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storiesとpublicationに関するconsigliereのブックマーク (13)

  • いまこそ語りたい、あの一冊|絶版本|柏書房編集部|かしわもち 柏書房のwebマガジン

    連載は2022年9月に書籍化されました。 【絶版】今まで出されていた書籍の発行を終了すること。出版契約期間の満了や該当書籍の売行きが今後まったく見込めない場合などに絶版にする。 胃が痛くなる言葉だ。自分のつくっているが絶版となり、断裁リストに載って回覧されてくるとき。読者や書店からの問い合わせ、あるいは、著者からの「Amazonで在庫が切れているのですが、そろそろ重版ですか?」という期待のにじむ問いかけに対して、「いまはその、出荷できなくてですね……」「いやあ、まだちょっと、難しいですね……」と言わざるをえないとき。これほど不甲斐ない瞬間はない。 *** ところで、【絶版】と【品切れ】の違いをご存じだろうか。「一般読者」(これも出版業界特有の言い回し)からしたら、「どっちも同じでは?」と思われるかもしれない。でも、異なる概念だ。 冒頭に掲げた【絶版】の定義は『出版社の日常用語集〈第4

    いまこそ語りたい、あの一冊|絶版本|柏書房編集部|かしわもち 柏書房のwebマガジン
  • 『子どもの道くさ』 がバズった日|三毛猫と博士

    #子どもの道くさ #東信堂 #水月昭道 #高学歴ワーキングプアからの脱出 僕が20年前から取り組んできた「子どもの道草」研究をもとにして、2006年に上梓した著書「子どもの道くさ」(東信堂)を、ひとりの読者がとりあげて「面白い」とTweetしたところ、12.6万のファボ♡がつき、「読みたい」という多数の声があがり、絶版状態であったが動き出すという夢みたいな出来事が起こったのが2020年07月17日のことでした。稿はそれに関連するお話を記します。 記念すべき最初のTweetその最初の記念すべきTweetは2020/07/16になされました。 岡田悠さんという、書(「子どもの道くさ」)の読者が、その面白さを発見してくださり独自の視点と表現により上記にあるようなTweetをしてくださいました。 その瞬間からじわじわと広がりつつあったリツイートの動きは翌朝にかけて加速していき、17日の日中か

    『子どもの道くさ』 がバズった日|三毛猫と博士
  • 『校正者の日記 二〇一九年』刊行記念 牟田都子選書フェア 手渡された本、その行方 - イベント&フェア情報|WEB本の雑誌

  • 明るい「出版業界紙」をnoteで始めます|ライツ社

    少し前に、ライツ社の営業がこんなことを言っていました。 なんでニュースには、出版業界の悪い話しか出ないんだろう? 「出版不況」「書店倒産」「物流危機」etc...。 こんなニュースばっかり見てると、なんだか「は終わった」みたいに感じてくる。ぼくは、書店が好きなのに。が大好きなのに。明るいニュースだっていっぱいあるのに。そう思ってる人はきっと、たくさんいるはず。 このままじゃ、をつくりたいとか、書店で働きたいとか、そもそもを読みたい、に関わりたい、という人が減ってしまうんじゃないか。 それなら自分たちで明るいニュースを届けよう。出版業界はおもしろい! 楽しい! ってみんなに言いたい。だから、note上で明るい出版業界紙を始めよう。 そう決めました。 noteで業界紙をやる2つの理由 noteで業界紙をやるメリットは2つあります。 1.出版業界以外の人にも、にまつわるニュースを届け

    明るい「出版業界紙」をnoteで始めます|ライツ社
  • 一編集者から見た学会と出版社――「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」

    2009年の学会誌に発表した論文を、堀之内出版の小林えみさんが掘り起こしてくださいました。日近代文学会の了解を得て、10年後の状況をあらためて比較する上でも、数字等を含めそのまま転載いたします。なお、すでに閉鎖したサイトを紹介した注は削除しております。 購入固定層のあった研究書市場が環境の変化とともに、大きく変わろうとしています。単に研究者の減少ということではなく、学会そのものに興味を持たない若手研究者も増えてきているような気がします。数字以外は10年前と変わっていないことも多く、編集者アーカイブ小論の一つとしてご覧ください。 原注は[]とし、追加情報については、《補注》【*編集部注】の形で補っております。なお、専門書をめぐる最近の「売れる」「売る」観点で、サイトでの「所感:2010年代の日の商業出版における著者と編集者の協働について、営業担当者と書店との協働について」もあわせてご覧

    一編集者から見た学会と出版社――「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」
  • 藤原良雄 出版界の異端児 「藤原書店」社長:あの人に迫る:中日新聞(CHUNICHI Web)

    「硬い」が売れない。もしくは売りにくい。そんな風潮にあらがうかのように、高価格少部数戦略を貫き、名をはせる人がいる。出版界の異端児、「藤原書店」社長の藤原良雄さん(70)だ。フランス文学を世界に広めたとして、昨年末には同国で最も権威のある学術団体アカデミー・フランセーズの文学賞を受賞した。藤原さんの言葉から先行き不安な社会を生きるヒントを探したい。

    藤原良雄 出版界の異端児 「藤原書店」社長:あの人に迫る:中日新聞(CHUNICHI Web)
    consigliere
    consigliere 2019/03/16
    「昨年末には同国で最も権威のある学術団体アカデミー・フランセーズの文学賞を受賞した」知らなかった。すごいな。藤原書店といえばオング『声の文化と文字の文化』とブローデル『地中海』を持っている。
  • 勁草書房創立70周年社長にあれこれ聞いてみる:01

    哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。 2018年、勁草書房は創立70周年を迎えました。[けいそうブックス]を創刊するとともに、この1年、勁草書房の70年をいろいろな角度から改めて紹介していきたいと思っています。 その一環として、勁草書房の書籍を手に取ると奥付で必ずご覧になっている名前の持ち主、そう、井村寿人社長に、ゆるくあれこれ聞きながら振り返るシリーズを設けてみました。というわけで、あちらこちらに寄り道しながら、井村社長に勁草書房の70年(とこれから?)を、あまり会社のことを知らない編集部員相手にのんびり道案内してもらいます。[編集部] ――こんにちは。今日から仕事のあいまによろしくお願いします。 井村寿人社長 こんにちは。井村寿人(ひさと)です。こちらこそよろしくお願いします。 ――勁草書房70年なので

    勁草書房創立70周年社長にあれこれ聞いてみる:01
  • 【手帖】小出版社の志と綱渡り的経営語った「風から水へ」出版(1/2ページ)

    フランス文学や幻想文学に関心のある読者にとって、水声社は小さいながらも屹立(きつりつ)した、存在感のある出版社である。仏文学者の鹿島茂さんは「週刊文春」の「私の読書日記」に「小出版社の中で『歴史』に残る出版社といったら『水声社』にとどめを刺す」とまで書いている。 国書刊行会で《世界幻想文学大系》(45巻)や《ゴシック叢書(そうしょ)》(30巻)、《ラテンアメリカ文学叢書》(15巻)といった空前絶後のシリーズを手掛けた鈴木宏さん(70)が、前身となる書肆(しょし)風の薔薇(ばら)を創設したのは昭和56年。平成3年に現社名となり、今日に至っている。 その鈴木さんが小田光雄さんのインタビューに応じ、自身の来し方、小出版社経営の実態を語った『風から水へ ある小出版社の三十五年』(論創社・3000円+税)を出した。宮下和夫さんや安原顕さんといった個性的出版人との交友や出版界、会社の危機的状況が語られ

    【手帖】小出版社の志と綱渡り的経営語った「風から水へ」出版(1/2ページ)
  • むかしばなし (皓星社 藤巻 修一) | 版元ドットコム

    皓星社の創業は1979年でそろそろ社歴も40年になり、世代交代も現実のものとなっている。それで、少し昔話をしてみたい。 僕がこの業界に関係したのは、村松武司という人の知遇を受けたことによる。村松は朝鮮植民者の三代目として「京城」に生まれ敗戦で引き上げてきた人で、戦後詩の出発点である「純粋詩」や「造形文学」の同人の詩人。小山書店を経て、その頃、虎ノ門にあったダイヤモンド社で『数理科学』という雑誌の編集をしていた。小山書店といっても、知る人は少ないかもしれないが「チャタレイ夫人の恋人」の版元といえば頷く人もいるかも知れない。村松の紹介で昼間は小山久二郎氏のもとで働き、夜は太宰治の従姉弟という夫人の手料理に釣られて小山書店の回想の聞き書きなどしていた。 「面白くないことがあったら飲みにおいで」という村松に甘え、ついて歩くうちに彼の親友の山崎一夫、通称山さんを知った。山さんはいわゆる特価屋(ゾッ

    consigliere
    consigliere 2017/02/08
    これは・・・・・・(特に後ろのほう)
  • 「誤植発見で一万円」? 校閲者が書いた本

    毎日新聞の11月5日付(東京社版など)特集面「校閲発:春夏秋冬」では新聞の訂正を集めたを扱いましたが(ウェブ版はこちら)、紙面では割愛せざるを得なかったところなどを2回にわたってご紹介したいと思います。 まずは、朝日新聞で長く校閲記者を務めた加藤康司(やすし)さんが、各紙の訂正や誤りを題材に著したエッセー集「赤えんぴつ」(虎書房・1956年初版)シリーズから。 「訂正のおかげで入社」 そもそも1928(昭和3)年に加藤さんが大阪朝日新聞社に入社したのが、「訂正のおかげだった」といいます。 大阪朝日新聞の同年3月の紙面で、重大な誤植があったことを重く見た会社の上層部が、整理部に属していた校正課を校閲部に昇格させ、東西朝日で校閲部員の大増員が行われました。この際に加藤さんも入社したのだそうです。 活字時代の誤り さて、紙面でもご紹介したように、加藤さんの活躍された活字時代は

    「誤植発見で一万円」? 校閲者が書いた本
    consigliere
    consigliere 2016/11/22
    新訂増補国史大系は、誤植一つで一冊だか五十銭だかでしたが!
  • 出版社への就職活動 | ポット出版

    昨日はインターン生の勝見さんとスタッフの事会でした。 勝見さんがこの先どういったところに就活するのかはわかりませんが、 私が新卒で就職活動した時の話を書いてみます。 ここに出てくる会社はポットではありません。 大学4年(2003年)の冬、偶然朝日新聞の3行広告で 好きなを出しているマイナーな出版社が求人している事を知りました。 電話で問い合わせし、埼玉近くの市民会館で入社試験を受けました。 就職氷河期だったのもあり試験会場には100人近く会場にいて驚きました。 就職試験は筆記とグループ面接。筆記試験の内容は、 「128×188mm(四六版)192pのを3000部作る。788×1091mmの紙に文を印刷する場合何枚必要か」 「以下の例文の中から間違いを見つけて赤字をいれなさい」 のような紙の取都合問題や、文字校正問題と作文でした。 筆記は散々でした。紙の取都合問題は、1枚の紙で裏表ペ

  • 【第664回】本はどう印刷されるべきか。それを誰が決めるか : イジハピ!

    2014年08月21日20:36 【第664回】はどう印刷されるべきか。それを誰が決めるか カテゴリ思い出・雑記 query1000 Comment(0)Trackback(0) むかしの原稿を書いていて、編集者さんに「読点(、)と句点(。)をカンマ(,)とピリオド(.)に変えますので」と軽く言われた。 その時はぼくも血気盛んでジャックナイフのように尖っていたので、必要以上に噛み付いた。 Perlの解説原稿である。 Perlはご案内の通り、カンマ(,)もピリオド(.)も演算子である。 原稿は地の文の中にどんどんコードが書かれていたので、そのままの原稿で句読点だけ変えるとすごく見づらくなってしまうのだ。 今にして思えば、コードはタイプライターフォントにするとか、かぎかっこ(「」)に入れるとかの妥協案があったと思うが、当時はカンマとピリオドはコードの演算子、句読点は日語のものを使うという

    【第664回】本はどう印刷されるべきか。それを誰が決めるか : イジハピ!
  • ひとり出版社「岩田書院」 知の容れ物を作り続ける

    たったひとりで出版社を立ち上げて20年。社長兼社員として編集から営業、販売までをひとりで担い、大手が作らないを地道に出し続けてきた。時代がいかに変わろうとも、必要とされるがある限り、ひとり出版社のフル稼働の日々は続く。 の谷間に棲む 『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』(無明舎出版)というがある。それも1冊ではなくPart1からPart3まで3冊もある。ひとりでやっている出版社の社長が新刊を出すたびに新刊ニュースを作り、そこに「裏だより」というコラムを書き続け、それが3冊のになった。今年で創業21年目。20年間でコツコツ出し続けたは825冊、月に4冊から5冊、年間では50冊から60冊の新刊を出版し、年商は1億2000万円とか。出版不況と言われるご時世にひとりで達成したこの数字は衝撃的ですらある。 東京都世田谷区。静かな住宅街の相当に年季の入ったマンション内にあるという「岩田書院

    ひとり出版社「岩田書院」 知の容れ物を作り続ける
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