『機動戦士ガンダム』が本格的ブームとなっていった時期は、実はテレビ放送中ではなかった。1981年3月から1982年3月まで、およそ1年をかけて全3部作で上映された「劇場版」とガンダムプラモデル(通称:ガンプラ)の相乗効果でブームを巻き起こし、現在に連なる人気の基礎を築いたのである。 このコラムでは、「劇場版ガンダム」にスポットをあて、さまざまな角度で往時のブームの成り行きを検証してみたい。 まず、「ガンダムを劇場映画化する」というプロジェクトは、いくつもの点で当時「型破り」であった。そもそも「映画化」の情報が一般に知られたのは、記者会見などオフィシャルなものではなく、富野総監督の「リーク」とも「フライング」ともとれる爆弾発言からであった。 当時創刊3年目の「月刊アニメージュ」誌1980年3月号(2月10日発売)は、『機動戦士ガンダム』のテレビオンエアが終わった直後の発売。これに「富野喜幸(