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historyとchinaに関するconsigliereのブックマーク (84)

  • 唐代の墓葬壁画に垣間見る当時の生活 陝西省

    2基の唐代墓の一つ、康善達墓の墓室に描かれた壁画(2020年12月15日撮影)。(c)Xinhua News 【1月12日 Xinhua News】中国陝西省(Shaanxi)考古研究院は8日、同省西咸新区空港新城底張街道布里村の北で昨年12月に発見された唐代の墓2基に関する情報を公開した。2基はいずれも整った形状で出土し、年代も明確だった。墓内では保存状態の良い壁画も見つかった。 同研究院の李明(Li Ming)研究員は2基の墓について、いずれも五つの天窓を持ち、1基は単室磚券墓(せんけんぼ、アーチ構造のれんが造りの墓)、もう1基は土洞墓(どどうぼ)だと説明した。 李氏によると、単室磚券墓の壁画は、墓道東西の壁に描かれた胡人訓馬図と胡人牽駝図が最も躍動感に満ちていた。人と動物は生き生きと描かれ、筆遣いも滑らかで、特に正面の駿馬と裏側の猟犬は、唐墓の壁画でも珍しい題材だという。墓誌によると

    唐代の墓葬壁画に垣間見る当時の生活 陝西省
  • 紫禁城、万里の長城、武漢東湖…『文革の直前に祖父が撮った中国の写真が貴重だからみて』

    まぷ @yamambaaa 文革の直前と書いたけれど、この旅行は1966年4月~6月で文革開始は1966年5月16日だから少し被っている twitter.com/yamambaaa/stat… 2021-01-07 18:01:22

    紫禁城、万里の長城、武漢東湖…『文革の直前に祖父が撮った中国の写真が貴重だからみて』
  • なぜ中国人留学生は、日本人から「中国の歴史」を学ぶのか(天児 慧,鶴間 和幸)

    古代文明から現代の経済発展までを描いた「中国歴史」全12巻が、10月から講談社学術文庫で刊行されました。2004年から05年にハードカバー版で刊行されたこのシリーズは、中国台湾でも翻訳出版され、累計部数は150万部に達しています。壮大な中国通史の何が人々をひきつけるのか、今の中国を読み解くカギをどう歴史に求めるべきか。シリーズの編集委員をつとめた鶴間和幸氏(中国古代史)と、執筆者の一人である天児慧氏(現代中国論)に語っていただきました。 なぜ、中国でウケたのか? 鶴間 天児先生がこのシリーズで執筆されたのは、現代中国をとりあげた第11巻『巨龍の胎動』ですが、刊行から16年たって、もはや胎動ではなく、まさに巨龍が世界の中心になりつつあります。 当時は、まさかこんなに早く中国が世界で大きな存在になるとは予想できませんでした。正直なところ、いまの中国の姿には驚いています。 天児 おっしゃると

    なぜ中国人留学生は、日本人から「中国の歴史」を学ぶのか(天児 慧,鶴間 和幸)
    consigliere
    consigliere 2020/12/23
    「私の書いた現代中国の巻は、やはりというべきか、中国本土では刊行されなかった」
  • 台湾・中央研究院、中国・魏晋南北朝時代の小説等に記された病気に関する記述のデータベースを公開

    台湾・中央研究院デジタル文化センターによる2020年8月24日付けのお知らせで、中央研究院中国文哲研究所の「滴水空明」研究室が2020年7月に公開したデータベース「疾病感覚地図」が紹介されています。 「疾病感覚地図」は、中国・魏晋南北朝時代の小説集35作品と歴代の高僧伝4作品に記された病気に関する記述を検索・表示できるデータベースです。記述に含まれる病人の籍等に基づいて地図上に記述のマッピングを行った「疾病地図」や、記述を時系列に沿って整理した「疾病事件」、キーワードやカテゴリーから記述を検索できる「資料庫検索系統」等のコーナーが含まれています。 また、記述の内容にあわせたタグ付けによる整理も試みられており、例えば魏晋南北朝時代の小説集に記された記述には「心身」「情感」「生死」「命運」「徴兆」といったタグが用意されています。 [Publication & Launch] “Mapping

    台湾・中央研究院、中国・魏晋南北朝時代の小説等に記された病気に関する記述のデータベースを公開
  • のろし台遺跡から唐代の古文書や木簡が大量に出土 新疆ウイグル自治区

    【7月17日 Xinhua News】中国新疆ウイグル自治区(Xinjiang Uighur Autonomous Region)文物考古研究所は15日、同自治区バインゴリン・モンゴル自治州(Bayingolin Mongol Autonomous Prefecture)尉犁県(Weili)の克亜克庫都克烽燧(ほうすい)遺跡から唐代の貴重な古文書と木牘(もくとく、文字の書かれた木片)が出土したと発表した。 遺跡は大型砂丘の上に築かれ、烽燧(のろし台)や家屋などの建築物からなる。構造が整い、各種機能を備えた総合軍事施設だったとされる。昨年の発掘調査で砂丘の南、北、東側の斜面から当時のごみ捨て場の遺構が見つかり、多くの遺物が出土した。 同遺跡発掘隊によると、今年6月末までに出土した各種遺物は1100点余り。うち700点余りが古文書と木牘だったという。 発掘隊のリーダーを務めた同研究所の胡興軍(

    のろし台遺跡から唐代の古文書や木簡が大量に出土 新疆ウイグル自治区
  • 後漢から六朝時代の崖墓219基を発見 中国・成都市

    【5月3日 Xinhua News】中国・四川省(Sichuan)成都市(Chengdu)の成都文物考古研究院は4月27日、昨年から今年にかけて、同市金堂県で後漢時代後期から六朝時代(2~6世紀)にかけての崖墓(がいぼ)219基を発見し、発掘調査を実施したと発表した。崖墓は断崖に掘られた横穴式の墓を指す。これらの墓からはガラス製の「耳璫(じとう、耳飾り)」などの貴重な器物600点余りが出土した。 崖墓群は同県趙鎮中興村7組にあり、低い丘の東斜面に上下4層に分布していた。同時期に複数の家族が使用した共同墓地と思われる。規格の違いから大・中・小の三つに分類できる。 大型墓は狭くて長い露天の墓道を持ち、前後二つの墓室からなる双室墓となっている。主室の両側には多くの棺室が設けられており、一部の墓室には壁と天井に精巧で美しい彫刻が施されていた。葬具の多くは陶棺で、主に後漢時代後期から蜀漢時代(2~3

    後漢から六朝時代の崖墓219基を発見 中国・成都市
  • ローマ帝国の商人「秦論」は孫権と会見したか - 枕流亭ブログ

    『梁書』諸夷伝や『南史』夷貊伝上にみえる秦論は黄武五年に交阯にやってきて、太守呉邈に送られて孫権と会見したことになっているが、孫呉の黄武五年の交阯太守は士燮もしくは陳時であって、呉邈なんて人物の入る余地はないし、この話自体を疑うべきではなかろうか。— NAGAICHI Naoto (@nagaichi3) 2020年2月18日 にちらっと書いたことをフォローしておこうと思います。 『梁書』諸夷伝に 孫權黃武五年,有大秦賈人字秦論來到交趾,交趾太守吳邈遣送詣權,權問方土謠俗,論具以事對。時諸葛恪討丹陽,獲黝、歙短人,論見之曰:「大秦希見此人。」權以男女各十人,差吏會稽劉咸送論,咸於道物故,論乃徑還國。 とあります。 また『南史』夷貊伝上に 孫權黃武五年,有大秦賈人字秦論來到交阯,太守吳邈遣送詣權。權問論方土風俗,論具以事對。時諸葛恪討丹陽,獲黝、歙短人。論見之曰:「大秦希見此人。」權以男女

    ローマ帝国の商人「秦論」は孫権と会見したか - 枕流亭ブログ
  • 「気」の中国通史――趙翼『廿二史箚記』(新書余滴)

    学生時代、わたくしがはじめて手にした漢文の歴史書は、趙翼の『廿二史箚記』だった。学部2年生の史料講読のテキストに用いた。卒業まで3年間つきあい、漢文史料の訓読、出典の調べ方、解釈の基礎をならった。テキストは、入手しやすかった台湾の世界書局刊行であった。句読点はついていたが、小さな活字がぎっしり並んでいる。最初見たときは、吐く息をわすれた。ただ1年もたてば、漢字の行列も平気になった。これが、史料講読の最大の成果だった。 大学の教員となってからも、中国通史のテキストがわりに『廿二史箚記』を史料講読に用いた。理由は、もはや言うまでもなかろう。中国史専攻の教員・学生は、たいていなんらかのかたちで『廿二史箚記』の恩恵をこうむっているはずである。ちなみに、いまは老眼が進み、字が大きい『史学叢書』所収と謙謙舎版和刻を使っている。

    「気」の中国通史――趙翼『廿二史箚記』(新書余滴)
  • 拙著『三国志の考古学』,第6章補足. : 關尾史郎のブログ

  • 『古本竹書紀年』魏紀をテキトーに読みやすくしてみる。 - 枕流亭ブログ

    ▽『竹書紀年』は晋代に戦国時代の魏王の墓から出土したとされる紀年体史書です。 ▽宋代のころに散逸してしまって、近代に下って各種文献の引用を集めて再構成されました。 ▽『竹書紀年』には古と新があって、古のほうが物とされているので、古のほうを。面白そうな魏紀の部分だけを今回は紹介します。夏紀・殷紀・周紀・晋紀については、またの機会があればやりましょう。面倒くさいので注釈とかは省きます。どこの文献から引用されたかは、いちおうつけました。 ▽「三晋」は趙・魏・韓の三国。「梁」は魏のこと。「邯鄲」は趙のこと。「鄭」はほぼ韓のことですが、一部に春秋の鄭や地名としての新鄭を指しているところがあります。 ▽襄王十二年の「疾西風」の解釈は諸説あるので、無理に訳さず、放置しました。「疾」は「樗里疾」のことという説もあります。 ▽魏の歴史書なので、魏からみた視点で書かれているのは言うまでもなく。 ▽『

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  • 青台遺跡の「北斗九星」、5千年以上前の天文遺構と確認 河南省鄭州市_新華網日本語

    jp.xinhuanet.com | 発表時間 2019-06-26 16:28:43 | 新華社 | 編集: 张一 河南省鄭州市の青台遺跡から出土した土器。(資料写真、鄭州=新華社配信/鄭州市文物局提供) 【新華社鄭州6月26日】中国河南省鄭州市の青台遺跡で見つかった「北斗九星」を模した遺構が5千年以上前の仰韶(ぎょうしょう)文化中期の天文遺構だったことが20日、専門家により確認された。中国の天体観測による時間計測の歴史は、これまで考えられていたよりも千年近く遡ることになる。 同市文物考古研究院と北京師範大学が鄭州市で20日に共同主催した「青台遺跡天文遺構専門家鑑定研究会」には、中国科学院の国家天文台と自然科学史研究所、中国社会科学院、故宮博物院などの天文学や天文学史、考古学の専門家30人余りが出席した。 現地調査と討議の結果、専門家は「北斗九星」の形に配置された九つの土器のかめの大きさ

  • 『三国志の考古学―出土資料からみた三国志と三国時代―』 | 関尾史郎のブログ

    拙著,『三国志の考古学―出土資料からみた三国志と三国時代―』が,東方書店から刊行されました(東方選書52,体価格2,000円,4-497-21913-8).ブログ,このところ画像アップ機能が働かないので,写真はありません.自分が「三国志」をタイトルにしたを書くことになるとは思ってもいませんでしたが,亳州市の曹氏一族墓出土の刻字塼を扱ったのはもう四半世紀も昔のことでした.そしてそれ以来,朱然墓の名刺簡,河西の塼画墓(とくに曹魏末の嘉峪関新城一号墓),そして何よりも長沙走馬楼呉簡などなどとも20年近くつき合って来ました.これらの一次史料群に加え,後代のトゥルファン出土墓誌や敦煌出土鎮墓瓶(銘)などにも登場してもらい,出土資料(その多くは出土文字資料ですが)を最大限活用しながら,三国志と三国時代について考えてみたものです.曹操墓の高陵や朱然墓などからの出土資料にもそれぞれ一章を割きましたが

    『三国志の考古学―出土資料からみた三国志と三国時代―』 | 関尾史郎のブログ
  • 割鶏焉用牛刀/失われた牛刀を求めて - 日々の与太

    日頃当たり前に使っている言葉、いきなり自分の無知を思い知らされたとしか云いようがない。 twitterのTL上で、ふっと他人様の大仰な理屈を眺めて「鶏を割くに焉んぞ牛刀を用いん」とつぶやいたところ、 @nean 「牛刀」って、わりと普通の包丁だったりするんだが。 posted at 21:54:03 とのお話が @ogochanさんから*1。調理用具の類にはトンと疎い僕には、これはもちろん驚き。いや、それはなかろうというわけで、さっそくググって見ると、おやまぁたしかにありふれたと見える包丁ばかりがご登場遊ばす。これなら鶏を捌くのに使ったところで大げさってことにはなりそうもない。どうも今日「牛刀」と呼ばれるものは、孔子先生の時代の牛刀とはその出自からして異なるもののようだ。 Wikipedia語版で引いてみると結局、ごくごく当たり前の包丁であることしかわからない*2。同じくWikiped

    割鶏焉用牛刀/失われた牛刀を求めて - 日々の与太
  • 春秋時代「虢国」の墓地見つかる 副葬品2千点以上が出土 河南省三門峡市 | 新華社通信

    「義馬上石河村春秋墓地」の北東部発掘現場。(資料写真、鄭州=新華社配信/河南省文物考古研究院提供) 【新華社鄭州4月5日】中国河南省三門峡市の管轄下にある県級市である義馬市上石河村でこのほど、西周時代から春秋時代前期の諸侯国「虢(かく)国」の邦墓(ほうぼ、貴族や庶民の共同墓)が見つかり、副葬品2千点あまりが出土した。 「義馬上石河村春秋墓地」で発掘された馬坑(馬を副葬した穴)。(資料写真、鄭州=新華社配信/河南省文物考古研究院提供) 三門峡市文物考古研究所の鄭立超(てい・りつちょう)所長は「今回見つかった『義馬上石河村春秋墓地』の墓葬形式や器物の組み合わせ、装飾文様などは『三門峡上村嶺虢国墓地』のものと良く似ている。出土した銅鼎(どうてい)の銘文と史料の記載から見ると、上石河村の墓地は、虢国の滅亡に伴い東へ逃れた貴族とその家族、護衛に付き従った国人らの墓地だと考えられる」と述べた。 「義馬

    春秋時代「虢国」の墓地見つかる 副葬品2千点以上が出土 河南省三門峡市 | 新華社通信
  • 河南省で金代高僧の壁画墓見つかる 独特な設計で珍しい壁画も

    墓室の中央にあるレンガ造りの供物台。出土の時、供物台の上には墓誌が置かれていた。墓室の北西、南西、北東、東南の壁には彩色画が描かれている(安陽市文物考古研究所孔德銘所長提供)。(c)Xinhua News 【3月16日 Xinhua News】中国河南省安陽市で、レンガ彫刻が施された金王朝時代(1115~1234年)の壁画墓が発見された。このほど発表された発掘調査報告によると、墓は独特な設計が施された高僧の墓で、4人が埋葬されており、壁画の内容にはこれまで見られなかった題材が含まれている。河南省の黄河以北で金代高僧の墓が見つかったのは今回が初めてであり、考古学的に重要な価値を持つ。 墓は市内の文峰大道と太行路の交差点の東南角に位置する複合施設、大華時代広場で13号棟の基礎溝工事を行った際に見つかった。墓の発見後、同市文物考古研究所は国家文物局の許可を得て、北京大学考古文博学院と共同で発掘調

    河南省で金代高僧の壁画墓見つかる 独特な設計で珍しい壁画も
    consigliere
    consigliere 2019/03/17
    「墓室の北西、南西、北東、南東すべてに彩色画が描かれており、中でも「童子啓門図と「行医図」は特に珍しく」
  • トピックス|国際日本文化研究センター(日文研)

    第4回 日文研-京都アカデミック ブリッジ「京都の学を語ろう〜京都大学創立125年〜」の概要をご覧いただけます(2022年3月9日)

    トピックス|国際日本文化研究センター(日文研)
  • 特別展 三国志

    特別展「三国志」では 会場内の写真撮影が可能です。 特別展「三国志」は、個人利用にかぎり展示室内で写真撮影ができます。 撮影はご自身で行ってください。 画像をご使用の場合は利用者の責任においてお願いします。 展覧会主催者は一切の責任を負いません。 なお、会場内の映像展示はすべて撮影禁止です。 (1)以下の行為はご遠慮ください ・フラッシュ撮影や、三脚、自撮り棒など撮影機材を用いての撮影 ・展示品や展示ケース等を汚損する恐れがある接写等の行為 ・動画の撮影 ・他の観覧者の鑑賞を妨げる行為(長時間の撮影、割り込み、連写や特殊なシャッター音など) ・展示品の二次加工、改変 (2)撮影された写真に他の観覧者が写っている場合、その写真の公表にあたっては、写り込んだ方の肖像権に触れることがありますのでご注意ください。 (3)複製、配布および商業使用を目的とする撮影は一切お断りいたします。 以上、ご協力

    特別展 三国志
  • https://twitter.com/i/moments/1096219802538893312

  • 拙著『目録学の誕生』が刊行されます

    久しぶりに単著を出せる運びとなりました。『目録学の誕生』というタイトルで、勤務先の名を冠した「京大人文研東方学叢書」というシリーズが臨川書店から刊行されていますが、その第6冊です。 コラムなどは楽しんで書きました(以前このブログに書いたことをまとめ直したものも少しだけあります)。広くお読みいただきたいと願っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。 刊行は、年3月上旬の予定です。以下のリンクから予約いただければ幸いです。 https://amzn.to/2I9xsDz 『目録学の誕生−劉向が生んだ書物文化』 京大人文研東方学叢書 6 古勝隆一著 臨川書店、2019年3月 四六判・上製・紙カバー装・帯付 総268頁 体3,000円+税 ISBN978-4-653-04376-8 人にとって書物とは何か。なぜ、書物は必要なのか 書物をぬきにして中国文化を語ることはできない。その書物は

    拙著『目録学の誕生』が刊行されます
  • 2000年以上前の王莽新王朝の「造幣局」見つかる 河南省南陽市

    南陽市の知府衙門博物館で見つかった新朝の造幣廠遺跡の発掘現場(2019年1月15日撮影)。(c)Xinhua News 【2月6日 Xinhua News】中国河南省南陽市の知府衙門(ちふがもん)博物館でこのほど、前漢を滅ぼし自ら皇帝となった王莽(Wang Mang)の新王朝時代(紀元8~24年)に造られた大型造幣廠跡が、博物館の敷地から発見された。2000年以上前の新王朝の経済上の謎を解く鍵が見つかった。 中国社会科学院考古研究所の白雲翔(Bai Yunxiang)研究員は「ここでは銅銭の鋳型のほか、『大泉五十』『小泉直一』の文字が入った2種類の貨幣も鋳造していた。考古学上の重要な発見であり、秦漢時代の貨幣鋳造業や新王朝の社会経済制度を知る上で貴重な史料となる」と語った。 初期的な探査では、同遺跡の面積は10万平方メートルを超えるとされる。これまでに発掘した75平方メートルは、ほんの一部

    2000年以上前の王莽新王朝の「造幣局」見つかる 河南省南陽市