海(うみ)行(ゆ)かば 水(み)漬(づ)く屍(かばね) 山(やま)行(ゆ)かば 草(くさ)生(む)す屍(かばね) 大(おほ)君(きみ)の 辺(へ)にこそ死(し)なめ かへりみはせじ (長閑(のど)には死(し)なじ) 歌詞は2種類ある。「かへりみはせじ」は、前述のとおり「賀陸奥国出金詔書歌」による。一方、「長閑には死なじ」となっているのは、「陸奥国出金詔書」(『続日本紀』第13詔)による。大伴家持が詔勅の語句を改変したと考える人もいるが、大伴家の「言立て(家訓)」を、詔勅に取り入れた際に、語句を改変したと考える説が有力ともいわれる[誰によって?]。万葉学者の中西進は、大伴家が伝えた言挙げの歌詞の終句に「かへりみはせじ」「長閑には死なじ」の二つがあり、かけあって唱えたものではないか、と推測している。 原歌[編集] 陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)[編集] 葦原の 瑞穂の