうしようもない。でも、これからどうなっていくかであれば、ダイエットするでも、はたまた相撲取りを目指すでも選択肢が広がる。 飲みの席でたまに苦しそうな人に会う。苦しいとは直接言わないけれど空気にギュッとした萎縮の気配が漂っている。将来、なんかやりたいとかあるの?って聞くと「夢とか、そういうのはなくて…」というのだけど「そんな夢とかいうものじゃなくて、欲望の方さ」っていうと色々出てくる。吐露するというか、吐き出す。 「今どうか」は基本的に現場でしかおきない思考だなと思う。今この瞬間に判断して行動する。ここで全部出すことをしとかないと後悔する。だから、今何をどうすべきかを高速で考える。そのくらいで他は「これからどう
はじめに 「心理的安全性」とは、「対人リスクを取っても問題ないという信念がチームで共有されている状態」であるとか、「自分のキャリアやステータス、セルフイメージにネガティブな影響を与える恐れのなく、自分を表現し働くことができること」というような定義がなされています。 心理的安全性という言葉はともすれば、ただ快適で居心地のよい職場という意味にも聞こえます。そのため、ぬるま湯で緊張感のない関係性のことを「心理的安全性が高い」と言うのではないかと考えても不思議はありません。 そのため、友人関係のようにプライベートの時間を長く共有する関係になることが、心理的安全性が高いのだろうと考え、飲み会やバーベキュー、慰安旅行などを企画してみたりとプライベートでも遊ぶ機会を増やそうと考える人もいるでしょう。 いわゆる「アットホームな会社です」とアルバイトの求人記事に書かれているような状態です。こういった求人内容
最近思ったことで、一見「矛盾」している2つの行為を、意志を持って同時に行うことができる人は強い、というものがあります。 起業をした頃に難しいなと思ったことの一つが、例えば「現実を受け入れる」ことと「夢をまっすぐ見る」ことのように矛盾する2つのことを同時に行う必要があるということでした。多くの人は厳しい現実に晒されると夢を持てなくなったり、逆に夢ばかり見て現実が見えなくなったりしてしまうことがあります。 しかし起業家の場合は、しっかりと現実も直視しなければ会社は潰れますし、同時に理想も掲げなければ未来に対して強い推進力が保てなくなってしまいます。 この「同時矛盾的行動」に関心を持つようになったのは起業をしてしばらく経った頃で、全く自分の得になるわけでもなく他人の邪魔をするために邪魔をするような人からの嫌がらせなど様々な矢面に当てられて、人に対しての信頼を手放しかけたことがありました。 そのと
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