2013年8月1日 読売新聞 社説 「「慰安婦」像設置 憂うべき米国での「反日」拡大」 「女性の権利」という普遍的な理念に訴えかける活動に「対抗するつもり」の言葉が「反日」という普遍的な訴求力の欠片もないシロモノだ、という点に現在の日本の保守・右派の矮小さがはっきりと現れていますね。この調子で声高に語れば語るほど日本の対外的なイメージは傷ついていくわけですが、彼らは一体どうやって責任をとるつもりなんでしょうか。 「性奴隷」「20万人以上」という誇張歪曲した表現だけでも、日本の名誉を著しく傷つける。 当時の日本においても、公娼制が事実上の奴隷制度だという認識はそれなりに(都道府県の過半数で公娼制が廃止されるか、廃娼決議が通過する程度には)影響力をもっていたのであり、そうした認識に基づけば旧日本軍「慰安所」制度は公式に採用された性奴隷制であるというよりほか、ありません。「20万人」については、
「今年92歳になる台湾人元・従軍慰安婦の鄭陳桃はジープに乗せられインドに連れて行かれたのか? 」 インド領であるアンダマン諸島が日本軍に占領されたのは1942年3月23日です。 日本ニュース 第97号 1942年(昭和17年)4月11日 我が陸海軍部隊は遠くインド洋上、アンダマン列島に軍を進め、東部インド・ベンガル湾の死命を制す。すなわち英国の運命を賭して、インド懐柔に狂奔しつつあるクリックスに対し、無言の回答を与えるべく3月23日、皇軍は陸海の精鋭をすぐって、突如アンダマン島ポートブレアに暁の奇襲上陸を敢行。 ユニオンジャックの威信、すでに地に落ちて、敵主力は皇軍来るの報にいち早くインドに遁走。残敵また我に抗せずして軍門にくだり、ここにアンダマン島、無血占領は滞りなく完了したのであります。人口約2万のこの島は、インド囚人の釈放地で長らく英国の圧政下に苦しんだ独立の志士をはじめ、これら住民
慰安所の行列に並んだ体験を語る男性。日本に残した恋人の存在が胸をよぎり、逃げ出したという=大阪府内 【武田肇】旧日本軍の慰安婦問題に関心が集まっているが、元兵士たちはその体験を胸に秘したままだ。敗戦から68年、葛藤に悩みながら亡くなった人も多い。語れない理由とは――。 「家族にも一切明かしたことのない話だ」。関西地方の90代の男性は6月中旬、喫茶店で記者にそう切り出した。 太平洋戦争が開戦した1941年、旧満州(中国・東北部)の国境守備隊に配属された。兵士は約1万人。ソビエト連邦(当時)と川一つ隔てた小さな町に慰安所が4軒あった。うち1軒が下級兵士が利用できる軍指定の施設だったという。「内地には公娼(こうしょう)制度があったから不思議には思わなかった」 月1回、外出が許可されると慰安所に通った。建物の特徴から「白壁の家」と呼ばれ、いつも順番を待つ若い兵士の行列ができていた。相手にす
本エントリは基本的に07年4月19日づけのエントリの焼き直しです。 TOKYO Web(東京新聞) 2013年6月25日 「従軍慰安婦問題「強制連行」資料あった」(見出しを一部省略) しんぶん赤旗 2013年6月19日 「「慰安婦」問題 赤嶺氏に回答 政府資料に強制証拠」 オランダによる戦犯裁判の「慰安婦」関連資料は、第一次安倍内閣時代の2007年にも報道されたことがあります(以下、いずれも朝日新聞のデータベースサービス、「聞蔵IIビジュアル」による)。 朝日新聞 2007年4月15日 朝刊 「慰安婦、強制示す調書 東京裁判に各国検察提出 研究者確認」 日本軍慰安婦問題をめぐり、東京裁判に提出された各国検察団の証拠資料の中から、占領支配したアジアの女性が日本軍に強制的に慰安婦にされたことを示す尋問調書などを、林博史・関東学院大教授(現代史)が確認した。17日に日本外国特派員協会で会見して公
安倍内閣は18日、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員が提出した質問主意書に対する答弁書で、「慰安婦」問題に関して日本軍による強制連行を示す証拠が政府の発見した資料の中にあることを初めて認めました。 赤嶺氏は、安倍内閣が「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」(2007年の答弁書)としていることについて、「『政府が発見した資料』とは何か」と質問。答弁書は「内閣官房内閣外政審議室(当時)が発表した『いわゆる従軍慰安婦問題の調査結果について』において、その記述概要が記載されている資料を指す」とのべ、日本軍による強制連行を示す資料である「バタビア臨時軍法会議の記録」があることを認めました。 同記録は、日本軍がジャワ島セマランほかの抑留所に収容中のオランダ人女性らを「慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」と明記。答弁書は「
【にこにこ相談室】なぜ歯医者を怖がる子どもが多い?親の何げない声かけが原因かも…歯医者嫌いにならないよう、家でできることは?
出典:上海派遣軍司令部編纂『日支事変 上海派遣軍司令部記念写真帖』1938年2月刊 1938年1月、正月早々、南京に開設された慰安所に巻脚絆(ゲートル)を外し並ぶ兵士たち 従軍慰安婦にされていた女性たちの実態が「“sex slave”性的奴隷」「“Sexual slavery”性的奴隷状態」であることは国際刑事裁判所ローマ規程や、国連の人権委員会で採択された文書の定義をみても否定できない事実なんだけど、日本国内では自分勝手に強制連行と結びつけたMy定義で否定するトンデモ論がはびこっています。 こんな感じです。 「強制連行を認めると、世界からは日本だけが特殊な性奴隷を活用したと評価されるのだ。」(2013年5月17日 橋下徹 Twitter*1) 「なぜ日本だけが性奴隷を活用していたと攻撃されるのか。それは日本だけが女性を強制連行していたとされているからだ。アメリカは、慰安婦を強制的な性奴隷
Memoir of comfort woman tells of 'hell for women' (AP via China Daily - 2007-07-06 10:52) 元記事 http://www.chinadaily.com.cn/world/2007-07/06/content_911759.htm 元日本人慰安婦の回顧録:「オンナには地獄だった」 (以下の内容は、元記事にもとづいてStiffmuscleが編集したものです) 日本、館山。丘の上に立つ小さな教会、ふもとには様々な理由から自立が不可能になった女性のための居住施設「かにた婦人の村」がある。天羽道子シスターの後に従い、その教会の地下室へ降りて行った。 幾年にもわたり、幾十人もの女性がここ「かにた婦人の村」で晩年を過ごしてきた。女性たちの遺灰は質素な祭壇の下にある石碑の後ろで眠っている。天羽さんは一枚の白黒写真を納骨
長文だと読まない人が多いでしょうから、要点を先に書いておきます。 要点 吉元玉氏は1940年から満州の軍慰安所での売春を強制されました。当時の吉元玉氏は12〜13歳でした。 これは娼妓の最低年齢を17歳とする貸座敷娼妓取締規則*1に照らしても違法です。 わずか12〜13歳の朝鮮人少女が満州の軍慰安所にいる時点で、人身売買、娼妓取締規則などの各法令違反が素人目でも疑われるレベルの状況です。しかしながら、吉元玉氏を買春に来た日本兵らも健診を行った軍医も慰安所を管理した主計将校らも、調べようとも救出しようともせず、見逃し、黙認して売春行為を強要したわけです。目の前で行われていた少女に対する売春強要という違法行為に目をつぶるという国家組織による極めて悪質な不作為です。 苦界に落とされた12〜13歳の少女が自身の法律的な権利や契約の瑕疵など理解できるはずもありません。国家レベルの組織による保護が必要
よろしければ、上下ともクリックしてくださると大変うれしいです。 人気ブログランキング にほんブログ村 この記事は2013年5月16日にアップしたものですが、アクセス数もコメント数も非常に多い記事で、昨日アップした「従軍慰安婦」=戦時性奴隷制度1 朗報!北星学園大が元朝日新聞記者雇用継続を決めるの理解の助けになる記事なので、改めてアップします。 あまりにも、ごまかしが多い問題で、誤解している方も多いので、以下にいわゆる「従軍慰安婦」=日本軍「慰安婦」制度の分かりやすい解説を書いていきたいと思います。 1 「慰安婦」には自由意思はなく、性的奴隷にされた 「慰安婦」は今の風俗で働く女性とは全く違う状況に置かれていました。 「従軍慰安婦」と呼ばれてきた日本、朝鮮、中国などなどの女性たちも、親などから人身売買で女衒に売られ、日本軍に奉仕させられました。彼女らは自由意思で売られたわけではもちろんなく
バカバカしい言説だと念押ししておくことも大切だと思うのだ。 とりあえず朝日新聞記事の発言要旨を見ると、一文ごとに批判したいところがあるが、とりあえず三つほどに論点をしぼろう。 http://www.asahi.com/politics/update/0514/OSK201305130144.html*1 どのように慰安婦制度が問題視されているか、休息のため慰安所が必要なのか、証拠がないという見解は真実なのか、順番に簡単に批判していく。 慰安婦制度が問題視された経緯と現状について なぜ日本の慰安婦問題だけが世界的に取り上げられるのか。日本は「レイプ国家」だと、国をあげて強制的に慰安婦を拉致し、職業に就かせたと世界は非難している。 実態より悪くいわれているとか、自国だけが悪いわけではないとか、有力政治家が何度も稚拙な擁護をくりかえすから、そのたびに批判されるのだと想像してほしい。自身の言動が現
日本軍はなぜ慰安所を必要としたか 2 日本軍が慰安所を必要とした理由 日本軍が慰安所を必要とした理由は四つある。第一は、占領地で日本軍人による強姦事件が多発したことであった。広範囲に慰安所を設置するきっかけとなったのは、一九三七年一二月の南京大虐殺と関係がある。三七年八月から一〇月にかけての激しい上海攻防戦のあと、日本軍は南京にむけて侵攻したが、一〇月から一二月にかけて、日本軍の進撃ルートとなった長江(揚子江)一帯では、日本軍人による虐殺・強姦・掠奪・放火などのきわめて多くの不法行為がおこなわれた。中でも強姦は弁明不能な違法行為であり、盗賊でも強姦はあまりしないといわれる倫理観をもつ中国人の間に激しい憤激をよんだ。このような事態にあわてた日本軍は軍慰安所の設置にのりだしたのである。中支那方面軍は、この前後に慰安施設をつくるよう指示している。 一九三八年六月、数十万の兵員をもつ北支那方面軍の
朝日新聞DIGITAL 2013年5月7日 「官房長官、河野談話の見直し否定 米前駐日大使の懸念に」 また安倍内閣は同日、慰安婦問題で「新しい資料が発見される可能性はある」とする答弁書を閣議決定した。紙智子参院議員(共産)の質問主意書への答弁。 ワシントン・ポスト紙は答弁書の内容についてもう少し踏み込んだ表現をしています。こちらでは紙議員の名前は挙げられていませんが、日付からして紙議員の質問主意書に対する答弁書のことであるのは明白です。 The Washington Post, May 8 2013, "Japan acknowledges past denial of proof of forced sex slavery was based on limited study" A parliamentary statement signed Tuesday by Prime Minis
3月8日に衆議院予算委員会で中山議員が答弁した。そこで従軍慰安婦問題について言及した場面が、インターネットで話題になっている。 「【朝日捏造&慰安婦】ついに国会で真実が語られる」といったタイトルをつけられ、2ちゃんねるまとめブログ等をかいして情報が広められているようだ。 はてなブックマーク - 【朝日捏造&慰安婦】ついに国会で真実が語られる はてなブックマーク - はてなブックマーク - 痛いニュース(ノ∀`) : 「慰安婦問題は朝日新聞による捏造だった」 維新・中山成彬氏、国会で当時の新聞報道を用いて解説 - ライブドアブログ まず、中山議員は、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」 いわゆる「副官通牒」の発見を伝える朝日新聞記事をフリップで示し、「朝日が歪曲した慰安婦資料」「悪徳業者が募集に関与しているようなので注意するようにとの通達であった。」と説明文をつけていた。 他に
以前、「日本社会は1990年代まで慰安婦問題をどのように捉えてきたか」という記事を書き、敗戦直後から慰安婦に関連する議論がどのように展開されたかを簡単に述べましたが、「「従軍慰安婦問題」の歴史は意外と新しい」とかのたまう人がやはり多いようですので、改めて述べておきます。 まず、最初に言えるのは、吉見義明氏の「従軍慰安婦」(1995)、朝日新聞の報道(1992)、吉田清治氏の「私の戦争犯罪」(1983)よりも先に千田夏光氏の「従軍慰安婦」(1973)があり、それ以前にも慰安婦らの悲惨な境遇に関して1960年代後半〜1970年代初頭には既に多くの書籍・記事が出ていました。それを知らない、調べない人は「「最初」の慰安婦問題は、1980年代に、吉田清治という山口県の男性が、戦時中に済州島で朝鮮人を奴隷狩りしたという衝撃的な告白をしたことからはじまります。」*1とか言ってしまうわけです。 さて、それ
このようなページがTwitterを中心に流布されているようだ。 dljapan.net*1 【慰安婦問題Twitter 世界に拡散】 #BBC #CNN に、ツィートしなければ、米政府ロビー活動している韓国に負けます。すでに日本にとって危険な領域に入っています。 【慰安婦問題】朝日新聞が日韓関係を破壊した 〜朝日新聞は「従軍慰安婦」捏造報道 朝日新聞は2007年に慰安婦問題を誤報 として訂正、記者を解雇していた!! これを全世界にツィートしないと駄目だ。 朝日新聞、一応は誤報記事の訂正と責任はとってる。あまり知られてないけど。 2007-04-01 朝日新聞朝刊(東京本社版) 植村記者を諭旨解雇処分とするとともに、私が代表取締役社長を辞すことによって、 全世界の報道機関に事実関係の再検証を促す次第です。 朝日新聞社 代表取締役社長 秋山耿太郎 http://awabi.2ch.net/te
「今村均回顧録」(芙蓉書房出版、昭和45年5月15日第1刷、昭和63年3月30日改題第9刷発行、P326-328) 慰安所 南寧方面に新設された、第二十二軍司令官に補職された久納中将は、二月中旬、その官舎としている家に、私と桜田近衛旅団長を主賓とし、軍の幕僚各部長ら総数二十名ぐらいを招き、夕会食をやった。軍司令官に就任の披露を兼ねたもの。 話は大部分、安藤軍のやった大攻勢に関するものであり、その後は雑談に移った。同席していた軍の管理部長が、次のようなことを云いだした。 「話は下がりますが、きょう自動車で十五名ほどの抱え主につれられて、百五十名の慰安婦が到着し、軍管理部で、家屋の都合はつけました。全部を南寧に留めておいてよいか、近衛部隊は南寧から八キロも離れた部落におりますので、そちらには何名ほど移らせたらよいか、ご決定を願い、その方の設備は桜田旅団でやっていただきたいと存じております」 す
「アゴラ」で石井孝明氏*1が『慰安婦と戦場の性』の書評を書いていたのだが、色々と目を疑った。 http://agora-web.jp/archives/1486690.html 内容は『慰安婦と戦場の性』から、開き直りに利用できる部分をつまみぐいしているだけで、目新しくはない。 日本人が朝鮮から女性を狩り集めたという嘘の証言をした吉田作治が、それを嘘と認めた電話インタビューも掲載されている。 ……「吉田清治」の誤記だろうか。 読むと、「慰安婦問題」とはいったい何なのかと、徒労感、無力感を抱く。何でこれが政治問題になるのかが分からない。 政治問題となることを当然と考える論者の主張と読み比べなければ、状況が理解できなくて当然だろう*2。 前後するが、石井氏は書評で書籍内容を要約している。一部を引用しよう。 女性が騙された例は多くあった。当時はいわゆる前借金を渡され返済するという形で事実上の人身
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